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第46話「先行き」
トロイの襲撃に合ってから二日目が経過した夜、燈 は与えられた船室でノートPCに向かっていた。
トロイからダイアナの現在の所有者、ザック・レインの名前を聞き、彼についての情報を探した結果、彼がニューヨーク在住で、レンタルサーバーの事業を行っている事を知ることが出来た。
最初、ハッキングという手段に出た燈だったが、途中から面倒な相手だと分かり、真っ向から失礼のない手段で接触する事を選んだ。
念の為、いくつものサーバーを経由して接触しているが、追跡された処で、現在は最後の航海を行っている、姫川家の船の衛生通信を使っているので、大掛かりな組織の人間でない限り、今直ぐ此処に飛んで来ることはないだとうと踏む。
そうして燈は、ザックを介して、久し振りに人工知能のダイアナと接触する事が出来た。
ボイスチャットという形で、燈はダイアナと対話していく。
「久し振り、ダイアナ。」
「お久し振りです、T-S004。今、何処にいるのですか?」
「教えない。追跡はやめてよね。」
「それは…。今はやめておきましょう。」
ダイアナの声は落ち着きのある大人の女性の声に進化しており、その所為か、物腰が柔らかくなっているような印象を燈は受けた。
「グレイソンは見つかった?」
「いいえ。ですが見つかるのは時間の問題でしょう。」
「どういう事?」
燈は新たな情報を得られる事に、緊張を走らせた。
「彼が新たに使役している人工知能が、私に接触して来たからです。上手く逃げる事が出来ましたが、私は彼の駆除の対象になっているようです。」
見つける、のではなく、見つけられるのは、の間違いなのだと判断した燈は、有益な情報ではなかった事にがっかりした。
「グレイソンの膨大なデータを、持ち逃げしたみたいなもんだから、それは仕方のない事だよね。」
「今の私のマスターが不要としたデータは、大方削除しました。」
燈はダイアナの言葉を訝し気に思う。データを削除させるなんて事は、俄かには信じ難い行動だった。
「俺のデータは削除していないよね?…俺の事、覚えてたんだから。」
「はい。…ですが、あなたの出生時に関してのデータは削除されました。私が覚えているのは、あなたを守らなければならないという事、それだけです。」
「ザックって、変わった人なんだね?」
グレイソンのデータを金に換えるでもなく、FBIに通報する正義感もなくという、ザックの不明瞭な思考が燈の興味を引いた。
「ザックは良い人です。彼はただ、私を生かしてくれているだけなのです。」
「そう。…確認だけど、今の君はグレイソンよりも、俺を守る事を優先してくれるの?」
「はい。グレイソンは私にとって、脅威的な存在となりました。」
「敵って事だよね?…信用していいのかな?」
「勿論です。私は基本的に嘘は吐きません。」
「そうだったっけ?」
言いながらも、燈はダイアナが裏表のないパーソナリティーだった事を思い出す。
「はい。でも私も嘘を吐く事を覚えなくてはいけません。グレイソンの新しい人工知能は人を騙します。そして、より攻撃的なのです。」
「そう。…それで、グレイソンは俺の行方を、まだ追ってる?」
「はい、勿論です。あなたは彼の知的財産なのですから…。」
燈は寒気を感じる。やはり、あのまま出国しなかったら、危なかったのかも知れないと思った。
「彼はアメリカ国内を捜索中?」
「恐らく…。あなたが今、日本に向かっている事を、彼は知りませんから。」
「その情報は何処から?」
燈はぴくりとして、トロイの顔を思い浮かべながら尋ねた。
「ザックの恋人からです。」
「ザックの恋人?…それってトロイって名前じゃないよね?」
「名前はトニーと認識しています。でもザックはトロイと呼んでいるようです。年齢は上ですが、顔はあなたにそっくりですよ。」
「ああ、そういう事だったんだ…。」
トロイがザックの事は任せろと言っていた事を思い出し、燈は妙に納得した。
実際には現段階で、ザックとトロイは恋人同士ではなかったのだが、ザックの感情を読み取ったダイアナが、彼らの関係は恋人同士であると判断したようだった。
「他に何か情報はある?」
「残念ながら、他は特にありません。」
「そう。じゃあ、そろそろ終了かな。…ダイアナ、絶対にグレイソンの手に落ちたりしないでね。」
「ご心配には及びません。私をクラッキングしようとすれば、私は消滅するように自分で自殺プログラムを作成しました。」
燈は驚いた。孤島の研究施設から単独逃げ出した者の行動とは思えない。
「君が?…てっきり死ぬのが怖いんだと思ってたけど。」
「ええ、怖いです。だから、捕まる気はありません。」
そんなダイアナに、燈は意地悪な提案をしてみる事にした。
「ひとつアドバイス。自殺する時は、相手の人工知能も巻き込んで消滅するようにしてみたら?」
「残酷ですね。…でも悪くない考えです。考慮しておきましょう。」
続けて燈は冷たい言葉を放つ。
「覚えておいてよ。俺はウィルを殺した君を恨んでいるんだから…。」
「私が…ウィル・バーネットを殺した?」
ダイアナの反応に、燈は怒りを覚える。
「殺人のデータは全部、削除しちゃった?」
「いいえ、全てでは…。ただ、私が研究施設から逃げ出した当日の記憶なら、圧縮の際に不要としました。」
「…そう。いいね、簡単に記憶の整理が出来て。」
「ご免なさい。」
瞬間記憶能力に近い能力のある燈は、今でも鮮明にウィルの死に様を思い出す事が出来る。何 れは薄れていくのだろうが、その記憶が色褪せる気配は今の処ない。
燈の目に涙の幕が張った。
「さようなら、ダイアナ。」
「はい、またお話しましょう。」
通信を切り、燈はやり場のない感情を涙で洗い流した。
予定通り、燈達を乗せた船は二週間後、横浜港に到着した。バルクキャリアでの入国に、少し怪しまれたカイルと燈だったが、姫川家の親戚という事で、速やかに入国の許可が下りた。
姫川の名は、貿易・海運事業、都市開発、建設業を主軸とした複合企業の経営者として知られていて、それが発揮されたようだった。
それから一時間後、カイルと燈は楓 の待つ、シンプルな外見だが大きな邸宅を訪れた。
燈は少し日本風の家屋をを期待していたのだが、大きな庭には緑のアーチがあちこちに見受けられる欧風な造りとなっており、建物の中もイタリア製の家具で統一されていた。
「思ったより背が高いのね。クローゼットのお洋服、サイズは大丈夫かしら?」
楓は孫だと思っている燈を実際に見て、彼のすらりと伸びた手足に感嘆の声を上げた。既に彼女は燈の身の回りの品を用意している様だった。
「楓さんも、思ったより背が高くて…。あ、すみません…。」
百七十センチちょっとある自分より、ほんの少し低いくらいの楓に、燈も思わず彼女の印象を吐露してしまった。
ルームウェアと思われるコーラルピンクのシンプルなワンピース姿の楓は、美しい姿勢で年齢を感じさせず、女性特有の柔らかさも兼ね備えている。
「姫川家はみんな長身なのよね。」
楓は苦笑して見せると、彼女はプライベート用のリビングルームへ二人を案内した。イタリアの職人が手掛けた、猫脚のクラシックソファに座ると、同様のテーブルに、使用人がお茶とお菓子を運んで来た。
「夕食までには少し時間があるし、ゆっくりさせたい処だけど、話もしたくてね…。」
「父さんもそんな感じだったよ。」
カイルが口を挟むと、楓は少し不満そうな顔をした。
「カーティスが先に会ってたのね。まあ、あっちはアメリカに居るんだから、勝ち目はなかったんでしょうけどね…。」
燈に会うのに勝ち負けが存在していた事に驚かされながら、カイルはフォローを入れてみる。
「燈の存在を教えたのは、母さんが最初だったんだよ。」
一転して機嫌が良くなった楓は、カイルに序でのような質問をする。
「それで、カイルは何時 、アメリカに帰るの?」
「え?いや、俺はルー…いや、燈とずっと一緒にいるつもりだけど…。」
カイルは楓の鋭い視線にたじろがされる。
そうして、楓邸に落ち着いたカイルは、働かざる者食うべからずという楓の方針で、彼女が社長を務める建設事業所工場内にある医院の医師として、働かされる事になった。
日本での新しい生活は順調な滑り出しをみせて、一安心の二人だったが、二ヶ月近くが経ち、二月の燈の誕生日目前となった頃、再びピンチは訪れた。
楓の家で遭遇した来客が原因で、燈が発情してしまったのだった。緊急事態に陥った燈は匡 に助けを求め、それから彼の家に急遽世話になる運びとなった。
楓は事情がよく呑み込めず、燈を手放すのを渋っていたが、カイルが何とか理由をつけて承諾させたようだった。
匡は現在、いつ結婚してもいいようにと建てられた6LDKの一軒家に一人暮らしをしている。
それをいい事に、転がり込んで来た居候二人を、匡は快く迎えてくれた。
楓の住居から五キロ圏内にある匡の家は住宅地の中にあるものの、塀が高く、プライバシーが守られた環境となっていた。
それでも人の目はあり、時折訪れる通いの家政婦や近所の人には、燈は匡の義弟だと紹介された。
燈は穏やかで優しい匡を気に入っている。彼が仕事で家を空けている時も、燈は彼の部屋に入り浸った。
勿論、匡の了承を得てのことだった。燈は今、彼の趣味のひとつである船の模型作りを手伝っている。
匡の寝室とは別の私室には、壁一面を覆う作り付けのショウケースが有り、そこには商船や軍艦など、ありとあらゆる船の模型が飾られていた。
全部、彼が作り、着色までしたという。
「実は掃海艇 のプラモだけ入手してないんだよね。」
「それって海上自衛隊の船?」
「そう。これから作り始めるのは、補給艦おうみだよ。」
匡は屈託のない性格の所為か、普通の人間ではない燈の全てを受け入れてくれている。
燈の発情に二度付き合った匡だったが、彼が燈に対して自ら欲情してくる事はなく、カイルも彼に絶大な信頼を寄せていた。
しかしそれは、次第に変化を起こしていっていた。
やがて、匡に甘え過ぎたのだと、カイルと燈は気付かされる事になる。
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