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牡丹は蝶の翅のかほりに-4
「うわ、お前、髪切ったの?」
朝、事務所に平然と遅刻してきた蜩に言われ、受付カウンターそばのデスクに着いていたシンジは頷く。
「暑くなってきたし、友達の美容師に無料で切ってもらいました」
「へぇ~ふぅ~ん」
わざわざデスクの真横までやってきてシンジを繁々と見回す蜩。
「なんか若返った」
「そうですかね」
「爽やかよ、うん、こっちの方が好きよ、俺」
デスクにもたれて両腕を組んだ上司にしばし視姦され、シンジはため息を噛み殺したのだった。
「なんだてめぇ、ケンカ売ってんのかぁ?」
待ち合わせ場所へ先に来ていた黒埼弟の正面に回り込むと、いきなりそんな台詞を浴びせられ、シンジは目を丸くした。
黒埼弟は過剰に眉根を寄せ、シンジを上から下まで睨みつけ、そして。
「あ、なんだぁ、しんちゃんか」
「俺、殴られるかと思った」
「どっかのいきがった野郎がメンチでも切りにきたのかと思ってよ、ばっさり切ったなぁ、女にふられたん?」
黒埼君、古いよ、失恋イコール髪切るって。
そもそも女の子がするコトだよね、それって。
「腹減ったぁ、ビールビール!」
黒埼弟はがしっとシンジの肩に腕を回して意気揚々と夜の街へ繰り出す。
焼き鳥屋で出会った日を含め、二人で食事をするのは三度目だった。
あの夜の記憶が未だに失われたままのシンジは、実際、何があったのか知りたくて。
もしかすると黒埼君はちょっと覚えていたりするんじゃないだろうか?
でも覚えているなら、こんな風に密着してきたりしないかな?
本番には至っていないとは思うけれど。
そもそもこの子、極度のブラコンみたいだけど、ノンケだよね?
「生二つと特上カルビと特上ロースとタン塩とカクテキ!!」
「後、チャンジャも」
小汚い店内ながらもほぼ満員の焼肉屋、テーブルの間隔が狭い座敷で向かい合って座ったシンジと黒埼弟。
火の入れられた焼網の下から熱気が顔に直撃する。
「なぁなぁ、しんちゃん、聞いてくれっか!?」
「何?」
「今日の兄貴もすっげぇかっこよかったんだわ!!」
早速運ばれてきたジョッキ片手にそれは嬉しそうに黒埼弟は肉親を褒め称える。
成人済み、鼻ピアスに金髪、さもヤンチャそうな印象通り、彼は闇金事務所に勤めているようだ。
シンジのいる弁護士事務所にそっち系の借金で悩んでいるという相談が時にあるが、これはもう手遅れ、お手上げだ。
とにかく無視して逃げるしかないよ、というのが弁護士蜩の見解だ。
非情なようだが、法を守る自分たちには、法をスルーするソッチ系と戦う術がない。
「しんちゃん、肉、焼いてくれ!!」
まぁ、それはそれ、これはこれ、だ。
「ところでさ」
「なんだよ、もっと兄貴の話聞いてくれよ!」
「黒埼君、あの夜のこと、覚えてる?」
そんな台詞を口に出してから、酔っ払った本命と寝てしまった女の子、みたいな心境になった。
「あの夜っていつの夜だ?」
「焼き鳥屋で初めて会ったとき、の、夜」
焼けた肉を皿に乗せてやると黒埼弟はすぐさま飛びついた。
濃い方のタレにぶちゃっとつけて一口で頬張る。
「うめぇ!」
あ、このコ、肉のうまさで俺の質問もう忘れてる。
「ねぇ、黒埼君、焼き鳥屋からもう一軒はしごして、それから俺の部屋に行ったんだよね?」
「ん、もぐもぐ」
「それから……どうして服脱いだんだっけ?」
「そりゃ暑いからだろ、寒くて服脱ぐバカがどこにいんだよ」
「それもそうだね」
「でも脱いだら寒くなったから、しんちゃんのベッドに潜り込んだんだわ」
「それから……」
「あ?」
「何か……」
「しんちゃん、次の肉焼いてくれ!!」
だめだ、食事中に聞き出すの、無理そうだ。
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