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第2話 春のみにみに
大学進学のために準備は大体ととのった。
住まい、学科のテキスト、交通手段の確認、それとなにより、学費。
「っっはぁぁぁ~~~~」
机に向かって深くふか~いため息を吐いた。大学進学は両親も勧めてくれたことで俺も必要だと思っている。ただ、俺の下には成績の良い妹と未知数の弟がいる。
二人のために、学問に向いていない俺が身を引くべきではなかったか。
日ごとに俺を苛む疑問は膨らんでいく。
頭を抱えた俺の顔を拓斗が覗き込んだ。
「お客様、なにか心配事でも?」
「なんだよ、お客様って」
「タクティスト・カフェへようこそ!」
……意味が分からない。拓斗は両手を広げて堂々と胸を張っている。それはいかにもカフェの店員っぽい雰囲気だった。
ただ、春先に似合わない暖かさを感じさせるざっくりとしたセーターが拓斗らしさを失わせず、よく分からないごっこ遊びの邪魔をしていた。
「なにそれ。なにごっこ?」
拓斗が唇をとがらせる。
「言ったじゃない。カフェだよ。タクティスト・カフェ」
俺はコーヒーが苦手だ。カフェと言われてもテンションは上がらない。
「じゃあ、昆布茶をください」
拓斗がみるみる頬をふくらます。
「カフェで昆布茶ってどういう了見?」
「お前こそ、俺にカフェを求めるってどういう了見だよ。俺はファミレスでいっぱいいっぱいなの。シャレオツ物件には縁がありません」
「だからこそ僕が美味しいものを提供するんじゃない。はい、注文、注文」
拓斗が無理を言う。ならばこちらも無理で答えよう。
「エクストラコーヒー ソイ アーモンドトフィー ダーク モカ チップ フラペチーノ をひとつ」
これなら絶対に勝てる。
「はい。かしこまりました」
拓斗は飄々とした風情で台所に引っ込んだ。
え、あるの?
同級生の女子の好みだという謎の商品名を万が一の時のためにと暗記したのが裏目に出た。拓斗がどんな代物を持ってくるのかドキドキが止まらない。
拓斗は料理上手だ。甘かろうと辛かろうとどんなものでも美味しく作る。
ただ、俺をからかうためならどんなに不味いものでも平気で作る。まあ、そのひどい食物は拓斗がたいらげるので地球にやさしくないとは言えない。俺にやさしくないだけだ。
拓斗が不味い料理を作るのは俺と喧嘩した時がほとんどで、俺が謝るまで止めないのかと思いきや、喧嘩が終わっても一週間ほど不味い料理を作り続けることがある。
どうやら精神が乱れていると料理が不味くなるらしい。
出来るだけ喧嘩はしないでおこうと思う。
それはそれとして。
拓斗が持ってきたグラスは恐ろしい見た目をしていた。
「エクストラコーヒー ソイ アーモンドトフィー ダーク モカ チップ フラペチーノ でございます」
目の前に出された耐熱グラスには熱々の湯気を立てる真っ白な液体がごっぼごっぼと煮えたち大きな気泡をたてていた。
「ちょっ、なにこれ!?」
「エクストラコーヒー ソイ アーモンドトフィー ダーク モカ チップ フラペチーノ ですよ」
「コーヒーはどこにいったんだよ!」
「お客様が苦手な成分は除去してあります」
「除去て。毒物じゃないんだから」
「お客様がお好きな砂糖はがっつんがっつん添加しております」
はーっと深いため息が出た。どう考えたって俺が拓斗に勝てるわけはない。
「拓斗、何を怒ってるんだよ。言わなきゃ分からないぞ」
拓斗はツンと唇をとがらせる。長身で端正な容姿の拓斗にどこかしら幼さが戻る。俺がよく知っている拓斗に戻る。
「君の生活は僕がみるっていったでしょ」
「何度も聞いたよ」
「君は何も気にしなくていいんだよ」
「気にしないって……何を?」
「学費も僕が払うから」
「はあ!?」
「二年分、一括で払い込んだ」
「おま! おまえ、なに言ってるの! そんなお金どこから……」
「契約金」
「はあ?」
「僕、アルバイトするから」
「はあ?」
「AV男優」
「はあ!!??」
俺の鼻から粘液が飛び出した。拓斗はくすくす笑いながらティッシュで鼻をふいてくれた。
「うそうそ。モデルだよ。きれいな服を着て写真に撮られるだけ。それだけだよ」
「それだけって……。それだけじゃないよ! なんだよそれ! いつそんなことになったんだよ!」
「昨日。街でスカウトされたんだ。怪しいところじゃないよ。大手の会社だし、契約書も問題なかったよ」
「そ、そういう問題じゃないだろ!」
拓斗が微笑む。ああ、俺はこの笑顔に逆らえない。
「大丈夫。すべてうまくいくよ。春樹は心配しないで、思う通りのことをして」
ずるいよ、拓斗。ずるい。俺は、俺は。お前のために何かしてやりたいのに。
「春樹、春樹。ずっと僕のそばにいて。僕のことだけ見て。僕がいないと生きていけないように僕が君を変えるから。だから、僕はもう、君のすべてを奪うから」
拓斗が俺の左手をとる。左手の薬指の指輪に口づけを落とす。拓斗が俺にくれた指輪。俺を拓斗に繋ぎとめる鎖。
俺はほっと息を吐く。
誰に見られても、誰に求められても、拓斗は俺だけの拓斗だ。俺以外の誰にも触れられない俺だけの拓斗だ。
そう、思っていた。
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