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第22話「接触」

 スターリング・グレイソン――。  この男との出会いがトロイを大きく傷付け、彼を生涯苦しめ続ける事となった。  グレイソンとの出会い。それはトロイが、二十歳の時に請け負った潜入捜査が切っ掛けだった。  トロイが表向き民間企業と称しているAES(スパイ対策スペシャリスト)のエージェントになってから、一年が経った頃、彼はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)に職員として潜入し、捜査する事になった。  CDCがストックしている貴重なウィルスと、そのワクチンがセットで盗まれたのが明るみになり、内部調査で他のウィルスとワクチンも、数回に渡り持ち出されている事が判明した。  FBIが捜査を開始し、犯人自体は速やかに特定されたが、彼は主犯ではなかった。  危険物の横領、横流しの罪で逮捕された男、ゲイリー・コンラッドは、六年前に正式にCDCに採用された職員だった。その彼に匿名でメールを送り、多額の報酬と引き換えにスパイ活動をさせた人物が居たのだが、その正体の追及は難航した。  ウィルスを使ったテロの可能性が出てくると、政府が介入してきて、協力会社としてAESを雇い入れた。共同捜査と銘打ってはいたものの、FBIは実質、撤退させられたようだった。  主犯の人物との接触は、毎回違ったアドレスで送信されてくるメールのみで、面識もないと言っていたコンラッドの言葉を信じたAESのチームは、コンラッド逮捕の事実を隠して、身代わりを立てる提案をした。  やがて主犯の人物からメールによる連絡があり、トロイはトニー・ショウという偽のIDを準備して、CDCの職員として接触する事を試みた。  きつい日差しの中、スーツを着込んでビジネスマンを装ったトロイは、街路樹の並ぶ歩道を進み、指定のあったダウンタウンの中にある小さな公園を訪れた。  そこでベンチの右寄りに座ると、ベンチの下を手で探り、テープで固定された携帯電話の感触に辿り着いた。  全てメールの指示通りのモーションだった。  電話を手にすると、不意に着信があった。応答すると、電話の相手が話し出した。 「君は…トニー・ショウ、CDCの人間だね?…コンラッド君はどうした?」  相手がこちらの素性を調べていた事が分かり、偽のIDを作って潜入していたのは正解だったと、トロイは人知れず安堵した。 「俺が見えてるんですか?…彼は急に仕事を辞める事になったんですよ。それで俺が代わりに…。」  周囲を見回すが、電話で話している者はいない。 「君は内容を理解しているのか?」  相手の声を聞いて、三十代から五十代くらいの男性だとトロイは推測する。 「してますよ。…金が貰えるんでしょう?…このベンチの下に(ブツ)を置いて立ち去ればいいんですよね?」  トロイは発信機のみが入ったジュラルミンケースを、足元に下ろした。 「いや、気が変わったよ。」  相手の男はどういう訳か、高級ホテルのスウィートに来るように指示してきた。ここからそう遠くない距離だった。  トロイは死角になる場所へ移動し、小型マイクに話し掛ける。 「予定が変わった。本人に直接会えるかも知れない。」 「それなら発信機のみだと、マズイかもね。」  トロイは尾行を警戒しながら、ホテルに向かう途中で、仲間の男と擦れ違い様に、ウィルスとワクチン入りの物とジュラルミンケースをすり替えた。 「ホテルの宿泊者名を突き止めたわ。ゲイリー・コンラッドよ。…明らかに偽名ね。」  イヤホンから聞こえてきた情報に溜息を吐き、トロイはホテルのエレベーターに乗り込んだ。最上階に近付いた時点で、改造PDAを作動させる。  これはIT担当のネイヴが作り出したスパイウェアで、近くにある電子機器のあらゆる情報を奪う事が出来る代物だった。  エレベーターを降りると、スキンヘッドに鋭い目をした黒スーツの男が一人立っていた。 「電話の人?」 「いいえ。…中でお待ちですよ。」  男に(いざな)われ、最高級の調度品に囲まれたリビングルームへと、トロイは通された。そこのソファに強制的に座らされる。 ――中で待ってないじゃないか!  トロイは心裡で文句を言うと、SPのような男の目を盗んで、改造PDAの動きを確認した。何かとの同期が始まっており、彼は手応えを感じた。  主犯が出てくるとは限らないが、彼、若しくはその組織に辿り着く糸口は得られる筈だった。  程なくして、アッシュグレイの髪に、それと同色のスーツを着た男が入って来た。四十代後半といった処のその男は、トロイの前に座ると、ジュラルミンケースを開くように黒スーツの男に指示を出した。 「本物のようだね。…君はFBI捜査官かい?」  男の嘗めるような視線に、トロイは冷たい汗を掻かされる。 「俺が?…CDCのトニー・ショウだって調べは付いてるんじゃないんでしたっけ?」 「偽のIDなんだろう?…しかし若いね!とてもFBIには見えないな…。」 「FBIなんかじゃありませんよ。」 「…じゃあ、何だろう?」  男に見据えられ、トロイは息苦しさを感じた。 「私に此処へ招かれて、君は不信に思わなかったかね?それとも、功を奏する一心で此処まで来たのかね?」 「あなたが来いと言った。それに従っただけですよ。」  男は冷笑を浮かべた。 「私がリスクを冒して君を呼んだのには、ちゃんとした理由があるんだ。モニター越しに見た君の顔が、ある女性にそっくりだったからなんだよ。」  予想していなかった男の答えに、トロイは感情を押し隠す努力をした。 「…中国系のね、美しい女スパイだった。アレッサ・リーと名乗っていたが、君は知っているんじゃないかな?」 「知りませんよ。スパイだなんて…。」  即答したものの、トロイは現在消息不明の母親を思い浮かべた。 「彼女と連絡が取れなくなって、五年程経つ。捜索するにも、何の手掛かりもなくてね。」 「人探しなら、他を当って頂けませんか?」  トロイが立ち上がろうとすると、背後から黒スーツの男が肩を抑え、ソファに沈め直した。 「いやいや、違うんだよ。彼女の事は諦める決心が着いた。君のお陰でね。代わりに君を私の物にするよ。」 「何…?冗談でしょう?」  意味が分からないといった素振りを見せたトロイの首筋に、注射器が突き立てられた。抵抗しようとしたが即効性の薬が回り、トロイは全身を弛緩させられた。 「おまえは…どうせ、逃げられない…!」  トロイは男から視線を外さず言葉を放ったが、やがて意識を失った。  男がトロイのスーツの襟の裏を探り、小型マイクを見つけ出すと、テーブルの上の水差しの中に放り込んだ。 「このホテルには仕掛けがある。…君が居るこの階は最上階だけれど、君の仲間が辿り着く部屋は、ひとつ下のスウィートだ…。」  男は意識のないトロイに囁くと、彼をソファに横たえ、衣類を取り去って行った。 「発信機の類は全て処分してしまわないとね…。」  男は完璧な手筈で、トロイをホテルから連れ去った。

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