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闇金事務所の恋愛事情-5
本当に大丈夫なのだろうかと心配しつつもシンジはそのドアをノックした。
「はい、どうぞ」
非合法な高金利で貸金業を営む闇金事務所らしからぬ温和な声の返答あり。
「失礼します」と、官公庁へ出向く際と同じ礼儀正しさでもってシンジはドアを開いた。
第一の感想は煙草くさい。
第二の感想はとっ散らかっている。
第三の感想は、まぁ想像した通りだったな、というもの。
「あ、六華さんの」
目の前に立つのはこの事務所の事務員、すでにシンジとも面識のある綾人だった。
眼鏡をかけた、闇金業に似つかわしくない清潔感のある端整な男にシンジは会釈し、言葉を続ける。
「すみません、六華君と約束していたと言いますか、仕事が遅くなりそうなのでこちらへ来るよう言われまして」
「ああ、そうでしたか、どうぞこちら、」
「ふっざけんじゃねぇぞ、ああああ!?」
当の六華の怒鳴り声がいきなり耳に飛び込んできた。
パーテーションで来客スペースを仕切るという配慮に欠けた事務所内、客からは雑然極まりない仕事場が丸見えで。
ごちゃごちゃしたデスクに両足をお行儀悪く乗っけた六華が携帯片手にお仕事の真っ最中だった。
「がたがた抜かすな、つべこべ言うな、言い訳する暇あんなら金用意しろ、てめぇ脳みそどっかに落としたのか、赤ん坊じゃねぇんだからわかんだろぉが、人から借りたもんは返すのが当たり前だろぉが、違うかよ、おい、泣いてんじゃねぇ、泣きたいのはこっち、あ、れ、おおおお、しんちゃん!?」
やっとシンジに気がついた六華が電話中であるにも関わらず名前を呼んで手を振ってきた。
シンジは苦笑して手を振り返す。
「しんちゃん、来んの早かったな!!」
「いや、電話もらってから一時間は経ってるよ、ほら、ソッチ」
「あ、おお、ああ゛? あんだと? 死んじゃえ? んなこと言ってねぇぞ、てめぇの耳は節穴か?」
節穴なのは耳じゃなくて目だよ、黒埼君……。
シンジは革張りのソファに腰掛けた。
間もなくして綾人が湯呑みを運んできた。
「忙しそうですね」
「そうですね、年末なので」
「黒埼さんはお留守ですか?」
「ええ、支配人は外回りで。彼はあまり事務所にいないんです。でもそろそろ帰ってくる頃だと思います」
そんな会話をしていたらグッドタイミング、いや、むしろバッドタイミングか。
黒埼が事務所に戻ってきた。
夜中にサングラスをかけた彼はすぐにシンジへ視線を向け、その一重の双眸を軽く見張らせた。
「これはこれは。シンジさん、ご無沙汰しております」
一線を引いた物言いは丁寧な言葉遣いであるものの有無を言わさないような圧力が感じられる。
立ち上がったシンジは二度目の会釈をした。
「こんな時分に突然すみません」
「いえ、あの子が呼んだのでしょう? どうぞごゆっくり」
そう言って、コートを脱ぐと、シンジの向かい側に腰を下ろした黒埼。
とてもゆっくりできる状況じゃない、と、シンジは思う。
「いつも弟がお世話になっています」
「いいえ、こちらこそ」
「弁護士の蜩先生はお元気で? お仕事の方、さぞ順調なんでしょうねえ」
「はい、お蔭様で」
「そうですか、一本、失礼しますよ」
黒埼は煙草を取り出した。
長く太い指で一本引っ張り上げ、向かい側のシンジにケースを傾けてくる。
「あ、いいえ、結構です」
「シンジさんは吸われないんですか」
「はい」
「最近、弟とはどうですかねえ」
「はい?」
「最近の六華は口を開けば貴方のことばかりでしてねえ」
多分、いや、絶対に知ってるだろうな。
黒埼君、なんでもぽんぽん口にするから、俺との関係も大好きなお兄さんに平然と話していそうだ。
……まさかとは思うけどセックスの内容まで言ったりしてないよね、黒埼君?
「兄としては嬉しいんですよ」
シンジは今一度サングラスの向こうにある黒埼の一重目を見直した。
「自分よりも信頼できる相手を見つけてくれたこと。巣立ちを予感する親鳥みたいな気分、とでも言いますかねえ」
親鳥。
鷲とか鷹とか、どうしても猛禽類を想像してしまう……。
「恐縮です」
シンジの返事に黒埼は淀みなく笑う。
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