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第45話「邂逅」

 燈はトロイとの格闘中に、隙をみて発信機に仕組んでいた緊急アラートボタンを押していた。それはカイルのスマートフォンを通して、彼に通知されていた。  慌ててDデッキまで上がり、外へ出たカイルは、燈が襲われている姿を目にした瞬間、相手にタックルして床に抑え込んだ。そして、外舷灯の光に照らされた襲撃犯の顔に息を呑む。 「…トロイ!?…トロイなのか?」  トロイはカイルが驚いてる隙に、彼の腹を蹴って身を起こした。 「ああ、そいつと違って造り物じゃないよ。…カイル、でっかくなりやがって。昔のおまえは可愛かったのにな。」  トロイは自分よりも数センチ大きな、恰幅のいい軍人体型になってしまった弟を見て嘆いてみせる。 「…二十年以上会ってなかったのに、俺が分かるのか?」  トロイに蹴られた痛みを忘れるくらい、カイルは衝撃を受ける。  今の燈が少し大人になった風貌の彼は、最後に見た少年時代から大して変わっておらず、弟である自分よりも若く見えた。しかしカイルの方は、十歳の頃からすると、大分変ってしまっている。なのに、トロイは驚いた風もなく、カイルと名指しした。 「分かるよ。たまにエマーソン家の動向は窺ってたからな。…仕事先でばったり会うなんて、ご免だろ?…おまえ、海軍衛生兵、やめたんだってな。」 「特殊水陸両用偵察衛生兵だ。」  そこは譲れないのか、カイルは丁寧に海軍衛生兵の部分を訂正した。 ――いや、動向を窺われていたってトコに、着目すべきだろ?  体制を立て直しながら、燈は秘かに心裡でカイルに突っ込んだ。 「そいつの為に除隊したのか?」  トロイは厳しい目をカイルに向ける。 「元々、守りたい存在が近くに出来たら、辞めるつもりだった。それはそうと…この船まで、どうやって来た?」  辺りに船の気配はなく、上空で待機するヘリコプターもいない。カイルは不思議そうな顔をした。 「潜水艦だよ。…魚雷を一発喰らわせてやろうと思ったけど、標的はそいつ、一人だったからな。大事(おおごと)にするのも面倒だったから、撃たないでやった。感謝しろよな。」  乗って来た潜水艦に魚雷は搭載されていなかったが、元軍人のカイルなら軍用を想像するだろうと思い、トロイは(うそぶ)いてみせた。  カイルは間違いなくトロイが暗殺者なのだと確信し、自分の背に燈を隠した。 「トロイ…。親父がずっと気に掛けてた。…生きてたなら戻って来いよ!」 「あの女と同じ轍は踏まない!」  エマーソン家襲撃事件を引き起こした、アビー・リンという女性への怒りをトロイから感じたカイルは、彼の今置かれている背景が気になった。 「あんたは今、何してるんだよ?」 「後始末だよ。…グレイソンの研究施設の方は、FBIが潰してくれたみたいだけどな。おまえも加担してたんだろう?それに関しては礼を言うよ。だけど、何でそいつを処分せずに連れ出した?」  処分という言葉に、カイルはトロイの心情を理解した。勝手に造られた自分のクローンの存在など、薄気味悪いだけに決まっている。  しかし、それでも燈の事は見逃して欲しいとカイルは切実に思った。 「この子の母親に頼まれたんだよ。…守ってほしいって。」 「母親?ああ、そいつは母体で育ったタイプだったな。でも、勘違いするなよ。そいつは自然の摂理で生まれてきたんじゃない!…そいつを庇うな。」  トロイは戦闘用ナイフをカイルに向けた。 「…まさか、おまえ、…そいつと寝たんじゃないだろうな?」  カイルの気を逸らしたくて、トロイは揶揄い半分の言葉を投げた。そこでカイルがギクリとした表情を一瞬見せたので、それを読み取ったトロイに怒りに感情が浮かび上がる。 「おまえ、寝たのか?」  再度、確認するように問うと、カイルは沈黙を貫いた。  それを見兼ねて、カイルの背後から燈が声を上げる。 「寝てないよ!カイルが俺を抱くわけないだろ!あんたはカイルにとって良い兄貴じゃなかった。そんな奴と同じ顔した俺を、カイルが抱ける筈ないんだよ!」  燈の言葉に、トロイは怒りから苛立ちへと感情を切り換えた。 「いちいち気に障る奴だな…。」  話が逸れたようなので、カイルはトロイを説得しようと試みる。 「この子は国籍を持っている。この子を殺せば、立派な殺人罪になる上、日本船籍の船で襲ったとして国際問題になるぞ!」  トロイは鼻で笑った。 「そう言えば、おまえの半分は日本人(ジャップ)だったな!」 「そう言うおまえの半分は、中国人(チンク)だったか?」  人種を差別するような言葉を出され、カイルは思わず言い返してしまった。 「俺のルーツは、もっと複雑なんだよ!」  急激に一触即発といった空気になる。それを察知した燈が二人の間に割って入り、立ちはだかった。 「待ってよ、二人共!折角、再会を果たした兄弟なのに、喧嘩はやめなよ!」  その行動に、トロイは呆れさせられる。 「おまえ、立場、分かってるのか?」 「分かってるよ。…だけど、兄弟のこんな再会、間違ってるんだから、止めないといけないだろ?」  ナイフで狙われているにも拘わらず、燈は場の空気を収めようとする。 「間違ってないさ。俺達は仲が良い兄弟じゃなかったんだから。それに、(かえで)に迷惑を掛ける事を選択したカイルを、俺は許せない…。」 「楓じゃなくて、母さんだろ。…母さんにも姫川家にも絶対に迷惑は掛けない。命に掛けて誓うよ。」  燈の仲裁で、カイルは臨戦態勢を解いたようだった。それを見極めたトロイもナイフを下ろした。 「今日の処は見逃してやるよ。…だけど、母さんを危険な目に合わせたら、直ぐ殺しに行くからな。」  トロイはナイフを太腿のホルダーに仕舞うと、セルラーフォンを取り出して操作した。潜水艦に帰還の合図を送ったのだろう。 「おまえはグレイソンの息の掛かった連中にも、それから人工知能のダイアナを手に入れた、ザック・レインって男にも捜索されてる。その事を忘れるなよ。」  改めて燈を見据えたトロイは、彼に危機的状況を伝えた。 「ザック・レイン?」  燈は初めて耳にする名前に、首を傾げた。  ザックの事を伝えてしまったトロイは少し後悔する。自分よりも若く、素直そうなT-S004を、絶対にザックに会わせたくないと思ってしまったからだった。 「…いや、やっぱりザックの事はいい。そいつの事は俺が何とかするよ。グレイソンの件も…見つけ次第、俺が始末してやる。」  トロイは二人に背を向けた。そのまま船尾側へ進み、上って来た階段を目指す。 「ねぇ、トロイ。…またグレイソンに捕まったりしたらダメだからね。」  燈がその背に声を掛けた。 「誰が捕まるかよ!」  トロイが思わず振り返ると、カイルも声を掛けた。 「トロイ!…また、会えるよな?」 「どうかな?両親には俺が生きてるって、話すなよ。」 「…分かった。俺からは話さない。だけど、いつか会ってやってくれ…。」  トロイは返事はせずに、その場を立ち去った。  トロイがアッパーデッキ上に辿り着いた頃、左舷側に二十メートル弱の黒い潜水艦が姿を現した。それを見下ろしたカイルは、思わず声を上げた。 「あの潜水艦、民間のじゃねぇか!トロイの奴、何が魚雷だよ…。」  急に現れて幅寄せられた潜水艦に、いち早く気付いた船員が数人出て来たようだったが、その頃にはトロイの姿はなく、潜水艦も走り去ってしまった。  思ったより、あっさりと諦めてくれたトロイに、燈は安堵の吐息を洩らした。 「クローンの男の子、殺しちゃったの?」  肩を落として戻って来たトロイに、スパロウが操縦席から声を掛けた。 「いや、出来なかった。…今までの奴らと違って、ちゃんと国籍を取得してるんだってさ。」  トロイは潜望鏡を操作するパネル前の椅子に、腰を下ろした。 「それだけじゃ、ないんだろ?」 「まあね…。」  T-S004を殺す事が出来なかったトロイは、ぼんやりとザックに出された条件を考えていた。 ――ザックに体だけじゃなくて、…俺の心も捧げる?…本当にそれでいいのか?本当に、それでアイツは満足するんだろうか?  不安に駆られながらも、トロイの体は次第に熱くなっていく。 「今、好きな奴の事でも考えてた?」  不意にスパロウに見透かされ、トロイは慌てて否定しに掛かった。 「考えてないよ!好きな奴なんて、いた事ないし!」 「そう?少し色っぽい顔してたよ。」 「寝ぼけた事、言わないでくれる?…それより、早く潜水してくれよ。速度が出せないんだろ?」  トロイが急かし始めると、スパロウは複雑な表情をして見せた。 「勝手だな…。長距離、付き合ってあげてるのはこっちの方なのに…。」 「悪かったよ、帰ったら何か奢るから…。」  状況を振り返り、私用で潜水艦を使っていた事を思い出したトロイは、スパロウを宥めに掛かった。

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