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第47話「現在」

 月日は人の感情に変化をもたらす。姫川(たすく)は十三歳も年下の少年に恋をしていることを、徐々に受け入れ始めていた。――  トイレだと言ってベッドを抜け出したきり戻らない(あかり)が気になり、匡は彼の姿を求めて寝室を出た。  匡と頻繁に一緒に寝ている事をカイルに窘められた燈は、匡の部屋に戻る事をやめ、自室のベッドで眠りに落ちた。  それなのに、数十分後、燈は匡の気配を感じて目を覚ました。  まだ夜は明けていない。 「匡さん、…どうしたの?」 「燈君が、戻って来ないから…。」  夜目の利く燈は、匡の瞳に欲情を感じ取り、体を固くした。逃げる間も与えられず、布団の中に入ってきた匡が燈に覆い被り、口付けてきた。 「ね…、待って…。普通の十四歳の男は、こんな事しないんだって…。」  燈は顔を背けて拒絶した。それに匡はショックを受けたようだった。 「普通じゃないって、君が言ったんじゃないか…。」  匡は燈の両手首をベッドに縫い付けるように抑え込んだ。燈は視線を匡に戻し、彼を真っ直ぐに見つめる。  ふと、いつから匡とキスをするのが普通になったのだろうか、と過らせた燈は、過去の自分を責めた。 「でも、普通にならないといけないんだ。…匡さんの為にも。」 「俺の為に?…カイルさんに何か言われた?」 「…結婚するんでしょう?」 「しないよ。燈君がいるのに…。」 「俺がいるから?」 「うん…。」  頷いた匡に、燈は質問を投げる。 「ねぇ、匡さん。俺達の関係って何なのかな?」 「それは…。今は…、俺は保護者の中の一人でしかないけど、君が大人になったら…姫川の家を捨ててでも、君と一緒にいたいと思ってる。」  その言葉は真剣そのもので、燈は匡を陥れたような気分になり、責任を感じ始めた。 「そんなの…ダメなんだって。…迷惑だよ。」  匡を突き放すような言葉を燈が放つと、匡が今まで一度も見せた事がなかった、怒りの表情を浮かべた。 「俺を最初に求めて来たのは、燈君の方だろう?」  少し乱暴に、再び唇を重ねられた燈は、抗えない波の訪れを感じていた。 「…やめて、…匡さん。…嫌だ…。」  パジャマの上しか着ていなかった燈は、直に下半身を(まさぐ)られる。 「発情…来たんじゃない?」  燈は答えず、目を逸らした。その小さな顔を掴んで、匡は再び口付けると、唇から洩れる甘い吐息を感じ取った。 「俺の精液、欲しい?」  再度燈の耳元に問うと、燈の体から力が抜けた。 「…欲しい。」  吐息と共に囁かれた言葉で、匡は理性の(たが)を外した。 「あげるよ。一杯、出してあげるから…。」  緩やかに燈の中に侵入した匡は、更に奥まで体を押し進め、断続的に紡がれる燈の嬌声を耳で味わった。  翌朝、匡は燈に揺り起こされて、目を覚ました。まだ完全に日が昇っていない時刻に、燈は身支度を整えた様子で匡を見下ろしていた。  パーカーにスキニーパンツ姿の燈に対して、裸で彼のベッドで跳ね起きた匡は、記憶を辿って慌て始めた。 「あ、燈君、昨夜はご免ね!」 「日付け的には今日だったけどね。」  平謝りする匡に対して、燈は特に何も気にしていないという素振りをみせた。 「ご免。君に拒否されたのがショックで、つい、あんな強引に…。」 「それは、いいんだけど…。カイルに知られたくないから、早く部屋に戻ってくれる?」 「うん。ご免…。」  匡は大きな体をしょんぼりさせると、床に落ちているパジャマや下着を拾って着衣し、それにガウンを羽織って大人しく部屋を出て行った。  それを見送って、燈は溜息を吐く。 ――匡さんの事は嫌いじゃない。寧ろ、気に入ってるんだけどね…。  匡に抱いている感情が、恋ではない事を燈は知っている。  匡の足音が遠ざかるのを確認してから、燈は部屋を出ると、二階廊下突き当り横のカイルの部屋を訪れた。 「It's time to get up, sleepy head.」  爆睡中のカイルの耳元に囁くと、カイルの目が薄っすらと開いた。 「その起こし方はやめろ…。もう、朝か?」 「うん。」  燈は遮光カーテンを開けて、日が昇り始めた薄暗い空を見せた。 「早いな…。今日は何処か出掛けるのか?」 「今日はカイルに着いて行こうと思って。仕事の合間に、発情を抑える為の研究をしてくれてるんだよね?だったら、俺も協力しようと思って…。」 「そうか、…そうだよな。」  カイルは深く納得して見せると、体を起こした。 「抑制剤的なものを、早く見つけないと、学校も行けないもんな…。」 「学校?」  カイルの口から出た意外な言葉に、燈は思わず訊き返した。 「そう。母さんがさ、燈君は来月から中学三年生の筈なんだけど、学校へは行かせないつもりなのかって言ってきてさ…。取り敢えず、今は環境に馴染ませるのを重点的にしてるし、勉強は匡が教えてる事にしてるからって言って、誤魔化しておいた。」  燈は不意に心拍数が上がるのを感じた。予てから普通の子供達と同様の生活を送りたいと、繰り返し考えていたからだった。 「ルーチェは頭の出来も普通より良いからさ、俺は高校からでも大丈夫だと思ってるんだけど、どう?」 「どう…って。…学校、行ってみたいよ。」  顔を紅潮させて答えた燈の頭を、カイルは優しく撫でた。 「幾つか、候補があるんだ。」  カイルが勤務する、工場施設内にある小さな、――医務室が少し立派になったくらいの規模の――病院に着くと、カイルはタブレットでPDFファイルを開いて燈に見せた。  そこには薬品から漢方薬、そして栄養素までがリスト化されていた。 「漢方薬の専門的な知識が足りなくてな。まだ副作用の辺りとか調べる必要があるんだ。ただ、おまえのDNAが普通じゃない分、代謝経路だって一から調べる必要がある。…手伝ってくれるのは助かるよ。」  カイルは副作用が少なさそうな、漢方薬から試していこうと言った。  燈はひとつ、疑問に思う。 「あのさ、効果があるかどうかって、俺が発情しないと分からないよね?」 「ん?…いや、血中の数値で判断するから、後は摂取後の感想でいいかな…と。」 「本当に?」 「ああ、だから、匡で実験とかしないぞ。」 「その辺は了解だけど…。」  今ひとつ腑に落ちない様子の燈だったが、カイルに従うと同意してみせた。  早く発情してしまう体から解放されたいと思う燈だったが、夜になると、カイルには内緒で匡に体を開いていた。  一度、拒絶を見せた日から、匡の方が燈を酷く求めるようになってしまったことも起因して、以前なら何もしないで、ただ一緒に寝るだけというシチュエーションも、最近ではなくなってしまっていた。  いけないと思いながらも、結局、燈は匡を拒むことが出来ずに受け入れてしまう。  四月を迎えると、本格的に社長職に就任した匡は忙しくなり、ほんの少しだけ、燈は彼の執着心から解放された。  その間に、カイルがトリプトファンというアミノ酸の一種が、燈の発情を抑制しそうだということを、血液検査の結果から突き止めた。  トリプトファンは体内でセロトニンやメラトニンに代謝される。それらは精神を安定させる効果があり、メラトニンに至っては性腺刺激ホルモンを抑制するという。  カイルは部屋でビデオゲームをしている燈のもとへ行くと、トリプトファンの入った小さなプラスチックのボトルを燈に手渡した。 「飲んでもいい?」  燈は薬を受け取ると、早速飲んでみることにした。白い錠剤を無造作に(てのひら)に出す。 「一度に三錠までだぞ。タンパク質に含まれる物質だから、普段の食事でも僅かながら摂取されるんだ。…何でも過剰摂取は良くないからな。」  燈は了承すると、ペットボトルの水で三錠を流し込んだ。そもそも発情していないので、その効果は不明だった。 「…匡さんって、帰って来てたよね?」  夜の九時を回っているのを確認して、燈が訊いた。その意図を読み、カイルが険しい表情になる。 「匡で実験するなって言っただろ?」 「だって、本当に効くのか不安だからさ…。」  カイルは険しい表情のまま少し考え込むと、許可を出す事にした。彼も確固たる結果が欲しいのだ。 「分かった。…今日だけだぞ。」 「Now you're talking!」  燈はゲームを終了させると、嬉々として匡のもとへ走って行った。  部屋を出て一階へ降りると、燈は耳を澄まして匡の気配を探した。シャワーの出る音を感じ取り、燈はバスルームへ向かう。  そこで匡が入浴中だと確信した燈は、匡に声を掛けてから中へ入った。 「どうしたの?燈君。」 「体、洗ってあげようかと思って…。」 「有難う。でも、今、洗い終わったとこだよ。」 「そう、残念…。」  燈は間近で匡を見つめてみる。発情の兆しは現れない。 「ねぇ、燈君も入っておいでよ。」  燈は実験だと言い聞かせ、匡の誘いに乗った。 「最近、ご免ね。…忙しくて、ベッドに入ると直ぐ寝ちゃうんだ。」  匡が裸になった燈を抱き締めた。匡の褐色だった肌は、航海士をやめてから幾分、褪めてしまっていた。 「もう温かくなって来たし、一人寝も悪くないよ。」  燈は匡が勃起している事に気付いた。しかし、それでも発情の兆しは現れない。 「カイルがね、発情を抑制する効果のあるサプリを見つけてくれたんだ…。」 「そうなんだ。…それで、今、実験してるんだね?」  匡に悟られ、燈は素直に認める。 「そう。今のとこ、大丈夫みたい…。」  燈が平然とした表情を見せると、匡が本気を出してきた。 「じゃあ、キスしてもいい?」 「え…?」  燈が答える間もなく、匡がキスをしてきた。濃厚な舌を絡めるキスに燈が耐え続けていると、その舌は耳朶や首筋までも責め立てた。 「あ…ダメだ…!来ちゃったみたい…。」  燈は思わず声を出し、発情してしまった体で匡に抱き着いた。  その様子に匡は薄く微笑むと、燈に背を向けさせて壁に手を付かせた。そしてその臀部に舌を這わせ始める。  間もなくして、バスルームに燈の艶めかしい声が響き渡った。  翌朝、燈はカイルの部屋に報告に行った。 「カイル、これ、直接攻撃だと効果なかったよ!」  まだ寝ていたカイルの頭上で、サプリメントのボトルをジャカジャカと振ってみせる。 「…って事は、また匡と寝たのか…!?」  燈からサプリメントのボトルを奪って、カイルは起き上がった。 「途中までは大丈夫だったんだけど、キスされてるうちに、段々と…こう、熱くなっていって…。」  カイルは咳払いをした。そして、寝起きの頭であるにも関わらず、鋭く指摘をしてみせる。 「おまえに足りないのは忍耐力だ!…サプリメントだけに頼ったらいけない!」 「忍耐力?」 「快楽を知ってるから、自分から望んでしまう事もあるだろう?…途中まで効果があったんなら、その時点で相手から離れたらいいし、回避できる時間はあった筈だ。」 「なるほど。…忍耐力ね!」  深く納得した燈に、カイルはサプリメントを返した。 「もう匡で実験するなよ!」 「したくなくても、する事になるよ。今、性的なフェロモン匂わせてくるの、匡さんしかいないんだからさ!でも、忍耐力で発情に打ち勝てば問題無しでしょ?」  燈は足取り軽く、カイルの部屋を出て行く。 「おい、こら、ルーチェ!」  カイルは頭を抱えたが、溜息を吐いて燈を見逃した。

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