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後朝の別れ3
「…ごちそうさま」
「もうよろしいのですか?最近お食事の量が減っておりますよ。もう少し食べられては?」
「ごめんね。あまり食べたくないんだ」
気分も塞ぐようになった次は、食欲が落ちた。
何もする気が起きなくなってきて、楽しいと思うことがなくなった。
湯浴みをして、柊に髪を梳いてもらい、寝る支度を整える。
柊に休んでもらうよう言ったあと、幸も床に入った。
漂う蟲をぼんやり眺めながら眠気が来るのじっと待った。
なかなか眠れず、寝返りを打ち、御簾 を少し開けて月光に照らされた庭を見詰める。
二刻 ほどたった頃だろうか、屋敷唯一の全体の導線である縁側の廊下をゆっくりと歩く音が聞こえてきた。
木軋む音と足袋が床に擦れる音だ。
「ひぅ…っ」
この屋敷には今、柊と幸しかいない。
柊はもう休ませたので、こんな夜更けにこちらの寝室まで来るわけがなく、得体の知れないものに恐怖を覚えた。
アマテラスが帰ってきたという考え方もあるかもしれないが、可能性は格段に薄いだろう。
ゆっくりと足音が近くなってくる。
すると、御簾に何某かの影が映った。
恐ろしい化け物かもしれないと思い、ぎゅっと目を瞑り寝たふりを決め込む。
足音が幸の部屋に入って来た。
「……っぅ」
得体の知れないものが近くにいる恐怖を再び思い知ることになって、生きた心地がしない。
幸が恐怖に戦いている中、確実に迫って来て幸の枕元で止まった。
「……ッ!!」
もう終わりだと声を殺して目を更に強く瞑った時、ふわりと優しい香りが漂った。
「幸…」
その声音が聞こえたかと思うと、頭に重みを感じた。
(うそ……)
アマテラスに化けた恐ろしい化け物が自分を惑わそうとしているんじゃないだろうか、振り向いて良いのだろうか。
幸はそんなことを考えて、素直に喜べないでいた。
「幸…起きているのであろう?顔を見せてくれ。それが出来ぬのなら、話だけでも聞いて欲しい」
「本当に…アマテラス様なのですか?」
幸は振り返らず、背を向けたまま震える声でそう問うた。
本物でも偽物でも、そうだと答えるしかないのに馬鹿げた質問だ。
「ああ、俺だ。光だ。幸…本物かどうか、その目で確かめてはくれぬか?」
そう言って、幸の頬へアマテラスの手が伸びた。
その白い手は、幸の頭をゆっくりと縁側の方へ向けさせた。
「少しやつれたか…?きっと俺のせいだな」
「あぁ…っ、ぁあ…」
眉を寄せて微笑むのは、紛れもなくアマテラスだった。
その顔を見ると、今までずっと不安だった気持ちやら、聞きたかったことも全部忘れた。
アマテラスを見たら安心してしまったのだ。
「泣くな幸…どうしたらいいか分からなくなるだろう」
「だって…ぼくっ」
あれほどアマテラスの前では気を付けていた言葉も、感情が高ぶってそれどこではない。
ゆっくりと身体を起こし、幸はその目にしっかりとアマテラスを映す。
「心配かけてすまなかった」
片腕で優しく抱き寄せられて、そのまま頭を撫でられる。
アマテラスの胸にもたれかかる体勢になり、胸が緊張でより一層高鳴った。
「眠れないのか?」
「も、申し訳ございません……」
「その言葉が聞きたいのではない。飯はしっかり食っておるのか?」
「……申し訳ございません、今日いくらか残しました」
「そうか。俺が来たからには何がなんでも食べてもらうからな?
幸はちと細すぎるからなぁ。抱き心地の良い身体にしてやろうな」
「だ、だきごこ…っ!」
「ハハハ、いやらしい意味ではないぞ?助平め」
まるでおやつ時に縁側で楽しむ会話のように朗らかな空気が生まれた。
懐かしいとさえ思ってしまうほど、この時間が恋しかった。
アマテラスが戻って来たということは、また同じように暮らせるのだろうか。
都へ戻すことを告げに来たのだとしたら。
そう思ったら、幸の心は一気に冷えていった。
「…アマテラス、様。私は…私はもう…用済みなのでございますか?
京へ戻すなら、明日すぐ支度致しますから、どうか今だけはこのままでいさせて頂きとう存じます…っ」
「何を言うか幸、そんなことする訳がなかろう?涙を拭かんか」
『まったく…』と喉の奥で笑いながら服の袖で幸の涙を拭いていく。
「お前をここに残すためにずっと高天原に居たのだからな。そんなことをすれば、豊葦原の時間で数日の苦労が水の泡だ。
詳しい話は折りを見て話そう。まずは一眠りしてからだ。久々に幸の隣で眠れる」
嬉しそうに、しかし強引に幸と共に横になる。
いつもなら慌てふためく幸も今日ばかりはアマテラスと眠ることを願った。
「再びお前が目を覚ますまで傍にいてやるからな。安心して眠るがいい」
「はい、アマテラス様」
幸が毎日手入れをしている髪を優しく梳かれると、途端に眠くなってゆっくりと意識を手放した。
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