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第39話「出国間近」

 翌日、昼過ぎに父親のカーティスに名残り惜しそうにされながら、カイルと(あかり)はグランドチェロキーに乗り込むと、アップタウンへ向かった。  十分程車を走らせると、カーティスが教えてくれたシーフード料理店の看板が見えた。その店の経営者の弟が、メキシコへの抜け道を知っているという。  メキシコからアメリカへの不法移民は、毎年後を絶たない。彼らは地下にトンネルを掘り、こっそりと国境を越えて来るのだ。  地下トンネルは不法入国者だけでなく、麻薬カルテルの密輸の為のものも多く存在し、過去三十年の間には二百本を超える抜け道が摘発されていた。  薄いブルーを基調としたシーフード料理店の中に入ると、席には着かず、カイルはウェイターを一人捕まえると経営者を呼んでもらった。  奥からスーツを着崩した格好の、小柄な褐色の肌の男が現れた。  カイルはその男に小声で用件を伝える。 「あんたの弟に会いに来た。」 「何の用でだ?」 「メキシコへ行きたい。地下道を通って…。」  男はカイルと燈をじっくり観察した後、店の奥にある扉を示唆した。 「こっちへ来な…。」  扉の奥には明るい店内とは打って変わり、薄暗い廊下が続いていた。  男が辿り着いた先の扉をノックすると、中から大柄なネイティブ・アメリカンといった顔立ちの男が現れた。二人はスペイン語で二、三言会話すると、大柄な男がカイル達を部屋の中へ招き入れ、小柄な男は一人で店の方へ戻ってしまった。  大柄な男には威圧感が備わっており、治安の良い、この辺りの雰囲気には少し似つかわしくない。 「隠し通路はエル・パソにある。通りたきゃ、二人で三千ドルだ。」  男の放った言葉に、カイルは耳を疑った。 「はあ!?高過ぎじゃないか?」 「メキシコ人からは安く、アメリカ人からは高く取ると決めている。嫌なら他を当たりな。」  交渉の余地はなさそうな気配を感じ取ったカイルは、止む無く折れる。 「…払うよ。追加料金とか、後でまた発生したりしないだろうな?」 「そこは大丈夫だ。」  男は初めて笑顔を見せた。 「エル・パソって言ったよな?」  カイルは地理を想像して、目的地までの道程を考える。テキサス州の国境沿いにあるエル・パソと接しているのは、メキシコのシウダー・フアレスという街だった。  そこからだとマンザニーロ港までは、かなりの距離がある。 「メキシコに着いたら、車を一台用意してもらえないかな?出来れば、今、乗って来た車と交換で…。」  カイルの条件に、男は駐車場まで同行し、グランドチェロキーを物色した。 「いいだろう。…だが、あまり期待するなよ。」 「ちゃんと走る車ならいいよ。」  どうやら交渉は成立し、男は現金を半分だけ要求すると、エル・パソのとある民家までの地図を渡した。 「そこでフェルナンドという男を訪ねろ。そいつに残りの料金を支払えば、後はそいつが手筈を整えてくれる。」 「ああ、これから向かうけど、辿り着くのは翌日になると伝えてくれ。」  車に乗り込み、了解してくれた男が去って行くのを見ながら、燈がカイルに囁いた。 「信用出来るの?…何だったら、あの人達の弱みを掴んで、もっと安い料金にして貰うおうか?」 「事を荒立てるような真似はやめておこう。一応、警官の親父が見逃してやっている連中だ。信用してみようじゃないか。」  カイルは車を走らせた。エル・パソまでは半日以上の時間を費やすだろう。  途中、暇を持て余している助手席の燈が、信号待ちの際にコインのような物をちらつかせて見せた。 「ねぇ、これ。発信機を通販してみたんだ。改造して、改良して、やっと使い物になった。建物の間取り図とか取り込んだら詳細に表示する筈だよ。スマートフォン貸して。」  カイルからスマートフォンを受け取った燈は、発信機を受信すつるアプリケーションをインストールした。 「これで、お互いの位置は把握出来るから。」 「何かやってるとは思ってたけど、そんなもの準備してたのか。助かるよ…。」  給油やトイレ休憩を除いて、六時間ぶっ続けで運転したカイルは、目的地までの距離を半分にした処で、近くのホテルに宿泊する事を決めた。  日が暮れた為、辺りは一気に冬の気温となった。二人は凍えながらホテルの部屋に落ち着くと、ルームサービスを取って食事を済ませた。 「ルーチェ、なんか振り回してるみたいで、悪いな…。」  寝支度をしていた燈は、カイルにぽつりと呟かれ、窓際に立つ彼を見つめた。 「…名前、間違ってるよ。」  カイルの気持ちには答えず、燈はルーチェと呼ばれた事を指摘した。 「間違ってないだろ?…二人きりの時は、俺はおまえの事をルーチェと呼ぶ。」 「シルビーが付けた名だから?」 「そうだ。」  燈は観念したように、溜息と笑みを洩らした。そして先程のカイルの言葉との会話を成立させる。 「…振り回されてるなんて、思ってないから。寧ろ楽しいし…。」 「ああ、なら…いい。」  翌朝、ホテルをチェックアウトし、カイルと燈はフェルナンドという男の元に車を走らせた。  今日のエル・パソの気温は十一月とは思えないほど暑い。これで夜は冷え込むのだから、今は邪魔に思う防寒着は直ぐに必須アイテムへと変わる。  夕方近くになり、似たような民家が幾つも立ち並ぶ場所に辿り着いた。そこで迷った風な二人の目の前に、フェルナンドと名乗る青年が現れた。 「話は聞いてるよ。」  二十歳そこそこといった若い褐色の肌のフェルナンドが、二人を誘導する。そこは民家の狭いガレージで、そこに停めてあった古びたピックアップトラックを、フェルナンドが外へと少しだけ移動させた。その場所にマンホールのような物が姿を現す。 「ここを降りれば、地下道だ。」  フェルナンドは入口を塞いでいた鉄板をずらし、先に梯子を降りて見せた。後に続いたカイルと燈は、かび臭い匂いに鼻を覆う。  発電機の電源をフェルナンドが入れると、ハロゲンランプが点々と灯った。しかし出口は薄暗くて視認できない。 「距離はどれくらいあるんだ?」 「一マイルもないくらいだ。」  カイルは不安を感じて、眉間に皺を寄せた。 「換気は大丈夫なんだろうな?」 「大丈夫さ。換気システムは一応あるから、ここで酸欠で死んだ奴はいない。…車の件もあるから、今日は俺が特別に出口まで案内してやるよ。」  フェルナンドは歩き出した。通路は狭い為、彼の後に、カイル、燈と一列になって進む。 「あんた達、親子?」 「…そうだよ。」  フェルナンドの質問に、カイルは適当に答えた。 「ここを出たらシウダー・フアレスだ。治安がエル・パソとは対極だから、気を付けなよ。」 「ああ、分かってるよ。」  メキシコ、チワワ州最大の都市であるシウダー・フアレスは、麻薬カルテル同士の紛争の弊害や、女性のレイプ被害等が後を絶たないらしい。  十分程進むと、入口と同じ印象の出口へと辿り着いた。鉄棒で出来た細い梯子を上がると、フェルナンドが器用に下から蓋をずらして開けた。そこから弱い光が差し込んでくる。  外へ出ると、そこはコンビニエンスストアの倉庫の中だった。意外な終着点に、カイルと燈は思わず辺りを見回した。  不意にフェルナンドが鍵をひとつ、カイルに差し出した。 「金と交換だよ。」 「ああ、そうか…。」  カイルは千五百ドルをフェルナンドに支払い、鍵を受け取った。鍵には「NISSAN」という文字があり、その形状からして、かなり古そうな車が想像出来た。 「ちゃんと走るんだろうな?」 「ああ、小型車だし、狭いとこも結構行けるよ。」  コンビニエンスストアの駐車場へ行くと、塗装が剥がれた、白なのか黄色なのか分からないマイクラ(日本でいうマーチ)の前にフェルナンドが立った。 ――まあ、予想した通りのポンコツ加減だな…。  カイルは試しにエンジンを掛けてみる。音は問題なさそうだった。 「納得した?…早いとこ、この街を出るんだね。」  フェルナンドはそう言い残して、コンビニエンスストアの中に入って行った。 ――さよなら、俺のグランドチェロキー。  短い間だったが、愛車としていたジープ、グランドチェロキーに心で別れを告げたカイルは、鼻を啜った。 「マンザニーロ港への到着予定は、どう見積もっても明日になるね。」  助手席に乗り込むと、燈はスマートフォンのマップを見せた。 「そうだな…。よし、スタートしよう!」  カイルは気合を入れると、マイクラのサイドブレーキを解除し、アクセルを踏んだ。

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