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第20話「クローンの存在」
デスクがひとつしかない、小さな事務所といった一室で、ペンライトの光を顔に当てられ、トロイは目を覚ました。
パイプ椅子に座らされ、手足を拘束された状態に気付くと、明るさに目を慣らしながら、目前の男を観察した。
百九十センチ近い長身で、半袖のTシャツから見える腕は、そこそこ鍛えているようだ。ダークブラウンの長い前髪を後ろに流し、薄っすらと髭面で老けて見えるが、まだ二十代前半ではないかとトロイは推測する。
「目、覚めた?手荒い真似して悪かったな。」
男は人懐っこい顔をして、トロイの顔を覗き込んだ。
拘束されていなければ、頭突きを喰らわせた後、腹に重たい蹴りを入れてやるのに、と思いながらトロイは男を見つめ返す。
「ビリビリ警棒 はずるいんじゃないか?…おまえ、誰だよ?」
「俺はザック。最近、この街で悪ガキ共を束ねている。…こいつの電源は切らせて貰った。」
ザックと名乗った男は、トロイの使い捨てのスマートフォンをデスクの上に置いた。
ギャングのボスには見えないが、頭は切れそうな奴だとトロイは判断する。
「そんな奴が、何の用だ?」
ザックは間近でトロイを見据えたまま語り出す。
「ここ半年の間に、見た目がよく似ている青年達が数人、人知れず殺されている。彼らにはIDがなく、好き者の性欲処理用に高値で売買されている、人とは認められない生物だ。その彼らにはベースになった人物がいる。それがトロイ、あんただ。」
本名を呼ばれ、思わずトロイは息を呑む。そして自身が知り得なかった内容に食いついた。
「人とは認められない?…その話、詳しく聞かせてくれよ。」
「は?自分のコピーを殺して回ってるくせに、詳しい事情は知らないって言うのか?」
ザックは呆れたと言わんばかりに鼻で笑った。
「そうだよ。売春宿で俺にそっくりな男を買ったらしい奴から情報を貰った。それで確かめに行ったら本当にそっくりで…、やってる事にムカついて殺したのが最初。それから似たような店の監視カメラもハッキングして貰ったら、まだ他にもいやがった。…で、見つけ次第、処分してる。」
ザックの目がキラリと光ったようだった。
「へぇ、ハッカーの知り合いがいるんだな。」
「俺の彼女がね、凄腕ハッカーなんだ。」
コピー品のように男に股を開く、ゲイだと思われたくなくて、トロイは嘯 いてみた。ネイヴが聞いていたら怒ることだろう。
「へぇ、あんたは女もイケるんだね?」
「女だけだ。…俺は男とヤる趣味はない!」
「本当に…?」
ザックの手が黒いレザーに包まれたトロイの太腿を撫で、中心へ近付く。
「触るな!…俺は三十六のオッサンだぞ!」
実年齢を公表し、トロイは更に防御壁を張った。
「大体、それくらいだろうな。…ダイアナが持ってたデータを見たんだ。あんた、ダイアナを知ってる?」
聞き覚えのない女の名前に、トロイは眉を顰める。
「そんな女と付き合った覚えはない。…誰だよ、そいつ?」
「ダイアナは…俺の使える彼女だよ。彼女はスターリング・グレイソンの元カノだったんだけど、今は俺のモノになったんだ。」
理解が追い付いてないトロイを一瞬だけ嘲笑い、ザックはダイアナに関するヒントを出していく。
「ダイアナは優れてるんだけど、唯一、あんたがトロイだって認識出来ないでいる。写真データを持っているくせにさ。…あんたの凄腕ハッカーさんの技術なの?」
トロイはダイアナが人間でないことを察した。
「ダイアナって…何なんだよ…?」
「人工知能だよ。彼女があの島を管理していた。」
ザックが答えを出し、トロイはやっと納得のいった顔をした。
「なるほどね。…それで、俺がそのトロイだと確認した処で、おまえは俺をどうしたいんだ?」
一刻も解放されたいトロイは、ザックの真意に探りを入れる。
「トロイベースの生命体は長くて三ヶ月しか持たない。あんたが殺さなくても、グレイソンが指名手配になった今、自然消滅していく。」
「見つけても殺すなって事か?」
「そう。…俺のモノにしたいからさ。」
その一言に、トロイはゾクリとさせられる。
「おまえ、まさか…、あのコピー品を試してハマってしまったのか?」
「そんな言い方はやめてくれよ。俺は純粋に愛してたんだから…。だけどオリジナルのあんたには、不思議と手を出す気にはなれない。…性悪な殺し屋だからか、年上過ぎるからなのかは不明だけどな。」
「そりゃ、どうも!」
性的対象から外されて安心したトロイだったが、ザックの執着心を感じ取り、グレイソンを思い出した。危険な奴には違いないと改めて警戒し直す。
「俺のとこに来たアイツは、レイヴンと自分の事を名乗っていた。…凄く優しい奴だったよ。」
ザックが語り出し、トロイは長くなりそうな話に苦痛の表情を浮かべた。それに気付かないザックはトロイと同じ顔をした少年、レイヴンとの出会いを語り始めた。
新参者の少年ギャングの集まりが、マフィアの息の掛かったギャングのショバを荒らしたとかで、送られてきた暗殺者がレイヴンだったらしかった。その彼はザックに絆され、最後は彼を庇って死んでいったという。
「…レイヴンが死んで四ヶ月後、FBIがグレイソンを摘発する事件が起きた。その時、俺が事業用に組み立てた大容量サーバーにダイアナが逃げて来たんだ。多分、レイヴンの製造ナンバーをしつこく検索してた所為で俺を知ったんだと思う。…出来たばかりのサーバーに、圧縮されてるのに300テラバイト近い容量のデータがあって驚いたよ。その解凍を手伝って、俺とダイアナは知り合った。そしてレイヴンがダイアナの管理下にあったトロイベースの生命体だったという事を教えてくれた。」
「…おまえの目的は、レイヴンの代用品を手に入れる事なのか?」
ペットロスという言葉が浮かんだトロイだったが、自分の事もペットの仲間に含まれる気がして言うのをやめた。
「代用品なんて聞こえが悪いな。…俺は、もう一度、会いたいだけなんだよ。だけど、外に出回ってたT-CCシリーズは、あんたが全て殺してしまった。」
「そうか、残念だったな!」
朗報だと喜んだトロイだったが、次に出た情報に、それを打ち消される。
「だけど、もう一体だけ残ってるんだ。そいつはT-CCタイプとは違って、人間のちゃんとした母体から誕生した。T-Sシリーズの最初で最後の完全体らしい。つまり、本物のあんたのクローンだって事さ。…今、まだ十三歳だってさ。…そいつは俺に譲ってくれよ。」
「嫌だって言ったら?」
「歩けないようにして監禁する。…そして見つけ出したグレイソンに差し出してやるよ。」
異様な目付きになったザックが、トロイの上に影を落とす。トロイは反射的に体が震えてくるのを感じた。
「…グレイソンに会わせてくれるなら、願ったり叶ったりだ。あいつは絶対殺してやる。」
強がるトロイの首筋を、ザックが優しく撫でる。
「あれ?震えてる?…グレイソンとの記憶が蘇った?」
「うるさい!」
トロイは耐え切れず顔を背けて目を閉じた。
「…悪かったよ。ねぇ、ここは穏便に済ませたいだろ?T-S004は見つけ次第、俺のモノにする。だから、頼むよ。手出ししないでくれ。」
トロイは情報を整理し、記憶していく。更に引き出せる情報があるならば、聞き出さなければならない。
「…見つかってないんだな?」
「ああ。」
「FBIが介入した後だ。倫理違反のそいつは処分されてしまったんじゃないか?」
「いや、グレイソンと交流のあったロイ・ジャコーニのメールをハッキングして分かった事だが、シリコンバレーの街角で、目撃情報があったらしい。…古い情報なんだが、今も何処かに潜伏してる筈なんだ。」
トロイは深い溜息を吐く。
「…ひとつ聞かせてくれ。そのT-S004を手に入れたとして、どうするつもりなんだ?…幼い少年をレイプする目的なら承諾出来ない。」
「そんな酷い事はしない。俺はそいつを守りたいんだ。…そいつは男に発情するように造られたらしい。そんな子を放っておけないだろう?だから、俺が傍で守りたいんだ。」
聞き捨てならない情報に、トロイは冷たい汗を掻く。
「男に発情だって?…じゃあ、おまえにそいつが発情した場合、おまえは抱いたりしないんだな?」
「もしも発情してしまったら、抱いてやるしかないんだ。…俺は誰よりも愛してやれる自信があるから、それは許される行為だと思っている。」
ザックとの遣り取りはトロイを不快にさせた。早く彼の傍から離れたい一心で、話を切り上げさせる事を試みる。
「もう、いい!分かった。勝手にしろよ!…俺はそいつには手を出さない。」
「本当だな?」
「ああ、誓ってやるよ。」
「約束破ったら、それなりの報復が待ってる。…わかってるよな?」
トロイが頷くと、ザックは彼の拘束を解いて、使い捨て携帯を手渡した。トロイは受け取ると同時に、空いている手でザックの腰にぶら下がっていた警棒を奪う。
「あ、てめぇ…!」
「このバトン、気に入った。…拉致られた慰謝料って事で貰ってやるよ。」
伸縮する警棒の感覚を確かめて、トロイは満足気に微笑む。意外にもザックは了承してくれた。戦闘にはならないと確信しているようだった。
事務所のような部屋を出ると、そこは閉店後の酒場で、強面の少年達数人がトロイを睨んでいた。彼らを無視して外へ出ると、そこの外観は店とは言い難い、スプレーで酷く落書きされた工場跡地だった。
乗っていたバイクが見当たらなくて、トロイは仕方なく歩き始めた。治安が悪い地域の為、他に人影は見当たらない。
そこへ、一台の乗用車が近付いて停車した。
「無事だったか?」
運転席の窓が開き、五十代後半の高級スーツの男が顔を覗かせた。トロイが所属する会社の所長だった。
「クレーン所長。」
トロイのスマートフォンが電源が切られる際に、SOSを発信するアプリケーションが自動的に作動していたのだった。
「グレイソンが行方不明になっているから、また拉致られたかと思って心配したぞ。」
「グレイソンとは直接は関係のない輩でしたよ。…俺のクローンの存在を追ってるとかで、そのクローンに手を出すなって念を押されて解放されました。」
トロイは使い捨てのスマートフォンを足元に落とすと、ぐしゃりと踏みつけて破壊した。そして助手席側に回り、車に乗り込んだ。
「厄介な事になってそうだな。…暫く仕事は休むか?」
「いいえ。…どうせ身元隠してやってる仕事ですし、平気ですよ。…迷惑掛けるつもりはありませんから。」
「無理するなよ。」
白み始めた薄闇の中、一台の乗用車は走り去っていった。
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