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第42話「発情とは…?」

 メキシコの港を出航して二日目の夜、カイルは居住区の一室で船酔いに悩まされていた。 「嘘だろ?…元SARCの癖に船酔い?」  今にも笑い出しそうな(あかり)を一瞥して、カイルはトイレからベッドへと移動した。 「ちょっと飲み過ぎたんだよ。…悪いけど、医務室から薬を持ってきてくれるか?」 「いいけど、酔い止めの薬でいいの?」 「ああ、それでいい…。あと、氷を持ってきてくれると助かる。」 「了解…。」  燈は軽く溜息を吐いてみせると、カイルの部屋を出た。  船内の三分の二の人間が就寝時間に入ろうとしている所為か、辺りは比較的静かだった。  この船にエレベーターはない為、階段室に入り、アッパーデッキまで降りていく。燈は一日目でこの船の配置図を記憶していた。  最初に左舷側通路へ扉を開けて入り、糧食冷蔵庫室へ入った。氷が目的だったが、食料品しか見当たらず、氷はひとつ上の階に上がったギャレーで手に入れるしかないと、その場を後にした。そして長い通路を右舷側に進む。  一番端まで辿り着くと、「HOSPITAL」のプレートが貼られた扉があった。  中へ入ると、一見、無人の医務室内で人の声を察知した燈は耳を澄ます。 「…もうさ、おまえの所為で()っちゃっただろ!…うん、いや、誰もいないけどさ…。」  その声は薬品庫内から聞こえていて、その内容に燈は眉を顰める。 ――まずい処に来ちゃったかな…。でも、薬って、この中だよね。  扉をノックするか迷っていると、中での息遣いが上がって行くのを、異常に優れた聴力で燈は察知した。仕方がないので、相手が落ち着くまで待とうと決断する。  次の瞬間、扉が開いて、中からスマートフォンを肩で固定し、片手は露になった股間を握った状態で、若い船員が姿を現した。  彼は操機員を務める高木という名の、この船で一番若い船員だった。 「あ…!」  燈と目が合った高木は、慌ててスマートフォンを落としてしまった。床に落ちたそれから、女性の驚いてるような声が洩れ聞こえた。 「あ、いや、これは…途中でティッシュがないの気付いちゃってさ…!」  燈は小さく頷くと、スマートフォンを拾って高木に渡した。受け取った彼は何も言わずに電話を切る。 「あの、酔い止めありますか?」  燈に問われ、高木は慌ててズボンの前を閉めると、場所を教えた。高木が燈に近付くと、薄っすらと紅潮した頬と、潤んだ瞳が目に入った。  高木は思わず、その瞳に吸い寄せられるように視線を逸らす事が出来なくなった。 「君ってさ…。」 ――あ…この感覚…。  燈は不意に発情を感じた。不味いと思った傍から、理性が飛び始める。 「続き…しないの?」 「え?続きって…。」  燈が甘えたような上目遣いで、高木を翻弄し始めた。  そこへカイルが駆け込んでくる。 「ルーチェ!!…遅いと思って来てみれば…!」  カイルの勢いに高木は怯えて、二、三歩退いた。 「部屋に戻るぞ。」  カイルは発情した様子の燈を強制連行した。カイルに引き摺られながら、燈はなけなしの理性で高木の弁明をする。 「あの人、悪くないから…。電話で彼女と話しながら、興奮しちゃってたみたい。そこに…俺が遭遇して…。」 「性的欲求を向けられたわけじゃないんだな?じゃあ、どうして…?」 「なんか…匂い?」 「匂い?」  カイルは燈の嗅覚が以上にいい事を思い出した。雄のフェロモンでも感じ取ったという事なのだろうか、と思案する。  自室に燈を連れ込んだカイルは、燈をベッドの上に座らせ、そこで待つように指示した。 「服は脱がなくていい!」  きつめに念を押すと、カイルは荷物から針の付いていない注射器とシャーレを取り出した。 それを持ってトイレに一旦籠ったカイルだったが、一分経たない内に溜息と共に出てきた。  シャーレも注射器も使用されていない。 「(たすく)のところへ行こう…。」  二人は一階上のDデッキへ上がり、船長室を訪れた。就寝間近だった様子のパジャマ姿の匡が、快く二人を迎え入れる。  船長室は他の部屋と比べ物にならないくらい広く、洒落たウォールライトや、豪奢な調度品が据え付けられている。そして寝室は別になっているようだった。 「寝てたか?」 「いや、これから寝るとこでしたけど…。どうかしたんですか?」  カイルと会話しながらも、匡は具合が悪そうな燈を気にした。 「前に説明してただろ?ルーチェが発情してしまったんだ。頼めるの、おまえしかいないからさ…。」 「発情って、どうして?」 「あの一番若い船員が、女と通信しながら(サカ)ってるとこに遭遇して、その匂いで発情っしてしまったらしい…。一体、どういう嗅覚してるんだか。」  燈は特異体質なのだと、カイルから補足を受けていた為、匡はそれなりに理解をしてみせた。それと同時に心拍数が上がったのを、匡は悟られないように努力する。 「…で、頼みたい事って、アレですか?」  匡は精液という言葉を使えずに訊いた。 「そうなんだ!」  カイルが注射器とシャーレを差し出してきた。予想外の代物に、匡は目を丸くする。 「匡が射精してくれさえすれば、これで採取して、こいつの腸内に注入する。そしたら治まる筈なんだ!」  医療器具を前に匡は少々たじろいでいると、燈が辛そうにカイルに縋り付いた。 「そんなんじゃダメだよ!直接じゃなきゃ、嫌だ!」 「嫌だ、じゃない!」  匡は本当に上手くいくのか心配になる。 「それって試した事あるんですか?」 「いや、ないけど…。実験を兼ねてどうかと思って…。」  カイルから実績がない事を知らされ、匡は更に気が進まなくなる。 「実験…ですか?」 「そう。ここで待ってるから、寝室で出して来てくれるか?」  カイルは匡に注射器とシャーレを渡した。 「俺が手伝ってあげるよ!」  燈が熱っぽい瞳で匡を見つめてくる。初めて見る状態だが、そこはかとなく艶めかしい。 「…ダメだ!おまえが寝室に行ったら、採取する意味がなくなるだろ!」  渡された注射器とシャーレをまじまじと見つめていた匡は、思い切った決断を下した。 「あの、…直接してもいいのなら、…してもいいですか?」  その言葉に燈は歓喜し、カイルは難色を示した。 「匡、ちゃんと理解して言ってるか?」 「はい。あ、でも、犯罪なんですよね…?」  匡の脳裏に燈の十三歳という年齢と、淫行罪という言葉が過った。 「そんなの気にしなくていい。俺は普通じゃないから…。」  燈は匡の手から注射器とシャーレを奪うと、カイルに渡した。 「あの、カイルさんが許してくれるのであれば…。」  匡が小さな声で問うと、カイルは渋い顔で頷き、一人扉に向かった。 「無理だったら、直ぐ呼んでくれ。…あ、俺、船酔いの最中だった…。」  突如、具合が悪そうになったカイルが部屋を出て行くと、燈が匡に抱き着いてきた。 「無理とか、言わせないから…。」  燈の手が匡のパジャマのズボンに掛かる。 「待って、待ってよ。ねぇ、燈君。発情って、中に出したら本当に終わるの?」  匡は一時的に待ったを掛けた。 「うん。俺の中にね、沢山精液出してくれたら、それで終わるから…。」 「沢山!?…でも、やっぱり、そんな特異体質なのが納得出来なくて…。」  燈は「待て」を解除して貰う為に、一旦冷静に説明を挟むことにした。 「違法なゲノム編集って分かる?とにかく遺伝子を操作をされてて、…俺は性欲処理に特化した個体として造られたんだ。まあ、他も色々と通常の人間より優れてるんだけどね。…だから、あなたに罪はない。」  それを聞いて、匡は少し悲し気で困ったような顔をすると、燈を優しく抱き締めた。 「寝室へ移動しようか…。」 「うん。…余計な事、考えなくていいからね。」

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