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第57話

***  まだ夏だというのに冷たい風が吹いた。  中根に言われて受け始めた定期検診の為に診療所へ行った帰り。外は真夏の容赦無い陽射しが照りつけているのに、髪を靡かせた風が一瞬だけ冷たく感じて足を止めた。  中根が永絆の為に量を調整して処方した抑制剤は前の物よりは効いていた。藍の隣に居ても発情する事はなくなって、それが抑制剤の効果なのか、中根が言った仮説による『慣れ』なのかは分からない。  相変わらず藍の前では必要以上にフェロモンが出ているのに、藍以外の人間には効いていない様でこれが単純に運命の番にだけ発せられるフェロモンだと答えを出すにはあまりにも情報が少なすぎた。  菫の体調は日に日に悪くなり、今はもういつ会いに行っても眠っていて目を覚まさない。それでも苦しそうには見えないのは、何か良い夢を見ているのかもしれない。  きっとこのまま眠り続けて死ぬのだろう。最期の時は静かに逝ってほしい。  菫が生きているうちは自分の人生は菫のものだと決めていた。菫が望むなら何だってすると。  彼はそんな事は望んでいなかったし、永絆の自由に生きろといつも言っていたけれど一度失った人生を取り戻せたのは菫が拾ってくれたからだ。  今こうして藍の事で悩めるのも、菫が居てくれたから。  だから菫が生きているうちは、菫の為に生きたい。彼が望まなくても、そう自分自身に約束したのだ。

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