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牡丹は蝶の翅のかほりに-12

「にいにぃぃぃぃ!!」 黒埼がドアを開くなり玄関で待ち構えていた弟は長年理想とする足に飛びついた。 「先月ぶりだな」 「うん!! にいに、おめめかたっぽ、どしたん!?」 眼帯をしている黒埼に弟はきょとんとする。 「またけんかしたん? にいに、けんかしたん? あいて、びょーいん送りにしたん!?」 「これは物もらいだ」 「ものもらいぃぃ? それなんて武器!?」 「だから約束していたプールに行けなくなった、悪い」 「えぇぇぇぇえ~」 弟は盛大なブーイングと共に兄の足にしがみつく。 少々歩きづらいが黒埼はそのまま部屋の中へ進んだ。 「今日は何か食べたのか」 「朝にあんぱぁぁんちぃぃ!!」 「あのママはどうした」 「ばばぁはエステであんぱぁぁんちぃぃ!!」 ダイニングテーブルに置かれていたあんぱんの包装以外、開放感ある広々としたその部屋は。 隅から隅まで綺麗に片づけられていてゴミ屑一つなかった。 まるでチラシに載っているモデルルームのような。 「ばばぁ、じゃない、ママだろ」 「おれ、ばばぁママもおやじもきらい!! にいにだけでいい!!」 放っておくと延々と片足にしがみついていそうな弟を抱き上げた黒埼。 きゃっきゃっと喜ぶ弟を小脇に抱えて、その足で部屋を出、高級マンションを後にした。 「おれ、にいにのバッグみたい!!」 「そうだな、財布は入るか?」 「口のなかにポンするであります!」 白昼の暑さもどこ吹く風で弟は大口を開けてきゃっきゃと笑う。 途中、片方の手に掴んでいたサンダルを舗道にぺたんと並べ、弟に履くよう促したのだが。 「えぇぇぇ~おれ、にいにのバッグだもん! 歩くの変だもん!!」 それもそうだな、と思い、黒埼はまたしても小脇に弟を抱えて歩行を再開した。 「ねぇねぇ、にいに、どこ行くん!?」 「お前、今、何が食べたい?」 「焼肉!!!!」  弟のリクエストに応え、黒埼は最も近くにあった全個室の高級焼肉屋へ。 「すげーうまいであります!」 弟の食べる肉を焼いてやる黒埼。 二人は血の繋がった、年の離れた兄弟だ。 両親は離婚した。 現在、弟は父と、その再婚相手と三人で暮らしている。 黒埼は一人で暮らしている。 心の安静が必要な母親は実家に籠もっていた。 「ねぇねぇ! にいに!」 「カルビ追加か?」 「かきごおり食べたい!」 メニューにカキ氷が載っていなかったので、焼肉屋を出た黒埼は幾分重くなった弟を肩車して通りがかったファミレスへ。 冷房の効いた店内で並んで座ってカキ氷を一つ注文。 テーブルに届くまで弟は兄の片手で遊んでいた。 「にいにの手はでっかいぞ!」 「お前よりはな」 「この手でけんか相手のあたまをぎゅってしちゃうんだな!」 黒埼が喧嘩に明け暮れていたのは弟が生まれる前のことだ。 弟が生まれた当時、その存在に毎日心身を傾け、喧嘩どころではなかった。 ミルクやげっぷやおむつのことで頭がいっぱいだった。 ちなみに黒埼、当時、十五歳のときのことであった。 「わぁぁ! まぶしぃぃぃ!!」 ストロベリーの練乳がけカキ氷にまたテンションの上がる弟、そんなに喜んでくれるならいくつだって頼んでやる、黒埼はそう思った。 のだが。 「……ぐぅ……」 カキ氷を半分食べた辺りで小さな頭はこっくり、遂には完全に落ちた。 スプーンを握ったままテーブルに突っ伏して寝始めた弟。 ちょっと行儀が悪いがしょうがない、黒埼はサンダルを脱がせて弟を膝枕してやり、残りのカキ氷を食べた。 ……ハンパねぇな、このツーン感は。 黒埼は寝たままの弟をおんぶして弟の家へと向かう。 夕方になっても夕涼みには程遠く、西日に横顔がじりじり焦げつくようだった。 「ん~……」 マンションのエントランスまで来たところでタイミングよく弟が目を覚ました。 黒埼はサンダルを並べ、まだ眠たそうにしている弟に履かせると、その場にしゃがみ込む。 「上まで一人で帰れるな?」 そう問いかけた瞬間。 寝惚け眼だった弟が双眸をまぁるく見開かせたかと思うと。 ぶわりと涙が。 「……うぅぅっひっくぅ……」 「……」 「おれぇ……にいにのバッグだもん……にいにのおうち一緒帰るもん」 「……」 「にいにと……う゛う゛っ……一緒いるもん」 磨かれた大理石のエントランス、住人の姿は一人もなく、どこまでも静まり返っていた。 片目に眼帯をした黒埼は無言で弟を見つめた。 かける言葉がまるでない。 まだ兄弟一緒にいられる時期には至っていない。 だけどいつか必ず。 「……」 黒埼の目の前で弟はぐっと涙を拭った。 まだひっくひっくしていたが、黒埼をじっと見つめ返し、ちょっと背伸びをしたかと思うと。 兄の頭をぽんぽん撫でてきた。 「にいに!! おれ、にいにと早く一緒になれるよう、がんばる!!」 「頼もしいな」 そう言って黒埼はまだ泣き顔でいる弟に笑いかけた……。 「佐倉さん、ちょっと休憩したらどうだ」 「この分を入力したら一段落つきそうなので、もう少し」 「コーヒー飲むか」 「え? あ、いえ、自分で淹れますから」 「アイス奢ってやろうか」 「あぁぁぁぁあ! にいに、俺にも構ってぇぇぇ!!」 あまりの自分への無反応ぶりについ昔の呼び方をなぞった黒埼弟。 パソコン画面に釘づけな綾人の肩に手を乗せたまま、黒埼は、サングラスをずらして弟に言う。 「お前の分はもう買ってある」 「……兄貴ぃぃぃぃ!!!!」

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