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第26話「外へ…」

 ラッセルのスマートフォンを一時的に奪い、救難信号を発信するアプリケーションをインストールしたトロイは、仲間の救済を待っていた。  しかし何の音沙汰もないまま三日目に突入すると、彼はマイナスな心境に陥らされていった。  この島の支配者であるスターリング・グレイソンが、何らかのトラブルで来れなくなってからは六日目となっている今、予定通りならば二日後にはグレイソンが訪れる筈だった。 ――グレイソンが来てからの救済じゃ、俺は殺される可能性が高い。  トロイは左耳の裏の傷跡に触れた。その場所にはマイクロチップが埋め込まれており、グレイソンはそれを遠隔操作で破裂させる事が出来るという事だった。  それは近くの血管を傷付け、毒物を浸透させて死に至らしめる。 「あんた、医者だよな?…耳の裏のマイクロチップ、取り出そうと思ったら、こっそり取り出せるんじゃないの?」  今日も執拗に体を求めてきた世話係の男に、トロイは囁く。 「バイタルサインも送信されているから、下手に取り出す事は出来ない。」 「そう…。」  トロイは落ち込んでみせる。仲間からの救済がないと仮定しての、「脱出プランB」を練る為だった。 「どうした?」 「だって、明後日にはグレイソンが戻って来るだろう?…そうなったら、あんたとは終わりだ。」 「終わらせないよ。…隙なら幾らだって見つけられる。」  ラッセルがトロイの白い素肌を弄り始める。 ――そんな事は求めてないんだよ。  トロイは内心憤りながらも、ラッセルを手懐ける為に愛人のような振る舞いをする。 「ラッセル、一緒にこの島を出ようよ…。」 「…君の気持ちは…分かってるよ。」 「本当に…?」 「ああ!その前に、()かせてくれ!」  目前の快楽に溺れた男と、実のある話が出来る筈はなく、トロイは溜息を吐いた。 「なんか…腹が痛い…。一旦、出して来てもいい?」  行為の後、トロイは不機嫌そうに言うと、一人でバスルームへ入った。実際、具合悪く感じていたし、何よりラッセルの傍から離れたくなったのが理由だった。  中に出された物を指で掻き出し、シャワーで流したトロイは、腕時計で時間を確認して、ラッセルがもう手を出して来ない事を祈った。  バスルームを出て、ベッドまで戻ろうと足を向けた際に、突如、聞いた事のないアラーム音が鳴り響いた。  不規則に音を上げるアラームは、ラッセルのスマートフォンが発信源のようで、怪訝な顔をしたラッセルは、裸のまま、床に膝を着き、スマートフォンを確認し始めた。  トロイは再度時間を確認する。時刻は午後九時四十五分。救難信号を最初に上げ始めた時刻と同時刻だと思われた。  仲間の到来を予感したトロイは、弾かれたようにラッセルの背後に近付き、彼の首を締め上げた。   筋力の衰えを懸念していた為、左手の腕を絡めた状態で、更に右手を加勢させ、全力を出した。  その結果、嫌な感触を残して、ラッセルはトロイの腕の中で事切れた。  初めて人を殺してしまったという衝撃から、全身を震わせ、吐き気を催したトロイだったが、シーツで遺体を覆い隠すと、気持ちを切り換える努力をした。  嫌悪感に駆られながらも、脱ぎ捨てられたラッセルのズボンを直に穿き、半袖のシャツに腕を通したトロイは、最後に白衣も羽織った。  約五ヶ月振りに着た衣服は全てが大きく、着心地は最悪だった。  尚も不規則なアラームを発するスマートフォンを手にしたトロイは、ロックが解除されている事に気付くと電話を掛けた。  既にハッキング済みだったのだろう。  二回のコール音の後、相手が応答した。 「イーグレット?」  待ち侘びた声に久々のコードネームで呼ばれ、トロイは思わず泣きそうになる。 「ああ、イーグレットだ。ロビン!近くにいるのか?」 「まあまあ近いとこよ。…生きてたのね!」 「うん。」 「今、ホークが救出に向かってるけど、自分で建物から出られる?」 「…やってみるよ。」  トロイは白衣のポケットのカードキーを確認した。それからラッセルが持って来た小さめの金属製の箱を手に取ると、指紋認証でしか開かないというそれを、死んだラッセルの指を利用して開けた。中にはメスや鉗子、注射器が一本に薬瓶が三本入っていた。  念の為、それらを一式、白衣のポケットに入れて持ち出す。  カードキーを使うと、部屋の扉は難なく開錠された。ここからは監視カメラに気を付けなければならない、とトロイは気持ちを引き締める。   「ロビン、ここの見取り図とか分かる?」 「詳細は分からないけど、そこは一階で、建物の大きさからすると、玄関はそう遠くない場所にありそうよ。」  トロイは窓のない部屋にずっと閉じ込められていた為、地下だと思い込んでいたので、少しだけ驚かされた。 「そっか…、探してみるよ。」  警備する人間は見当たらない。一度も脱走の騒動がなかった事から、厳重な体制は敷かれていないようだった。  初めて扉の外へ出てみると、そこは普通の邸宅に見られる、ほんの少しだけ豪奢な家具の置いてあるリビングルームだった。  ソファの向こうに見える一際大きな扉に、トロイは玄関である事を願いながら近付いた。  扉は施錠されておらず、開くと外界への繋がりを示唆する潮風が吹きこんで来た。 「外へ…外へ出られた…。」  無意識に言葉を発すると、電話から次の指示を与えられる。 「良かったわね。そしたら建物の裏手に回って。私が止まれと言うまで歩いてね。」  仲間はトロイの位置情報を、可成り正確に把握しているようだった。草木の生い茂る裏手に回ると、ある位置で海岸へ進むように指示を出された。 「ホークの姿がもう少しで見える筈よ。」  月明りしかない暗い中を進み、砂浜に辿り着くと、トロイは足を縺れさせながら人影に向かって走った。早く走れずにもどかしい思いをする。  息を切らして倒れそうになったトロイを、迎えに来た仲間の男、ホークが抱き留める。 「イーグレット、…遅くなって悪かったな。」 「もう、誰も来てくれないと思った…。」 「信号を受け取ってから、その翌日にヘリで此処まで来たんだけど、閃光弾撃たれてさ。危うく落ちかけたよ。…で、今回は趣向を変えた。」  ホークに支えられながら、トロイは海に浮かぶ小さな黄色いゴムボートと、ホークのダイバースーツの質感に驚愕させられる。 「これで来たの!?」 「小さいけど、エンジン付いてるから、大丈夫だって。」  乗るように手を引かれたトロイは、ホークを逆に引き止める。 「待って!耳の裏に毒物の入ったマイクロチップを埋め込まれてる。此処から離れると、マイクロチップが破裂してしまう。」 「そりゃ…参ったな…。」  トロイ同様に顔色を悪くしたホークに、トロイは白衣のポケットからメスと鉗子を取り出して渡した。 「これで取り出せる?…元救急救命士だったんだろ?」 「やってみるよ。麻酔無しで大丈夫か?」 「手の方も麻酔無しでやったし…!」  トロイは白衣を脱ぐと一部を丸めて口に咥えこんだ。ホークは懐中電灯をトロイに持たせて、左耳の裏を照らさせると、マイクロチップが入っている場所を特定したようだった。傷口より数ミリ上にメスを入れ、続いて鉗子を差し入れると、トロイの喉奥から悲痛な呻きがあがった。 「ご免!痛いよな?…もう少し堪えてくれ。」  血塗れになりながら、ホークは鉗子の先にマイクロチップを捉えて取り出すと、傷口を強く抑えるようにトロイに指示を出した。 「取れたよ。これ、どうする?」 「捨てていいよ。…どうせ屋敷に同じ物を埋め込まれた奴がいるんだから。」  ホークは頷くと、メスと鉗子ごとマイクロチップを海に捨てた。  ゴムボートにトロイを乗せると、ホークはゴムボートを押し出してから乗り込み、勢いよくエンジンを掛けた。 「転覆したら、俺、死んじゃうからね。」  生温かい血が流れ出る感覚に血の気を失いながら、トロイが気弱に呟く。 「直ぐそこ迄だから、大丈夫だって!」  暫く進むと、海の上に浮かぶ極小の島と、海の上に立つ人影が見えた。 「何?」  月明りだけではよく分からずに、トロイが眉を顰めると、ホークが説明する。 「潜水艦だよ。知り合いのサルベージ会社の中古品を、所長が買い取ったんだってさ。おまえの為にだよ。」  接近すると、極小の島に見えた物は潜水艦の艦橋部分だという事が分かった。本体が数センチだけ出ている潜水艦の丸いハッチは開かれており、その傍に立つ小柄な男が手招きしている。 「お帰り、イーグレット!」 「スパロウ?」  珍しい人選にトロイは目を疑う。彼は仲間の中では技術班で、前線には殆ど出て来ない人物だった。 「潜水艦を操縦したかったらしいんだ。」  ホークは囁くと、スパロウに向けてロープを投げた。スパロウにゴムボートを引き寄せて貰い、トロイは潜水艦の上に移った。 「イーグレットは怪我してるから、手当てを頼む!俺はゴムボートを片付けてから戻るよ。」  ホークを残して中へ降りようと、トロイはエントランスハッチを見下ろす。梯子を使うのに傷口から手を離すのを少しだけ躊躇した。 「大丈夫?」 「大丈夫だよ。多分、片手で行ける。血で汚したくないしね。」  苦労して下に降りた後、トロイは張り詰めた気を一気に緩めると、そのまま意識を失った。

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