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第19話「暗殺者」

 ニューヨークに幾つかあるチャイナタウンの中に、人知れず運営されている売春宿があった。そこは高級中華料理店に併設されており、利用者は全て会員制となっている。その利用者の中には、議員や、大手企業の役員等もいるという――。  その一室で中年の白人男性が、青いチャイナドレスを着た美しい青年をテーブルに座らせて、酷く興奮していた。 「触っても…いいかな?」  純粋な中国人には見えない、東洋系の青年が美しく微笑む。 「どうそ、好きにして下さい。」  男は毛深い手でチャイナドレスのスリット部分から手を差し入れ、青年の白く細い太腿を引き上げた。そして、その内腿に舌を這わせる。それから空いている手を奥に忍び込ませた。  そこに下着の気配は無く、最奥へ辿り着くと、グチュグチュと温かい液体が絡んできて、男は感銘を受けた。 「本当に濡れるんだね?」  男はもどかしくなったかのように青年をテーブルから降ろすと、ドレスを脱がせ、ベッドへと移動させた。そこで自身もベルトを外して、下半身を露出すると、青年に咥えるように指示を出した。  青年は従順に従い、巧みな舌遣いで男を満足させていく。  暫く堪能した後、男は青年の無駄のない均整のとれた体を全体的に嘗めまわすと、ベッドにうつ伏せに倒し、腰を突き出させた。  そして、ゆっくりと熱い塊を青年の中に埋めていく。  青年が甘い吐息を静かに上げ始めた。  その時、バスルームの方から物音がした。白人の男は少しだけ現実に引き戻される。行為を止めるか迷っていると、バスルームから黒のライダースーツに黒いフルフェイスヘルメットを被った男が、サイレンサー付きのハンドガンを構えて現れた。  男は弾かれたように青年との結合を解き、腰を抜かして床に尻餅をついた。 「ま、待って…、待ってくれ!…金ならある!」  黒尽くめの男は怯える男には目もくれず、迷いなく美しい青年にハンドガンを向け、その眉間をぶち抜いた。 「…胸クソ(ワリ)ィ…。」  吐き捨てるように呟くと、黒尽くめの男は元来たバスルームへと姿を消した。  バスルームの窓から外へ抜け出した男は、闇に紛れるようにして敷地内を抜け出し、街中の監視カメラを避けて置いていたバイクまで走った。  男は辿り着くと、ヘルメットを外して大きく息をして呼吸を整える。そこには先程殺された青年と同じ顔があった。  彼は疲れた顔で、スマートフォンを取り出してコールした。 「終わったよ、駒鳥(ロビン)…。」 「そう。…他に居ない事を祈るわ、白鷺(イーグレット)。」  半年前、ニューヨークの州検事局で調査スタッフとして働いている青年を、検事補の一人が自室へ呼び入れた。  均整の取れたスタイルに黒縁の眼鏡を掛けた青年は、この場所では珍しいダウンジャケットにジーンズといった出で立ちだった。 「トニー君…、君は中国系だったかな?」  黒人の検事補は、東洋系である青年の顔をマジマジと見つめる。 「いいえ、日系です。」  青年は偽りを即答する。幼い頃、日本人女性に育てられたので、日本語の方が堪能な彼は、よく日系の振りをしていた。 「…本当に?…弟とかはいる?」  青年は潜入捜査でここに居る為、少しだけギクリとした。身元が割れる筈はないと思いつつも、実際に弟がいるので警戒させられてしまった。 「…いいえ、いませんよ。」  否定して見せると、検事補は首を傾げた。 「じゃあ、他人の空似なのかな…。」  その一言で、青年は概ねを理解する。 「私に似ている誰かに会われたのでしょうか?」 「…実はね、この前、知人の伝手でチャイナタウンの売春宿へ立ち寄ってみたんだ。そしたら、君にそっくりな子がいてね。…年は二十代前半って感じだったから、君の弟なのかと思ってしまったんだよ。」  青年は一気に不機嫌な顔になる。 「そんな商売をしている弟なんかいませんよ。…そこで変な遊びをされて来たんじゃないですよね?」 「も…勿論、してないよ。私は忙しい身だからね。」  検事補を疑いつつ、青年は気になる気持ちを抑えきれずに問う。 「…その店、何処にあるんですか?」 「やっぱり、君の弟だったんだろう?」 「違いますって!…ただ、そんなに似ているのなら、一度見てみたいって思っただけですよ。」  検事補から売春宿の情報を貰うと、青年は怪訝な面持ちで退出した。  州検事局を出て、青年はクリスマスムードの街中を五ブロック程、車で走り、警備会社の看板が掛かったビルの地下駐車場へ入って行った。  車を降りると、従業員専用と書かれた重い鉄の扉を開け、更に地下へ続く階段を下りて行く。辿り着いた先は、大容量のサーバーシステムと、無数にあるモニターが所狭しと配置された特殊な空間だった。  その中央に座ってキーボードに指を走らせるブロンドの女性に、青年は買って来たコーヒーを持って近付いた。 「あら、イーグレット!汚職の調査は終了?」  女性は嬉しそうにコーヒーを受け取ると、横の空いている椅子を彼の前に差し出した。 「今日のところはね。」  青年は椅子に座って、黒縁眼鏡を外して胸ポケットにしまうと、自分もコーヒーを啜った。  此処は元FBI捜査官だった男が、民間企業として立ち上げた「AES(スパイ対策スペシャリスト)」のサーバールームだった。  二人はAESのエージェントであり、青年はイーグレット、女性はロビンのコードネームで仕事をしている。 「ネイヴ…じゃなかったロビン。」 「いいわよ、本名で!ここのセキュリティは万全なんだから。…で、何かお願い事?トロイ。」  思わず彼女の本名を口走ってしまった青年、トロイは速やかに報復として本名を呼ばれた。 「ちょっと調べて貰いたい事があってさ…。」 「…でしょうね。」  この部屋の主であるネイヴは凄腕ハッカーだ。あらゆる情報を、この場所に居たまま突き止めてくれる。 「とあるチャイナタウンの売春宿なんだけどさ、俺と同じ顔した奴がいるか調べて欲しいんだ。」 「売春宿…?」  位置情報など、店の詳細を告げると、ネイヴは忙しくキーボードを叩き始めた。そんな作業中の彼女の横顔を、トロイは間近で見つめる。 「そんな近くで見つめないでくれる?」  ネイヴが迷惑そうにして、トロイの体を押す。 「…あんたと違って、こっちは老けてく一方なんだから!」 「全然、三十八歳には見えないし、ネイヴは綺麗だよ。」 「年をわざわざ言うな!」  更に怒りを買ってしまったトロイは、ネイヴに平謝りする。  トロイは現在、三十六歳だ。しかし、その見た目は二十代半ばといった感じで、実年齢を知る周囲の反応には猜疑心が入り混じる。 「あんたさ、一度DNA調べて貰った方がいいんじゃない?…グレイソンに何かされたのかもよ!」 「やめてくれよ。…多分、母親の遺伝なんだよ。東洋人は若く見えるって言うだろう?」  トロイは暗い表情になる。彼にとって、「グレイソン」も「母親」も二度と関わりあいたくない存在であった。 「監視カメラに入った!…今は営業してないみたいね。」  ネイヴはハッキングした売春宿の監視カメラの映像を切り換えていく。やがて一人の青年に目を止めた。 「…本当にいた!トロイにそっくり!」  青年の顔がはっきりと正面を向いたところを、ネイヴが拡大して見せた。トロイは顔を強張らせていく。 「この子、出会った頃のトロイくらいの年齢かな?顔認識ソフトに掛けると、あんたの社会保障番号がヒットするんじゃない?」 「俺のは偽造してあるから、ヒットしないよ。」 「そうだったね。…うん、社会保障番号なし。…ねぇ、あんたがグレイソンに囚われてたのって、十六年くらい前だっけ?」  その問は、トロイの体を震えさせた。それを彼は必死で堪える。 「…そうだな。」  トロイの状態に気付かない振りをして、ネイヴは話を続ける。 「もしかして、クローンって事はない?だってスターリング・グレイソンでしょう?こっそりバイオラボで、あんたの細胞を培養とかしてそう。」  トロイは辛い過去の記憶と向き合っていく。 「俺が囚われていた頃、あの島には奴の屋敷しかなかった。…でも、DNAくらいなら採取されてても、おかしくはないか。」 「これは調べてみる必要があるわね。」  ネイヴが独自に調査を開始すると言った。  翌日、再びトロイがネイヴのもとを訪れると、彼女が調査結果をメールに添付してきた。彼女がそれを掻い摘んで説明する。 「売春宿の経営者は中国人だけど、その裏に元マフィアの残党、ロイ・ジャコーニって奴が手を引いている。そいつを追跡して分かった事は、グレイソンと繋がりがあるって事と、チャイナタウン以外の売春宿でも、あんたと同じ顔した男の子を働かせてるって事。」  スマートフォンで一通りデータの中身を確認すると、トロイは怒りを鎮めるように息を吐いた。 「やっぱり、俺のコピーを造ってたってわけか…。大した技術だな。」  ネイヴの調べでは、少なくとも三人のトロイが男達の慰みものになっているようだった。 「どうするつもり?」 「一人残らずコピー品を殺す。…大丈夫、足は付かないようにするから。」  決意の籠った冷たい瞳のトロイに、ネイヴは動揺した。 「待ってよ!…協力してあげるから。…あんたを危険な目に合わせたら、私が所長に殺されるわ!」  こうしてトロイは、自分と同じ顔をしている青年達を見つけ出すと、無抵抗の彼らを殺して回った。  年が明け、二月になった頃、大手製薬会社の事業本部長である、スターリング・グレイソの不祥事が明るみに出た。当の本人は姿を消してしまい、FBIが躍起になって彼を追っているようだった。 「先を越されてしまったな。…折角、島ごと爆破してやろうと思ってたのに!」  トロイが悔しそうに、TVのニュース画面を睨みつける。 「グレイソン、指名手配になっちゃったわね。…また拉致られたりしないでよ!」 「もう、そんなヘマはしないよ。…奴は見つけ次第、殺してやる。」 「気持ちは…分からなくもないけどね。」  そして現在、六体目の自分のコピーだと思われる青年を殺してきたトロイは、気持ちを切り換える努力をし、バイクに跨った。  ヘルメットを被ろうとした瞬間の出来事だった。トロイは不意に背後から電流を喰らい、体を硬直させて地面に転がり落ちた。 「…誰…だ…?」  見上げた先に、先端に電流を纏った黒い警棒を持つ男の姿があった。トロイは反撃の体勢に入ろうとしたが、体が言う事をきかない。 「あんた、ベースになった男だな?…生きてたとは驚きだ。」  抵抗も虚しく、暗闇に突如現れた男の影に、トロイは連れ去られた。

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