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第7話
一曲、二曲と無言で続けて弾き続けた。
二年前最後かもしれない、と思って弾いた。まさかまた綾瀬が隣にいて弾くことがあるなんて思ってもみなかった。
弾いて、綾瀬の存在に気が取られそうになる。でも二年ぶりに聴かせるのに、思い出の中のピアノのほうがよかったと思われるのはいやで、途中必死にもなった。
なにやってんだ、俺?
弾き終わって深く息を吐き出す。
綾瀬はまた褒めてくれるだろうか。そんな子供のようなことを考えつつ綾瀬のほうを向けないでいた。
そのまま沈黙になって数秒、反応がないことにちらりと横を見て、驚いた。
「え、綾瀬?! なに泣いてるんだ?」
俺のほうを見ていた綾瀬の頬を幾筋も涙が伝っていた。焦ってハンカチを取り出して渡すとそれを目に押し当てながら綾瀬は顔を伏せた。
「すみません。先生のピアノを聴けたのが嬉しくて。やっぱり、好きだな、って思ったんです」
心臓が締め付けられる感覚を覚え、誤魔化すように笑う。
「ありがとう。下手なピアノにそう言ってくれるのは綾瀬だけだよ」
「僕、今日誕生日なんです」
「……は?」
涙を拭った綾瀬は苦笑を浮かべ俺を見て、そして鍵盤に視線を落とした。
「教育実習の内談で今日を選んだのは誕生日で、今日が水曜だったから。……先生に会えるかなって思って。二十歳の誕生日に……先生に会えて、ピアノ聴けたら幸せだな……って」
告げられる言葉にポカンとした。
綾瀬は目を伏せて、続ける。
「……僕はただの生徒で、子どもで……。だから大人になって……先生の隣に並べるようになれば……会って、言えるかな……って二年我慢したんです。……今日来なかったらよかったな」
我慢、ってなにを?
綾瀬の横顔は切なげで、俺のほうまで苦しくなる。
「大学を出て……ちゃんと教師になれたら言おうと思ってた……。でも今日先生のピアノ聴いて……」
言葉を途切れさせ綾瀬は一瞬眉根を寄せた。膝の上の手に力がこもるのが視界に映った。
「先生」
そして綾瀬が顔を上げて、真っ直ぐ俺を見た。
涙を振り切るようにして、綺麗な笑顔を浮かべて。
「好きです。先生が、好きです」
「……」
呆然と、ただ呆然とした。
好き――。
俺と綾瀬の近い距離の間に沈黙が落ちる。短いような長いような、実際には1分ほどのものだったのかもしれない。
「……すみません。先生にとって僕はただの教え子で、しかも同じ男で。こんな告白されても迷惑だってわかってます。だけど……初めて先生のピアノを聴いたあの日から、ずっと先生のことを好きでした。同性だし、難しいのはわかってます。ただ……少しづつでもいいから、僕のこと、知ってもらえませんか?」
そう、綾瀬は元生徒で、同じ男で。
俺は、教師で、同じ男で。
頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
綾瀬が卒業した時、喪失感を覚えた。
だけど仕方のないことなんだって、諦めた。自分の気持ちを深く考えなかった。
見て見ぬふりをした。
「……先生が好きです。先生のピアノも、先生も」
なのに、綾瀬はずっと俺のことを忘れずに、俺のとなりにいるためにと考えていた。
俺は、なにをしていたんだろう。
「……ごめん」
無意識に呟きがこぼれ、綾瀬が顔を歪める。それに我に返って、身体が動いていた。
「いや、そういう意味のごめんじゃないから!」
となりにいる綾瀬の身体を抱きしめて、必死に叫んだ。
「あの、いまのごめんはバカな俺でごめんっていう謝罪で。決してお前の告白を断ったとかじゃないから。断らないし!」
本当に情けない。我ながら情けない。
でもここで離したら、綾瀬を離したらダメだということだけはわかる。
「……先生?」
戸惑う綾瀬の声が耳元で響く。それだけで甘く痺れるような感覚が全身に伝わった。
抱き締めたまま少しだけ身体を離す。お互いの顔が見えるように。
「……二年前……卒業していってから、本当はずっともうピアノ弾いていなかったんだ。綾瀬がとなりにいなくなって、弾く気がなくなった。綾瀬のことを思い出して切なくなるから」
へたれか、と過去の俺をぶん殴りたい。
答えなんてわかっていたのに動かなかった俺を怒鳴りつけたい。
ただいまはなにより、綾瀬に喜んでほしい。知ってほしい。
「情けないヤツでごめんな」
「……せん、せい?」
「綾瀬……。俺も、綾瀬のことが好きだ」
たとえ同じ男だとしても、教師であっても、そんなことは無関係でしかない。
驚きに目を見開く綾瀬が可愛くて愛しくて、また勝手に身体が動いた。
「……っ!?」
ほんの2秒ほど、俺たちの唇が触れ合った。
唖然とした綾瀬の顔があっという間に真っ赤になっていく。
その様子がやっぱり可愛くて、またキスをして、
「好きだ」
と囁いた。
「僕も、大好きです」
涙をにじませ綾瀬が笑う。
俺の背にまわった手が嬉しくて、抱きしめる手に力を込めた。
それから綾瀬のためにHappy Birthday To Youを弾いた。
***
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