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第8話

「酒がいいんだけど」 楓の荒んだ心は酒でしか紛らわせないというのに、なぜティーカップが置かれるのか。 「飲み過ぎだって言ってるだろ。ハーブティーにはリラックス効果があるんだ、それ飲んで少し落ち着けよ」 「お前って、なんでいつでもどこでも冷静沈着なワケ?」 「冷静でいられない時もあるよ。例えば親友が店の外でウチのお抱えピアニストとキスしてるの見たりするとね」 ガシャン──。 楓は持ち上げかけていたハーブティーのティーカップを、思い切り床に落としてしまった。 何事かと客達の視線がこちらに向けられるが、相田が「すみませーん」と言ってフォローしてくれる。 「な、何!?お、お前……見てたの!?覗き見!?」 「声抑えて。見えちゃっただけだよ」 よくよく聞けば、相田がこの店の2階の住居で、干していた布団を取り込もうとした時に目撃してしまったということだ。 「ゴメン、省吾君がそっちの人だって話も、聞いちゃった」 「じゃあ……俺がアフターに誘ってんのも、聞いたのか?」 「だから、聞こえたんだってば。一応言っておくけど、省吾君にアフターはやらせない」 「なんでだよ?別にいいじゃん、そのくらい」 相田はカップの破片を箒と塵取りですっかり掃き終えると、一旦裏に引っ込んでゴミ箱に入れ、再びカウンター内に戻ってきた。 「省吾君、楓とキスした後手の甲で唇拭ってただろ」 「ああ、うん……」 「それにたとえアフターをやるとしても、楓相手にはやらないとも言っていた」 「……ああ」 夕方の省吾とのやり取りを掘り返されると、何となくいたたまれないものだ。 楓は新しく出してもらったマグカップにハーブティーを注ぐと、ゴクゴクとそれを飲む。 酒ばかりあおっていたせいか、喉が渇いているようだ。 「店の責任者としては、大切なピアニストに嫌いな相手とのアフターに行かせるワケにはいかないんだよ」 「いつから『いけ好かない』が『嫌い』になったんだよ?」 「あはは、ゴメンゴメン。でも、大した違いはないだろ」 「あるよ。『嫌い』ってなんかイヤじゃん、響きが」 それに、なぜだか省吾には嫌われたくない。 いけ好かないと言われた時にはカチンときたし、少なからず落ち込みもしたけれど、そこを分岐点に好きになってもらうことだってできるはずだ。 もちろん、「人として」好きになってもらうこと──、それで合っているはずだ。

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