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第10話

とりあえず楓は、この写真を軽卒に見せていいとも思えなかった。 たとえ相手が親友の相田であってもだ。 「いや、何でもねー。柏木の落とし物を拾っただけだ」 「僕から返しておこうか?」 「俺から返す。ちょっと聞きてーことがあるからな」 そうだ、この写真に写っている、楓と瓜二つの人物について訊いておきたい。 同じ顔の人間と笑い合うことができるのに、楓に対する風当たりがきついのはなぜなのか。 一方で、省吾は早く曲が終わらないものかと、内心焦れながら演奏をしていた。 いつもポケットに入れているはずのパスケースがない。 それに気付いたのは、演奏を始めてから右側のポケットにいつもの重みを感じないからだった。 あれは大切な思い出だ。 決して消えることがなく、消すつもりもない、あの人との大切な写真。 「先生……」 パスケースの写真に省吾と一緒に写り込んでいるのは、音大時代の恩師だった。 名前は峰島修司。 この店に毎日出入している園部楓と同じ容姿を持った人物。 いつも優しくて、省吾が解釈に困ると絶妙な助け船を出してくれて、いつしか惹かれていた存在。 彼が不慮の事故で亡くなってから、省吾は音大を中退している。 そう言えば、もうすぐ命日だったなと思い出した。 「死んだ」と聞いた瞬間、目の前が真っ暗になったことも、葬儀を終えてピアノに向かったら何も弾けなくなっていたことも、つい最近のことのように覚えている。 ここでピアノを弾くようになったのは、単なる偶然だった。 店の前を通り過ぎた時、ステージ上に漆黒のグランドピアノが置かれていて、窓越しにじっとそれを見つめていたら、相田に「弾いてみるかい?」と言われたのがきっかけだ。 相田は省吾の並々ならぬ技量に圧倒され、「良かったら営業時間中に客の前で弾いてくれないか」と誘ってくれた。 さして高額とは言えないまでも、報酬を出すとも言ってくれた。 省吾はその申し出を断れなかった。 なぜなら実家を勘当されて、所持金が少なくなっていたからだ。 だから相田にアパートを借りる際の保証人になってもらい、なけなしの金をほぼ全額つぎ込んで住まいを借りた。 吹けば飛ぶようなボロアパートだが、雨露をしのげるだけ有り難い。 そんな省吾の目の前に、峰島と同じ容姿をした園部楓という会社員が現れた。 最初は実は峰島が生きていたのかと目を見張ったが、峰島と楓では、喋る時の口調が全く違う。 だからこそやるせない。 執拗に自分との距離を詰めようとする楓が鬱陶しく、自分とは別の世界に逝ってしまった峰島を嫌でも思い出してしまう。 忘れられるはずがない初恋の人だと分かってはいたが、よもやこんな環境に置かれて忘れられなくなるなど、考えてもみなかった。 曲が終盤に入り、テンポが速い部分に突入した。 省吾はこれでもかとばかりにテンポを上げていき、圧倒的技巧で聴衆を魅了した。

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