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第24話
だが、布団のない省吾の寝室には、なぜだか漆黒のアップライトピアノが置かれていた。
ボロアパートで弾けば音が洩れてしまうので、ただのお飾りに成り果てていたが、あのピアノは省吾が幼少の頃、祖母に買ってもらった大切なピアノなのだそうだ。
「畳の上で寝るって……身体痛ぇよな……」
やっぱり自分の家で寝せてやりたいと思い、スマホを取り出すが、そこで楓の足が止まった。
そうだ、省吾は携帯電話を持っていないのだと思い出したからだ。
今時そんな人間がいるのかと驚いた楓だが、今の省吾の収入ではとてもスマホなど維持できないと口にしていた。
「そうか……BARかアイツの家に行かないと、俺達話もできなくなるのか……」
こんなに不便で苦しい恋を、楓は知らない。
メールもLINEも使えない相手との恋愛に、戸惑うばかりだった。
翌日、省吾は一張羅のスーツを着用し、朝10時に家を出た。
久しぶりに畳の上で寝たせいか、身体が軋むように痛んでいる。
僅かな期間ではあるが楓のベッドを使っていたことで、身体が布団を欲しがっているのかもしれない。
アパートを出て最寄り駅を目指して歩く。
家の右手にある細い路地を真っ直ぐ東に向かって歩いて行けば、アーケードに差し掛かり、そこを突っ切れば駅に辿り着ける。
だが家を出てすぐ、「マジで行くのかよ」という楓の声が聞こえ、省吾は思わず振り向いた。
「楓さん……仕事は?」
「ちょっとサボってきた。俺なりに、お前が峰島の墓参りに行く理由を、昨夜ずっと考えてた」
「理由、か」
大した理由はないのだがと、省吾は薄く笑った。
「俺が出した結論では、お前はまだ峰島が好きだってことだ。だから一つだけ聞かせてくれ。俺はお前を諦めた方がいいのか?」
諦めろと言われたらどうしようと、昨夜の楓はそのことばかりを考え、実は一睡もできていない。
今も目の下にクマができていて、我ながらみっともない有様だと自分で自分に呆れている。
「それは楓さん次第だ」
「は……?」
「俺を好きでいてくれるのか、そうでないのか……決めるのは楓さんであって、俺じゃない」
「どういう意味だよ?」
何を言われているのか分からない。
楓が欲しいのは「峰島のことはもう好きじゃない」という台詞なのに、省吾はどうしてそう言ってくれないのかと、内心責めてしまう。
「誰かを好きになるのに、相手の了承なんていらない。好きにならないって時も、同じだと思う」
「……そうか、それがお前の答えか。なら、いいや。行って来い」
もうかけるべき言葉がなかった。
本当は墓参りに行く省吾を羽交い絞めにしてでも止めてやるつもりだったが、そんなことをしても無駄なのだろう。
楓は「仕事があるから」と短く言って、省吾に背を向け会社に戻って行った。
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