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第9話「カイルの旧友」

 病に伏した父親の代わりに、二十年以上前に起こった兄の誘拐事件の捜査に乗り出したカイル・エマーソンは、兄の死を確認するのを目的として動いていた。  そうする事で、父親を捜索の呪縛から解放できると思ったからだった。  十六年程前、兄、トロイ・エマーソンらしき人物が事件に巻き込まれ、消息を絶ったと、 誘拐を専門に担当しているFBI捜査官からの情報を最近になって得た。  何故、今頃分かったのかと執拗に問うと、その事件の首謀者だと容疑を掛けられていたスターリング・グレイソンという男が、別件で再浮上したからだとの事だった。  その際に行われた、過去の事件の洗い直しのデータの一部が、顔認証システムにヒットしたのが切っ掛けで、元CDC職員のモーラ・パターソンに辿り着いたらしかった。  それ以上の詳しい内容は教えて貰えず、FBIがマークしているスターリング・グレイソンを自ら調べる他ないのか、と頭を抱える。 暫く悩んだ後、一人のIT系の友人を脳裏に馳せらせた。  ハイスクール時代の友人で、インド系アメリカ人のマーダバン・パテール。  彼はインド工科大学を優秀な成績で卒業し、現在はシリコンバレーでIT企業の幹部をしている。  日付が変わるぎりぎりの時間だったが、カイルは躊躇なく電話する。数回のコール音で相手が出た。 「カイルだ。起きてたか?」 「久し振り。起きてるよ。こっちは十時になるとこだし…。何かあった?まさか、結婚の報告じゃないよな!?」  テンションの高い早口が、カイルを苦笑させる。 「結婚の予定はないよ。…パテールと一緒で、まだ独身生活を満喫してる。」 「俺は相手が見つかり次第、直ぐにでも結婚したい!…で、何のようだよ?PCでもフリーズしたか?」 「そんなんで連絡しねぇよ。…実は最近になって、いなくなった兄貴の情報が入ったんだ。」  カイルは経緯を丁寧に説明した。 「…それで、俺に調べてほしいって?」 「いや、まあ、そうなんだけど…。」  パテールに見透かされて、カイルは言葉を濁した。 「悪いけど、FBIをハッキングなんて事はしたくない。アメリカは監視社会だ。…この会話だって、誰かに拾われる可能性は充分にある。…カイルの目的は、兄貴の死の証明なんだよな?」 「ああ。…生きてるなら、親父に会わせてやりたいとは思うけどな。」 「さっき顔認証システムの事、言ってたけど、顔認証システムは今、公共の場の監視カメラにも組み込まれてる。表向き、利用者の性別、年齢のみをリサーチしてるだけっていう商業目的の会社もあるけど、政府の手が回ってれば、個人情報を割り出されてる可能性は高い。今まで顔が引っ掛からなかった兄さんが、生きてる可能性は少ないって言えないか?」 「…そうだな。」  同意したものの、カイルは腑に落ちずに眉間に皺を寄せた。きっと彼の父親も納得しないだろうと予想する。 「ただ、顔認証システムを掻い潜る方法はあるからな。…例えば整形とか、ハクティビストだったら情報を改竄するとかね。…CIAの犬なら、それなりの恩恵だって受けてるかも知れない。」  パテールの推測に、一筋の希望の光を感じたカイルは、自分自身も兄の生存を望んでいる事を実感した。 「なあ、パテール。FBIは無理でもスターリング・グレイソンの事なら調べられるだろう?」 「…うん?実はもう調べてるよ。さわりの部分だけどね。」  常に先に動くのがパテールだったと思い出し、カイルは改めて感銘を受けた。 「あれ…、そういやグレイソンって奴…。」 「何か知ってるのか?」 「八年くらい前になるかな、人工知能のプログラムの補正と、アドバイザーを三年程勤めてた。…会社じゃなくて個人の顧客だったけど、支払いのいい客だったよ。」  カイルは何かの真相に関係があるかも知れないと、体を熱くさせた。 「八年前?…具体的には、どんな?」 「監視セキュリティ用の人工知能で、当時はディープラーニングもそれ程機能してなかったから、俺が教育係をしてたんだよね。ディープラーニング本格導入後に俺はお払い箱になったんだ。」 「ディープラーニングって、自分で学習する奴か?」 「そう。その人工知能は…名前はダイアナって付けられていたかな?…そいつは人に危害を与える事を許されていた。だから、そこをこっそり修正しようとしたんだけど、見つかって厳重注意されちまった。ダイアナは監視者だったから、直接手を下したりは出来なかったし、指示を出された人間が動かない限りは大丈夫だと思って、その時は手を引いたけど、今はどうなってるか分からないよな…。」  ハイテクな監視システムを要していたグレイソンという男は、必ず裏で何かやっているとカイルは確信する。 「おまえは、その人工知能にアクセス出来ないのか?」 「…どうかな?…やれるだけはやってみるけど。」 「有難う、マーダバン・パテール。」  カイルは敬意を表してフルネームで礼を言った。 「期待はしないでくれ。…あと、そうだ!カディーラの本拠地、シアトルだろ?おまえ、シアトルのFBI捜査官と親しくなってなかったか?」  不意な言葉に、カイルは首を傾げる。そして記憶を辿り始めた。 「五年前かな?シアトルのテロ予告があった件…。」 「ああ、それか!」  パテールのヒントを得て、漸くカイルは五年前にテロリストの集団を捉える為に派遣された事を思い出した。FBIとは協力体制を組んでいたので、その際に一人の捜査官と親しくなった事を思い出した。同時に、パテールの記憶力に脅威を覚える。 「そいつにも連絡とってみれば?…同じ国家の犬だし、何か教えてくれるかもよ?」 「嫌な言い方するな…。犬って言うなよ!」 「俺は好きだよ、カイルみたいな大型犬。…じゃあ、今日はこの辺で。何か分かったら連絡するよ。」  一方的な早口でパテールは電話を切ってしまった。カイルはパテールを信頼しつつ、次の情報源にターゲットを変える事にした。  スマートフォンのアドレス帳を開いて、再度、シアトル支局(ディヴィジョン)のFBI捜査官の記憶を辿る。 ――スティーブン・ランター…、こいつだったよな。  既に日付は変わってしまったが、パテールの住んでいる場所と変わらない時差だと認識すると、思い切って電話を掛けた。 「ランター捜査官?…カイル・エマーソンだけど、覚えているかな?」  自分が忘れていた分、相手も忘れている可能性が高い。恐る恐る問うと、相手は思いの外、フレンドリーに応じてくれた。 「覚えてるよ!格好いいSARCの軍人さんだよね?…五年振りくらいかな…、どうしたの?」  ほっとした後、カイルは相手がほんのりゲイっぽかった事を思い出す。 「急に、悪いな。こんな時間に…。」 「今、帰宅したとこだったし、問題ないよ。」  先程のパテールと対照的で、ゆっくりとした柔らかなトーンで言葉が返って来る。 「忙しいんだな?今も変わらずシアトル勤務か?」 「そうだよ。そっちは?」 「今は休暇中で、ダラスの自宅にいるよ。」 「いいね。…こっちは連日捜査だよ。」  カイルは核心に入る。 「君が追っている事件はスターリング・グレイソンの件?」 「どうだったかな?…もしかして、情報提供者?」  はぐらかしつつも、ランターは食いついてきた。カイルは少なくとも何か知っているに違いないと踏む。 「俺の兄はグレイソンに殺されたかも知れない。」 「何か確証はあるの?」 「…実はそれを調べてる。十六年前のCDCのスパイ事件に絡んでた兄が、消息を絶つ前に接触していたと思われるのがグレイソンなんだ。」 「十六年前か。…その頃、僕は可愛い高校生だったな。」  話をはぐらかされて、カイルはムッとする。 「グレイソンの過去の洗い直しは、やってるんだろ?」  ランターの笑ったような吐息が聞こえた。 「確かに今、グレイソンを追っているけど、君の知りたい件は調べていないよ。…グレイソンはカディーラの社員を拉致してるらしい。家族から捜索依頼が出たんだ。」  真実を話してくれた事にほっとしたが、同時に協力を拒まれた事もカイルは感じた。急遽、駆け引き出来そうな情報を組み立てる。 「グレイソンは人工知能の監視セキュリティを使っているだろう?それにアクセス出来たのか?」 「…知ってるの?」  ランターの声に緊張が窺え、カイルは情報を小出しにしていく。 「俺の友人が、そのダイアナっていう人工知能をプログラムしたんだ。」  正確には教育係というところだったが、カイルは少し情報を捻じ曲げて提供した。 「その友人を紹介してくれないかな?」 「いいけど、条件がある。」  電話の向こうから、今度は軽い舌打ちが聞こえた。 「何かな?」 「俺も一緒に会いに行くから、その時、詳しく情報交換しよう。」 「強引な展開だね。でも、嫌いじゃないよ。君の事は特にね!」  パテールの了承も得ずに、カイルはランターとシアトルで会う約束をした。

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