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第9話

そこまで考えたところで、店内が拍手に包まれる。 濃紺のスーツを纏った省吾がステージに姿を現し、客に向かって一礼したのだ。 楓はそんな彼をカウンターに突っ伏した状態で眺める。 こうして見ていると、女性客がざわざわしているのが手に取るようによく分かる。 まあゲイである省吾にとって、女共がどんな反応を見せようが、どうでもいいのだろうが。 演奏が始まる。 省吾は曲目を告げないので、弾いているのがクラシックなのか、それとも現代のポップスをクラシック風にアレンジしたものなのか、はたまた自分で作曲したものなのかが分からない。 分からないけれど、強烈に惹き付けられる。 「スゲーな、相変わらず」 ピアノに疎い楓にすら、省吾の技術や表現力のすさまじさは手に取るようによく分かる。 つまり素人の心を鷲掴みにするほど、優れたピアニストだということだ。 そんな彼が、どうして大学を中退してしまったのだろう。 楓とのキスを忌み嫌うように唇を手の甲で拭っていた相手に、なぜだか興味が湧いて仕方がない。 「もっと知りたい……アイツのこと……」 少しずつ酔いが冷めつつある楓は、小さな声でポツリと言った。 いつしか省吾のピアノを身を乗り出して聴いていた楓は、無意識のうちにスツールから下りていた。 つまり立ち見状態になった訳なのだが、その瞬間靴で何かを踏み付けた。 靴底の感触に違和感を覚え、屈んで床を見つめれば、泥が付着しているパスケースがあった。 今日の楓は会社で花の世話をしていたので、恐らく靴底にこびりついた土がパスケースについてしまったのだろう。 「相田、おしぼりくれ」 楓はパスケースを手にしたまま相田に言うと、おしぼりがカウンターの上を滑ってきた。 少し熱いそれを手にし、パスケースの土を拭き取る。 すっかり綺麗になったパスケースをよくよく見ると、写真が入れられていた。 だがその写真を見た瞬間、身体が強張った。 誰だ、コイツは──? 楓と同じ容姿をした人物が、省吾の隣で微笑んでいる。 とりあえず微笑している人物が、楓でないことだけは確かだ。 じゃあ一体誰なのか。 写真の中の省吾も、一緒に写っている人物と同じで、綺麗な笑顔を見せている。 こんな顔をするヤツだったのか。 店では仏頂面ばかり、楓の前では露骨な嫌悪を隠しもしないくせに、楓と同じ容姿をした人物の隣では、極上の笑みを見せるのか。 それにしても、本当に自分にそっくりだ。 髪型も、目鼻立ちも楓そのもので、かえって気味が悪くなってくる。 「楓、どうしたの?」 写真に見入っていると、相田が声をかけてきた。

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