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第18話「ルーチェ~光~」

 孤島の研究棟で幽閉されて育った少年は、窓のある部屋で目を覚ました。  ベッドを抜け出し、カーテンを開けると、薄っすらと空が明るくなってきていた。窓から下を見下ろすと、車が行き交い、歩行者も数人みられた。  この部屋に来て四日目だというのに、少年は目覚める度に救済された事を実感する。  寝室を抜け出すと、甘い香りが漂っていた。誘われるようにダイニングルームへ赴くと、三十代半ばの男がパンケーキを焼いていた。 「おはよう。…起きて来てくれて嬉しいよ。」 「おはようございます、ランターさん。手伝いましょうか?」  少年が気遣いを見せると、男は礼を言って、コーヒーを二人分、カップに注ぐように頼んだ。 「気分はどう?」 「悪くないですよ…。ただ、気掛かりな事はなくならないから…。」  少年の前で朝食の準備をしている男、スティーブン・ランターは、FBI捜査官であるにも関わらず、少年が違法な手段で出生した事を隠蔽してくれた。そして、一人暮らしの自身の住まいである、アパートメントの一室を提供し、衣類も貸してくれた。 「君の詳細を知る者はグレイソンを除くと、女医の二人とベネット夫妻なんだけど、彼らはシルビー・ザナージが代理母として君を出産したという事実以外は、証言しないと約束してくれた。…君の親権については、カイル・エマーソンに託す事を僕が選択した。シルビーの遺言でもあったしね。」  朝食の準備が整い、二人はテーブルに着いた。 「…エマーソンさんは、いつ退院出来るんですか?」  少年は自分を庇って負傷した、家族になろうと申し出てくれた男の身を案じた。 「カイルね。本人は毎日、今日にでも退院したいって言ってるけど、あと三日は掛かるかな。でも、彼、…銃弾を喰らったのに、タフガイだよね!」    ランターはカイルの話になると顔を綻ばせる。彼に好意的だという事は一目瞭然だった。 「特殊水陸両用偵察衛生兵(SARC)でしたね。」 「うん。でも、…カイルは退院したら、除隊の手続きをするって言ってたよ。」  僅かにランターの声のトーンが落ちた。   「…怪我が原因で?」 「違う。なるべく君の傍にいる為にだよ。…ああ、彼の軍服姿が、もう見られないのは残念だなぁ。」  ランターの沈んだ表情が一転して嘆きに変わり、少年は自分が原因だと責められた気がした。 「あの、…すみません。」  少年が謝ると、ランターは慌てて笑顔で取り繕った。 「あ、いや、今のは感想だから。…カイルは何着ててもカッコイイんだよ。ね!」  少年はカイルの容姿を思い出す。 「えっと…、そうですね、はい。」  そして素直に同意した。  翌日、医師の診断を押し切って無理矢理退院したカイルは、ランターへの丁寧な挨拶の後、シリコンバレーでソフトウェア開発に携わっているという親友、マーダバン・パテールの元に暫く世話になると少年に告げた。  パテールが手配してくれたチャーター便で、三時間後には州を越え、クパティーノにある彼の豪邸に二人は到着した。  約七千平米近い敷地内に建てられた二千五百平米近い大きさのその家は、外だけじゃなく、屋内にもプールがあり、ベッドルームは七つあるという。 「初めまして、カイルの友達のマーダバン・パテールだ。」 「初めまして…。」  少しぽっちゃりしたインド系アメリカ人のパテールに自己紹介され、少年も名乗ろうとしたが言い淀む。シルビーが勝手に名付けた光を意味するルーチェという名前は、自身を影だと思いながら生きてきた彼にとって、おこがましいものに感じられていたからだ。 「ルーチェだ。よろしくな。」  代わりにカイルが答え、少年、ルーチェの頭を軽く叩いた。  玄関を抜けると、採光を考慮された明るいリビングルームが広がっており、幾つかの細い階段がインテリアのように上へ続いていた。 「怪我は大丈夫なのかよ?」  中央の大きなソファに座るように指示した後、、パテールがカイルを心配した。 「完璧じゃないけどな。動けるようになったし、日常生活は問題ないよ。」 「そんなんじゃあ、ルーチェを守れないぞ。」 「だから、ここに来たんだろ。」  カイルはルーチェに向けて自慢気に話す。 「こいつの家はインテリジェントハウスなんだけど、セキュリティが半端ないんだよ。先ず、ハッキングは不可能!怪しい奴も侵入不可能!」  パテールは溜息を吐いて見せる。 「…好きなだけ居てくれよ。」  こうして、ルーチェの世界は激変していく――。  カイルが退役手続きや今後の生活の準備の為に外出している間、自宅で仕事をしている事が多いパテールが、ルーチェに様々な物を与えて教育してくれた。  最初は暇つぶしのビデオゲームをプレイするところから始まり、パテールが専門とするソフトウェア開発に関する内容を把握すると、自身で何かを構築していく事を覚えた。 「ルーチェ、凄いね!一昨日、ゲームを始めたと思ったら、今日はプログラムを組み始めたよ。…まあ、俺が教えたんだけどね。人工知能並になんでも学習するよ!…瞬間記憶能力みたいなのが、あるみたいだね。」  一流シェフを呼んで作らせたディナーを楽しみながら、パテールがルーチェを称賛した。 「あんまり変な技術とか教えんなよ。」  カイルは少し面白くなさそうだ。 「変なって、何だよ!」  ルーチェは二人のやりとりを見るのが好きだった。少しずつ砕けた話し方を学習していく。  孤島を脱出してから、ルーチェは一度も発情していない。あの島にいた一部の男達がおかしかったのだと、改めて気付いた。 「…名誉除隊にしてもらえたんだって?」  パテールがカイルのグラスにシャンパンを注いだ。 「ああ、今迄の功績を認めてもらえてね。…普通と名誉除隊じゃ、待遇が全然違うからな。」  正式な手続きを終えて、カイルは一息つけそうだと付け加えた。 「あの…、カイル、俺の為に…ご免ね。」  予てから謝りたかったルーチェは、おずおずと言葉を発した。 「元々、守りたい人が身近に出来たら、除隊するつもりだったんだ。…謝る必要はない。」  その言葉に、ルーチェは再び胸を痛める。カイルの本当に守りたかった人は、既にこの世を去ったシルビー・ザナージなのだと知っているからだ。  悲し気に微笑んでから頷くと、カイルの手がルーチェの方へ伸びてきた。 「おまえさ、それ、切っちゃわない?」  カイルが肩に掛かるルーチェの髪を二本の指で挟み、切る素振りを見せる。大きくなり掛けた鼓動を宥めつつ、ルーチェはカイルを見つめる。 「いいよ。…カイルが切ってくれるの?」 「ああ、いい感じに切ってやるよ。」  カイルがパテールにバリカンを求めた処、パテールが美容師を家に呼んでやると言った。  一時間後、夜間の急な呼び出しにも関わらず、セクシーな三十代前半の女性が訪れる。  カイルが別のサービスを呼んだのではないかと慌てたが、彼女はクパティーノで一番の美容師だと、パテールが紹介した。  そのままリビングルームで散髪が行われ、ルーチェの腰近くまであった髪は惜しげもなく切り捨てられていった。  美容師がスタイルを整えていく際に、カイルが横から「もっと、もっと!」と口を出していく。 「それ、切り過ぎじゃないか?」  パテールがルーチェの仕上がりを見て、声を上げた。  カイル程の短髪ではないが、襟足がスッキリし、前髪は短く立ち上がっている。 「一度、これくらい短くなった兄貴を見たかったんだよね!」  カイルから復讐心のような気配を感じ取ったルーチェだったが、鏡で確認して悪くないと思い、カイルの言動は軽く流した。 ――変わる。…変われる。  今までとは大きく違った自分に、ルーチェは自分を変える第一歩を踏み出した気がした。  数日後、ランター捜査官から協力依頼の連絡があった事を、カイルはパテールから告げられた。 「ダイアナが逃げ出したって?」  孤島の研究員達を管理していた人工知能が、回線を伝って逃げた事実にカイルは酷く驚かされていた。 「うん。データの復旧作業をしていた捜査官が、ダイアナが逃走した形跡を見つけたって。…500テラバイト近い容量だったから、容易く逃げられない筈なんだけど、やり遂げた可能性は捨てきれない。…自己防衛を教えたのは俺だしね。」  カイルは自室にいるルーチェを気に掛けた。 「探せるのか?…手伝うんだろ?」  パテールはしかめっ面になる。 「探すよ。…ボランティアでね。…ランターの奴、この俺を只で使おうとはな!」 「この事、…ルーチェは?」 「知ってるよ。…今、PCの前で独自のアルゴリズムに掛けて調査中だ。…グレイソンとダイアナが出会ってない事を祈るよ。」 「奴はルーチェを諦めてないと思うか?」 「思うね。…あんな完璧な子供、存在を知れば、政府だって欲しがるかもしれない。」  カイルはルーチェの身辺警護を徹底しなければならないと強く思った。

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