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第110話

 一度だけ振り返って見た藍は微動だにせず、本当は何も考えずに今すぐ藍に抱き着きたい衝動を抑えた。  これでいい。藤を利用したのは申し訳ないが、藍と離れるには他に番う相手がいると言った方が説得力が増す。藍も永絆の幸せを考えればこのまま身を引いて紫ノ宮の跡取りとして気持ちを切り替えていけるはずだ。  ただ、この全身を切り裂かれる様な痛みは暫くは消えないだろう。  魂で惹かれあった運命の相手から離れるのだから、半分死んだのと同じだ。  出来ることなら藍が、そんな痛みを感じていなければいい。もしも痛みを感じていても、早く癒えて欲しいと願う事しか出来ない自分をどうか許さないで。  憎んでも、恨んでも、記憶から消去しても構わない。  藍が、藍の世界で胸を張って生きていけるのなら。藍が幸せな家庭を築けたなら。  それでもう充分、自分も幸せなのだから。  藤の手を引いて外に出ると、気持ちとは裏腹に青空が広がっていた。  永絆が持っていた荷物はいつの間にか藤が代わりに持っていて、手を引いて歩いていた筈が逆に手を引かれて歩いていた。  心の中が真っ白になっていた。藍の部屋から出て青空を見上げた後、何処をどうやって歩いていたのか思い出せなかった。

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