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第12話「グレイソンの島」

 シアトルの中央図書館内の三階ロビーで、不機嫌な顔のインド系アメリカ人の友人を従えたカイル・エマーソンは、FBI捜査官のスティーブン・ランターを待っていた。 「本当にホットチョコレートで良かったのか?」  カイルは館内のカフェでを購入したした熱い飲み物を、友人、マーダバン・パテールに差し出した。その視線はパテールのせり出した腹に注がれている。 「太ったって話なら、もう聞き飽きたよ。…高校の時は痩せ過ぎだったんだよ。今は標準よりちょっと太めなだけだ。」 「年々、質量増してってるから心配しただけだよ。…今日は本当に感謝してる。忙しいのに付き合ってくれて。」  ランターとの交渉の為に無理矢理シリコンバレーから呼び出した友人が、怒って帰ってしまわないようにカイルは早めに低姿勢に徹した。  パテールの座るソファにカイルも腰を下ろし、スマートフォンで時間を確認する。待ち合わせの時間から三十分が過ぎようとしていた。 「このまま来ないんじゃないか?」 「こっちが急に約束させたからさ。…忙しいんだよ。」  カイルは買って来たエスプレッソを啜ると、網目状に張り巡らされた格子状のガラスの外に目を走らせた。  今いる場所は三階だが、傾斜した土地を利用して建てられた建造物の為、5thアベニュー側からすると、ここは一階のように感じられる。  飲み物がなくなった頃、漸く待ち人は現れた。特に遅れた風もなく、ゆっくりと歩いて来る小綺麗な印象の男は、笑顔でカイルの前に立った。 「お待たせしちゃったね。…久し振り、会えて嬉しいよ。そちらが例の…?」 「マーダバン・パテールだ。…こっちはスティーブン・ランター連邦捜査官。」  仲介役のカイルが簡単に紹介する。握手を済ませると、ランターが場所を移動しようと提案した。エスカレーターで一気に一階まで降りると、4thアベニュー側のエントランスから外へ出た。 「少し早い昼食にしないか?…待たせた分、ご馳走するよ。」  小綺麗なランターが、通り掛かりの小綺麗なレストランへ二人を誘った。  適当に注文すると、早速ランターはパテールを観察し出した。あからさまな視線にパテールはムッとしている。 「インドの人?」 「アメリカ生まれのアメリカ育ちだよ。最終学歴はIIT(インド工科大学)だけどね。」 「それは、凄い。天才なんだね。…それで、ダイアナっていう人工知能の事なんだけど。」 「それを訊きたいなら、条件がある。」  ランターの流れにカイルが口を挟んだ。 「俺の兄がグレイソンと接触して、どうなったかを調べて欲しい。」  ランターは軽く溜息を吐く。 「君のお兄さんの件は、誘拐担当の捜査官達が頑張ってくれてるよ。」 「グレイソンに彼らが接触して、何か得られるとは思えない。だから、別件でグレイソンの逮捕に協力したいって思ってる。」 「へぇ、どうやって?」  その問にはパテールが口を開いた。 「ダイアナを追跡したんだ。…学習好きな彼女にトラップを仕掛けた。人工知能の自己防衛に関する情報を提示したら、彼女の方からアクセスしてきたんだ。追跡には時間が掛かったけど、彼女の本体がとある孤島に在る事を突き止めた。」 「彼女、なんだ…。」  早口なパテールの説明に、おっとりした口調のランターは着目した点を誤魔化した。しかし本当は孤島の所在地に着目している事をカイルは見抜く。 「う~ん、どうしようかなぁ。」  食事が終わるまで、ランターは悩み続けていた。 「放っておくと、独自に動きそうだし…。捜査妨害で勾留するか、協力者として招待するかしないといけないみたいだよね?」  数十分後、カイルとパテールはビジターのプレートを付けて、FBIの捜査本部に通されていた。大きなホワイトボードにはグレイソンの写真と若い女性の写真を中心に、相関図が描かれている。 「彼女はシルビー・ザナージ、三十四歳。カディーラの研究職員だ。一ヶ月前から彼女はビデオ通話を通して、家族に助けを求めてきた。」 「美人だな!とても三十四歳には見えない。」  パテールが被害女性の写真に食いついた。 「ビデオ通話からの写真だから、ちゃんと最近のものだよ。若見えの家系なんじゃないかな?通報してきた彼女の三十二歳になる弟に会ったけど、彼も年より若く見えたよ。」  ランターがマシュー・ザナージと記された写真をノックして答えた。 「シルビーがいる場所は人工知能が監視していて、グレイソンを裏切る行為をすれば、その人工知能に殺されるらしい。俄かには信じ難い話だけど、シルビーは弟にだけ分かる暗号を使って助けを求めて来た。…お祖母(ばあ)ちゃんのPCのキーボードを覚えてる?そう、彼女は言って、アルファベットを幾つか並べ立てた。…Q、R、コロン、W、D、J、T、O…とか、そんな感じで。最初は何を言っているのか弟も理解出来なかったらしいが、実際に祖母の遺品であるPCのキーボードを見て、子供時代に作って遊んだ暗号文だって気付いたらしい。その遺品に似てるキーボードがこれ。」  デスクの上に単独で置かれたPCの黒いキーボードを示され、カイルはハッとする。 「俺の母親も持ってたよ。日本製のだろ?キーにはアルファベット以外に日本の文字が割り当てられている。」 「カイルの半分は日本人なんだね!じゃあ、日本語、わかる?」  ランターの問いに、カイルは得意気に答える。 「話せるよ。母とは日本語で会話していたからな。」 「それは素晴らしい。ザナージ家の祖母は日本人だった。ザナージ家の姉弟は日本語を覚える傍ら、このキーボードを見て暗号を作って遊んでいたんだ。」 「Q、R、コロン、W…。日本の文字で読んでいくと、意味のある言葉になる!訳すと助けて…だろう?」 「そう!…幾つかに分けて送られたメッセージの解読から、何処かの孤島に幽閉されている事が分かった。」  ホワイトボードには孤島の所在地は不明とされていた。それを見たパテールがニヤリと笑みを浮かべる。ここへ通された理由を理解したからだろう。 「それにしても、よくそんな暗号なんて…。そのシルビーって女性は手元に日本製のキーボードを持っているのか?」  カイルは感嘆の溜息を洩らす。 「いや、彼女は記憶してるんだってさ。…彼女も天才なんだよ。」  ランターはホワイトボードの工場の写真を指した。 「表向きシルビーはカディーラ本社とは別の、ウェストシアトルにある工場に勤務となっている。ビデオ通話の発信も、その工場に隣接された寮からのものになってた。今は捜索依頼の件は伏せて行動しているから、工場の方に倫理審査委員会を手配して、そのガサ入れに同行して探ってみたんだけど、出勤表の確認も出来たんだよね。…で、偶然を装ってシルビーと知り合いだから、会えないか問い合わせたら、彼女は手が離せなくて今は会わせられないから、後日アポイントを取ってから出直してくれって言われた。」 「それって…後日、アポイントを取れば、彼女は島から呼び戻されるって事か?」 「監視の元に彼女に会っても、島に囚われている事は話さないだろう。そうなると事件じゃなくなってしまうんだ。」  カイルとランターのやり取りを静かに聞いていたパテールが、コンピューター前に座る赤毛の女性捜査官の傍に移動した。 「抜き打ち検査を、彼女のいる孤島でやればいいんだよ。」 「そう、そうなんだよ。…だけどグレイソンが所有している島はなかった。」 「グレイソン所有のはね。」  パテールが女性捜査官のキーボードを拝借して何やら打ち込んだ。女性捜査官のサポートで、大型モニターにその内容を映し出す。 「ダイアナの所在地はこの島。所有者はルネ・ガンドルフィーニ。十八年前に獄中死したマフィアの幹部だった男だよ。正式に譲渡はされていないようだけど、何らかの繋がりがあったんじゃないかな。」  画面には北太平洋の地図にも載っていないような小さな島の位置情報と、所有者の顔と名前が出ていた。 「そうか、その男なら、人が住める施設を秘密裏に島に建てられそうだ。…直ぐに裏を取らせるよ。」  ランターが電話を始める。 「あいつ、偉い人なの?」  パテールが女性捜査官に小声で問う。 「彼は上級捜査官ですよ。この部屋の人間は、全て彼の部下です。」  その答えにパテールは苦笑いを浮かべた。 「島に潜入して、人工知能に虐殺される可能性ってあるかな?」  部下に連絡を終えたランターは、先を考え始めたようで、パテールに質問した。 「恐らくだけど、カディーラの社員はマイクロチップを埋め込まれて管理されている。その中でも島にいる人間達は特殊な物を埋め込まれていて、それを爆発させる力をダイアナは持っているんだと推測される。」  パテールの答えにランターは深く頷いた。 「なるほど、じゃあ、ダイアナは僕達に手出しは出来ないんだね?」 「でもシルビーが危ないんじゃ、そう易々と連れ出す事は出来ない。…電磁パルスで島全体の機器を破壊するってのはどうだよ?それならダイアナなんか一巻の終わりだろ?」  カイルが過激な発案をしてくる。 「そんな事したらコンピューター内の証拠が消されてしまう。グレイソンの研究成果が見られなくなるよ。…それに、EMP爆弾とか、その手の武器は所持してないからね!」  ランターが却下した処で、パテールがカイルを支持するように別の提案を持ち掛ける。 「それでも人命が優先だろう?最悪な場合、データは捨てるべきだ。ダイアナの動きを止めるUSBキラーを持って来たよ。これを島にあるコンピューターのどれかに挿せば、ダイアナは記憶を失って一時的に死ぬ。自力で再起動も出来ない。」 「分かったよ。最悪な場合はそのUSBを使わせて貰う。」  ランターは承諾すると、部下に召集を掛けた。そしてカイルに断りを入れる。 「明日ガサ入れに行ってくるよ。…君達は待っていてくれ。ご協力、感謝する。」  カイルはそれを受け入れずに、ランターの腕を掴んだ。 「俺も同行する。俺はSARCだ。島に上陸する事や、建物に侵入する事は、君達以上に慣れている。」  ランターはカイルの熱を感じ、顔を赤らめる。 「知ってるよ。だって、君は僕の憧れの人なんだから!…だけど、これには介入させられない。」 「なあ、頼むよ。同行させてくれ。…兄さんがその島に監禁されているかも知れないんだ。」  頭を抱えたランターだったが、特例だと言って渋々同行の許可を出した。

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