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牡丹は蝶の翅のかほりに-8
「シンジぃ、ランチおごってやるよ」
上司からのお誘いをシンジは有難く受け入れた。
さっぱりしたものにしようということで蕎麦処に入店する。
昼時ということもあって店内は混んでいた。
フロアはテーブル席と座敷に分かれていて、靴を脱いで座敷に上がり、蜩と向かい合う。
「来週訴訟分の準備書面、作成できた?」
「はい、大体。後でチェックお願いします」
「午前中に届いた取引履歴の過払計算、もう済んだ?」
「済みました、元金、今日付けの利息で金額出してます」
蜩は満足そうに頷いて「好きなもん頼んでいーよ」とおしぼりで手を拭きながらシンジに言った。
それならば天ぷらがついたゴージャスめのやつにしようとシンジがお品書きを眺めていたら。
「おおおお! しんちゃんじゃね!?」
聞き覚えのある声に視線を向ければ二人掛けのテーブル席に座ろうとしていた黒埼弟の姿が。
「黒埼君?」
「ん、シンジのお友達? こっち来てもらえば?」
かくして弁護士と補助者と闇金業者という不思議な顔触れの昼食が始まった。
「黒埼君、この人は俺の職場の上司で、ひぐら――」
「あ! こいつ、ぱわ原さんってやつか!?」
「ん、パワハラ?」
「違うよ、パワハラすれすれ上司の蜩さん、だよ」
「手厳しい紹介の仕方だねぇ、シンジ?」
「ひぐらし? 田舎でよく鳴くセミみてーな名前だな、つくつくぼーし、って」
「それは多分違うセミだと思うよ、黒埼君」
シンジに手渡された箸をぱきっと割って、蜩は、伊達眼鏡越しに黒埼弟を意味ありげな視線で見つめて説明してやる。
「蜩はねぇ、カナカナカナって、鳴くセミ」
シンジに手渡された箸を口にくわえ、ぱきっと割って、黒埼弟はぐるりと首をかしげた。
「カナカナ? 朝とか夕方に山から聞こえてくる? あれって鳥じゃねぇのかよ?」
シンジはぱきっと箸を割って蕎麦をすすった。
海老天をそばつゆに浸して食べていたら、横合いから、邪なる箸先が。
「ああ、駄目だよ、海老天は。椎茸ならいいけど」
「俺、やらしー話、キノコ系無理」
「黒埼君、それ、別にやらしい話じゃないよ」
「俺の海老でよければあげようか、黒埼君」
天丼を食べていた蜩、海老を一つ、黒埼弟が頼んでいたぶっかけおろしそばの上にちょんと置いた。
すると黒埼弟は。
「……兄貴みたい」
聞き捨てならない台詞にシンジはポーカーフェイスを保持しながらも内心ぎょっとした。
横目で窺ってみれば彼は繁々と蜩を眺めているではないか。
確かにオフの蜩さんと黒埼君のお兄さんは、ちょっと、雰囲気が似ているかもしれない。
今は髪を撫でつけて眼鏡をかけ、海外ブランドを整然と身につけているが、休日の蜩さんははっきり言って見た目、柄が悪い。
しまったな、海老の一つくらい、すんなりあげればよかった。
「黒埼君、俺の海老もあげようか?」
「ん? もういらん。よく見たら俺のぶっかけにも海老天入ってたわ」
「あ……そうなんだ」
シンジと黒埼弟の遣り取りに蜩はニヤニヤしている。
そんな上司の様子が歯痒く、シンジは海老の尾までぼりぼり食べ尽くした。
「ぱわ原さん、おごってくれてどーもです」
「違うよ、黒埼君」
「あ? ああ、そーだそーだ、カナカナカナの人、どーもです」
黒埼弟はブンブン手を振りながら二人の元を去っていった。
人通りの絶えない表通り、残された二人は近くにある事務所へ颯爽と戻る。
「面白い子だねぇ、黒埼君」
「そうですね」
「シンジのこれまでのタイプと全然違うくなーい?」
ああ、やっぱりばれた。
「……そうですね」
「俺、なんか気に入っちゃったなぁ」
「そうですね……、は?」
「今度また飯でも食おうよ、俺のだぁいじなかわぁいい凪君も呼んでさ」
「はぁ」
この人、普段は名前で呼んであげているのに、本人の前では「ポチ」呼ばわりなんだよな。
「あ、凪君ってアイスクリーム好物でしょ? だからもういっそ凪君にアイスクリーム乗せちゃって、俺が食べちゃうみたいなプレイ、どうかな? どう思うよ、シンジ?」
この人、本当、改名してぱわ原さんになればいいのに。
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