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第44話「対峙」
トロイが最後に弟と日本に住む母親の通話を傍受してから、約一ヶ月半が経とうとしていた。
日本へ行くと言っていたカイルと、その母親の通信がぱったり途絶えたのが腑に落ちず、連絡する回線を変えられてしまったからではないのかと、トロイは予想した。
彼らを追跡したいトロイではあったが、仕事仲間であるネイヴに、会社の機器類を私用で使い過ぎだと切れられてから、彼女に頼み事をしづらくなってしまっていた。成す術を無くしたトロイは、まだどこか幼い人工知能にカイルの知人を見張らせながら、仕事に専念する日々を暫く送る事となった。
そんな中、時折トロイは、ザック・レインが自分の動向を窺っている事を想像しては、秘かに体を火照らせていた。
ザックに不正アクセスされたスマートフォンを、敢えて破棄せずに自分を追わせ続け、彼の追跡を煙に巻く。トロイにとって、それはスリリングな遊びとなっていた。
そうしながらも、ザックを間近で感じたくなったトロイは、気まぐれに奇襲を掛けてみることを思いついた。
ザックに会うと、今まで憎悪していた性的行為を、自ら望んでしまう。そんな自分をトロイは意外にも、すんなりと受け入れた。
ザックとの情事が1ラウンド終了した直後、トロイはネイヴからの連絡で、弟のカイルがメキシコの港から、日本船籍の船で出航した事を知らされた。
最後の手段として、カイルのパスポートが使用されたらアラートを発するように、見張りをさせていた人工知能に設定しておいたので、それが機能したのだった。
しかし、そのアラートが上がったのは、船が出航してから既に十二時間が経過してからだった。
トロイが職場のサーバールームに戻り、人工知能に苛立ちを覚えていると、ネイヴが深夜にも拘わらず出向いてくれた。
「この子は悪くないわ。メキシコの港が杜撰 なのよ。」
ネイヴは自作の人工知能を庇った。
「いいよ。…どうせ、航空機を利用すると思ってたから、日本で仕留めるのは想定済みだった。」
「日本までは行かなくていいかも…。」
覚悟を吐露したトロイに、ネイヴが口角を上げて含んだような笑みを見せた。
「どういう事?」
「スパロウがね、潜水艦を改造したらしくて、その試運転を兼ねて、あんたを運んでくれるって。」
ネイヴに詳細を聞いたトロイは、ニュージャージー州、カムデンにある造船所へ向かった。
約二時間後、トロイはスパロウが操縦する葉巻型の黒い潜水艦で出航した。トロイがこれに乗船するのは三回目であり、約八年振りだった。
この潜水艦は過去に起きた、トロイ救出作戦時に所長が購入したもので、任務だったり私用だったりと、時折使用されているようだった。
潜水艦を操縦するスパロウは、ネイヴと同じく技術班で、IQがずば抜けて高く、実は量子コンピューターをも作れるのではないかとの噂も出ている人物だった。ただ、今年四十代に突入したという彼の見た目は、小柄でぽっちゃりしており、貫禄は一欠けらも見当たらない。
スパロウが座る操縦席の横にトロイは腰を下ろすと、彼が握るゲームのコントローラーを凝視した。
「改造って、それ?」
元は操縦桿である、二つのジョイスティックが付いていた場所から、スパロウの持つゲーム用のコントローラの線が伸びている。つまり、この潜水艦はゲーム用のコントローラで操縦されているのだった。
「そう。所長がさ、誰でも操縦し易いように改造してくれって言っててさ、…っで、こうなった。このアナログスティックで方向やスピードを変更出来るし、大抵の操作は、Aボタンでキャンセル出来る。一番、いいところは、コントローラーのこのフォルムなんだ。人の手に馴染むように緻密に設計されてるからさ、ずーっと持っていられるよ。」
トロイはスパロウの説明に少し引く。
「ずっとはどうかな?俺は普段、ゲームしないんでね。」
「大丈夫だよ。ゲーム出来なくても、ジョイスティックの感覚よりは習得し易いから!」
トロイは一旦納得して見せ、気掛かりな事へと話を変えた。
「先に出航してしまった船に、追いつけるのか?」
「情報によると、八万五千重量トン型バルクキャリアだろ?デカくて重い船だし、十五ノット前後で走ってる筈だよ。時速でいうと二十八キロ前後ね。…この潜水艦も水上だとマックス十五ノットくらいしか出ないけど、水中だと三十五ノット出せるからね。任せといてよ。」
スパロウはトロイに渡していたタブレットを見るように言った。それに従ってファイルを開くと、船の図面データが複数あった。
「今追ってる船の図面は手に入らなかったけど、ほぼ同型だし、居住区も似たような造りになってると思うよ。VIP扱いなら、スターボードサイド(左舷側)の上の方の居室にいるんじゃない?」
「そうなのか?」
トロイは船内の配置図を念入りに見て、大凡 を把握した。
そうして、潜水艦に乗り込んで三日が過ぎた頃、流石に辟易としてきたトロイの前に、北太平洋沖を走る一隻のバルクキャリアが姿を現した。
ステアリング同様に、こちらも操縦桿をゲームのコントローラーに挿 げ替えられている潜望鏡で捉え、モニターに映し出して確認する。
「やっとお目見えだ…。」
午後に突入したばかりの眩しい海原の中、視認され易い為、スパロウが潜水艦のスピードを落として近付き過ぎないようにする。
トロイは侵入する為に、夜になるのを待った。
辺りが暗闇に包まれた頃、トロイは行動を起こした。
デッキ上に人がいないのをトロイが確認すると、スパロウが潜水艦をバルクキャリアの左舷側にぎりぎり近付けて、艦橋部分が出るくらいまで浮上させた。
十五ノットのスピードと極寒の潮風に堪えながら、トロイは艦橋部分の手摺に手を掛けて体を安定させると、水中銃を改造したもので、小型ウィンチをバルクキャリアの船尾寄りの手摺に打ち込んだ。一発勝負でそれは上手く固定され、バルクキャリアと潜水艦の間に一本のロープが張られた。
成功の吐息を洩らしたのも束の間、小型ウィンチから伸びるロープが自動的に巻き上げられるのを利用して、トロイは六メートル程上の甲板まで一気に上がった。
ダイバースーツを着用していない為、無事に潜入出来て一安心する。
――ナビゲーション・デッキにいるとは思えないし、その直ぐ下のデッキから調べていくか…。
トロイはライトを避けるように、外階段に辿り着くと、居住区の上を目指した。
渡航五日目の夜、燈 はお気に入りとなった姫川匡 を探して、スウェット姿で船内をうろついていた。
自力で見つけられず、燈はスマートフォンの、とあるアプリケーションを立ち上げる。画面に船内の配置図が表示され、赤い点が移動しているのを確認する。
実は燈は発信機を匡の制服のポケットに忍ばせていた。
赤い点は燈本人のもので、現在地であるCデッキに他が見当たらない事から場所を切り換える。
Aデッキの船長専用ラウンジに青い点を見つける。それはカイルを現しており、位置的にソファで寛いでいるようだった。
Dデッキに切り替えて、漸く匡の黄色い点を発見する。
――今日って、もう仕事終わりなんだっけ?
燈はひとつ上の階を目指した。
Dデッキ通路に辿り着いた燈は、左舷側の通路扉に人の気配を感じた。階段室扉前から三メートルもないので、そのままそこで外から入って来る人物を待つ。
このデッキにある機関長室を使っている山本という船員だろうと思いつつも、嫌な胸騒ぎを感じた。
やがて、その扉が開くと、その胸騒ぎが的中していた事を思い知らされる。
初めて会うのに、そんな気がしない。しかし、見慣れている自分とは明らかに違って見える、同じDNAを持つ存在――。
そんな二人が対峙して、時が止まったかのような状態で、お互いに相手を見据えた。
それを壊すように、最初に動いたのは侵入者のトロイだった。素早くハンドガンを構えて燈に銃口を向ける。
「おまえがT-S004か。まだ、チビだな。」
トロイは自分より八センチほど低い燈を見て、鼻で笑った。
「その呼び名、久し振りに聞いたよ!」
過去の呼称を忌々し気に思いつつ、燈は吹き出してみせた。それから黒ずくめの侵入者の彼を興味深げに観察する。
「あんた、もしかしてトロイ?…暗殺者って、あんただったんだ。若く見えるけど、最近まで冷凍とかされてたの?」
燈は冷静に、目前の襲撃犯の対策を考える。ハンドガンにサイレンサーは付いておらず、ここで発砲されると、すぐ傍の船長室にいる匡にも危険が及んでしまうと予測した。
それだけは避けなければならない。
燈はハンドガンに着目し、自ら少しずつ距離を詰めていく。
「…俺を殺しに来たの?…その銃、グロック22?」
「俺のコピーは全て消し去る予定だ。」
そう言い放ったトロイだが、トリガーを引く気配はない。彼なりに少し迷いがあるように感じられた。
「俺はコピーなんて単純なものじゃないよ。あんたの数十倍、俺の方が色々優れている。若いっていうのもあるしね。…あ、やっぱりグロック23かなぁ?」
燈は近付きながら、トロイの心拍数に耳を傾ける。緊張感はあるものの、余裕が窺え、自分の方が優位だと思っているようだ。
「性欲処理の人形として優れてるだけだろ?おまえはその年で、男相手に何回ぐらい股を開いてきたんだ?」
トロイが嫌味な質問を繰り出した瞬間、燈はハンドガンに手を伸ばし、一瞬の内にそのスライドカバーを取り外して奪った。
上側が剥き出しとなり、武器として使えなくなったハンドガンに呆然とするトロイに、燈は言い返す。
「…あんたがグレイソンに股を開いた数よりは、はるかに少ない筈だよ。」
その言葉で、トロイの顔が一気に紅潮した。ハンドガンをホルダーに素早くしまうと、今度は刃渡り十五センチの戦闘用ナイフを手にした。
「おまえは苦しめて殺す!」
当てずっぽうに言った燈の言葉は、トロイの逆鱗に触れてしまったようだった。
素早く繰り出されるナイフを、優れた動体視力で燈は躱していく。
――大人しく帰ってくれそうにないな…。
燈はハンドガンのパーツを口に咥えると、壁のストームレール(手摺)を蹴って上へ跳ね上がり、トロイの肩に手を掛けて彼を飛び越した。
そして彼が入って来た扉から外へ出ると、ハンドガンのパーツを素早く海に投げ捨てた。
夜の海の背景となった空間に、トロイも燈を追って出て来た。再びナイフが繰り出される。
その一瞬の隙を付き、燈はナイフの握られたトロイの手を蹴り上げると、空中に放り投げられたナイフをキャッチして奪った。
「形勢逆転…?」
燈がナイフで素振りをして見せると、トロイは余裕の笑みのまま、今度は警棒を取り出した。手首のスナップを利かせて警棒を最大限の長さにする。
燈はうんざりとした顔をしてみせた。
「次から次へと…。」
相手の攻撃のリーチが伸びた分、燈は間合いを考えながら応戦する。
「格闘出来るタイプは初めてだ。カイルに仕込まれたか?」
「色々優れてるって言っただろ!」
実戦は初めての燈だったが、臆せず攻撃と防御を繰り返した。
トロイは扱い慣れているのか、警棒を自在に振り回し、トリッキーな攻撃を仕掛けてきた。その一撃が燈の露出した手首に当たる。
一撃くらい、と燈が思った瞬間、電流が走り、燈はその衝撃にナイフを落として膝を着いた。素早い動作で、そのナイフはトロイに拾われる。
「痛ッ!…ビリビリ警棒 はずるいんじゃないの?」
動きの止まった燈の背を踏み付け、床に伏せさせたトロイは、何処かで聞いた台詞だな、と過去の自分の言葉を過らせた。
トロイは燈を踏み付ける足に力を入れながら、ナイフを構え直した。
「チェックメイト。」
「それはどうかな?俺には騎士 がいるから…。」
燈が怯まずに笑みを見せると、扉が開いてカイルが飛び出して来た。
「ルーチェ!」
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