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牡丹は蝶の翅のかほりに-7
その夜、シンジが待ち合わせ場所に向かうと黒埼弟にはまたしても連れがいた。
「そちらがしんちゃん、さんですか。うちの者が世話になっていると聞きましてご挨拶に伺いました」
薄い色つきのサングラスに黒の上下、丁寧なようでいて牽制を強いるような淀みない言葉遣い。
ただならぬ気迫を持ったその男にシンジは一つの予感を抱く。
ひょっとしてこの人は例の。
「兄貴ぃっ! 俺、お寿司が食べたい! お魚食べたい!!」
甘えん坊な恋人じみた振舞で黒埼弟がしがみついた相手は、そう、黒埼兄だ。
まさかいきなり家族に引き合わされるなんて。
いや、違う違う、そんな恋人紹介のノリじゃない、そもそも彼とは健全なお付き合いじゃないか、うん。
「今からしんちゃんさんと飯に行くんだろう、俺はお邪魔だろうが」
「邪魔じゃないないない!! な、しんちゃん!?」
「はい、お兄さんもぜひご一緒に」
明らかに俺<<<<お兄さんだ。
こうも見せつけられると、ちょっと凹むかも。
かくしてシンジは黒埼兄弟と夕食を食べることに。
てっきり高級寿司店に行くのかと思いきや。
「炙り~炙り~俺のためにもっと炙られろ~」
全国チェーンの回転寿司で小学生の如くはしゃぐ黒埼弟を横に、揺るぎない物腰の黒埼は、向かい側に座るシンジに淡々と話しかけてきた。
「見ての通り、弟は垢に塗れていないといいますか」
「はい」
「真っ直ぐで純粋なところがありましてね」
「そうですね」
「仕事面はともかく、私生活に至っては。一度信用した相手にはとことん尾を振るような一途な性分でして」
口元は笑っているがレンズ向こうの一重の双眸は冷ややかな炎を点している。
「このサーモンは炙りが足りねぇな、却下だ!」
「なんでもシンジさんは弁護士事務所に勤められておいでだとか」
「補助者として、ですが」
「消費者金融関連の相談事は絶えないでしょう。訴訟もほぼ毎日、の話では?」
「そうなりますね」
「法定金利を無視した業者を対象とすることもあるのでしょうね」
探りを入れられている。
俺が調査のため黒埼君に近づいたとでも思われているのか。
実際、近づいてきたのは黒埼君の方なんだけど……。
「すみません、自分にこれといった特定の意思があるわけでは――」
「この炙り具合は完璧だぞ、しんちゃん!!」
いきなり目の前に炙りサーモンがのった皿二枚、置かれた。
気がつけば黒埼弟の正面には五枚以上の皿が積み重ねられていた。
いつの間に食べたのかプリンの容器もあった。
「なぁなぁ、兄貴兄貴!! しんちゃんに清八さん紹介してやってくんねぇ?」
「セイさんを? どうしてだ」
「セイハチさん……?」
きょとんとするシンジの右の二の腕をがしっと掴んで黒埼弟は兄に嬉々として言うのだ。
「ここに蝶彫ってもらおう!!」
いやいやいやいや。
それは本当無理だよ、黒埼君。
「ほら、しんちゃんはさ、顔がしゅっとしてっから! シンプルっつぅの? 塩顔っつぅの? だからちょっとけばいくらいの刻んでも全然いいと思うんだわ!」
全然よくないから、むしろ全然駄目だから。
「ふぅん。確かに似合いそうだ」
お兄さんまで何を言い出すのやら。
内心焦りながらも、それを表に出さないようポーカーフェイスでいたつもりが。
黒埼はシンジを見、弟に言った。
「シンジさんは困ってらっしゃる、やめとけ」
ぶすっと頬を膨らませて腹に抱きついてきた弟の頭をぽんぽん叩き、やはり揺るぎない物腰の黒埼は、シンジに笑いかけた。
気のせいだろうか、鋭さが少しだけ和らいだような。
「素人様に刺青を煽るなんてこと、そうそうしない子でね」
「はい?」
「日常生活に明らかに支障を来たすでしょう、そこを踏まえた上で勧めるとは、余程そちらの体に蝶を飛ばせたいんでしょうねえ」
シンジを素人呼ばわりして自分の立場を明らかにするような言い回しをした黒埼。
警戒を解いた証拠かもしれない。
「だってさぁ、兄貴ぃ、しんちゃん刺青に興味あるみてぇだったから」
「ふぅん」
「俺の背中の牡丹の匂い嗅いでたし」
「ん?」
「黒埼さん、あの、何か飲み物頼みましょうか?」
シンジは焦りを露にして黒埼弟の発言を有耶無耶にするべく黒埼兄に早口で問いかけたのだった。
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