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ショコラな本能-9
「存命する人間を亡くなったと言い触らすなんて冒涜でしかない」
「え。自殺したんじゃないんですか?」
一部の生徒がざわつき出す。
ダークカラーのワイシャツを腕捲りした隹は教卓に両手を突いて前屈みになると「その情報源は、ソースはどこだ」と聞き返した。
「だって、式に聞いても何も教えてくれないから、やっぱり死んだのかなって」
(確かに、どうして説明しなかったんだろうな、式は)
顔を伏せ続ける式を横目でチラリと見、隹は教え子たちと向き直る。
「雨の日の放課後、その先生は校内の階段で足を滑らせて転落事故に遭われた。まだ復帰するのは困難で、現在もリハビリを続けられている。つまり噂はデマだ。出所が曖昧な情報を鵜呑みにするなと日頃から言ってるよな。誰かの悪意に踊らされる前に、自分の五感で見極めて、地に足つけろ。容易く掬われるんじゃない」
宇野原は力一杯うんうん頷き、他のβ性の生徒は何とも言えない面持ちで肩を竦めたり、首を傾げたり。
「それから内部進学が決まってるからと言って気を抜くな。学年末テストで目も当てられない点数をとったら居残り追試だからな」
「えええっ」
逐一リアクションする宇野原にクラスメートの半数が笑う。
視界の端で確認してみれば式はまだ顔を伏せたままだった。
(余計なお節介だと腹を立てているのか)
午後から雨が降り出した。
「隹センセイ、ちょっといいですか?」
放課後、特別棟の一室。
テスト代わりの課題として中等部一年生に作成させた絵本を読んでいた隹は顔を上げた。
「テスト前で課外授業は休みだぞ」
油絵具の匂いが染みついた広々とした美術室に入ってきたのは高等部の生徒数人だった。
皆、Ω性だ。
校則として部活動は禁じられているものの、純粋な創作意欲や探究心を折るなんて馬鹿げていると、美術部指導の傍ら隹が特別に教え込んでいる生徒たちだった。
「あの、これ、どうぞ」
「いつもお世話になってるお礼です」
手づくり絵本が無造作に積み重なった木造の作業台へおずおずとやってきた彼らに、隹は、腰を上げた。
掲げられた紙袋を受け取って「ありがとう」と礼を告げる。
「っ……みんなで買ったんです」
「あと、二年の渡瀬センパイも……一昨日から重いヒートで学校休んでて」
「そうらしいな」
(そういえば今日はバレンタインデーだった)
丁寧なお辞儀をして美術室を出て行った彼らの背中を見送り、隹は、シックなリボンが巻かれたチョコレートの箱を覗き込んだ。
まとまった量で長々と降り続く雨。
『すぐに他の先生方が気づかれて……早い発見で不幸中の幸いでしたが、もしも見つけるのが遅れていたら……』
隹はいつになく慎重な足取りで家路についた。
市街地の中心地区に建つ学校から、徒歩で十五分ほどかかる自宅マンションまで、山ほどの事務処理が濃縮されたUSBメモリを普段使いのトートバッグに忍ばせて歩く。
もうじき夜七時になる。
渋滞気味の表通りではヘッドライトが騒がしげにせめぎ合っていた。
眼鏡を外し、膝上丈のウールコートを着込んだ隹は光溢れる車道から視線を逸らす。
二月半ばの雨は骨身に凍みるようだった。
夕食はどうしようか、まだ何か冷蔵庫に残っていただろうと、最寄のコンビニは素通りしてマンションのアプローチに差し掛かったところで。
隹は不意に足を止めた。
視界の端を掠めたその姿に、まさかと思い、特に定めていなかった焦点を絞ってそちらを見やった。
式がいた。
ビニール傘を差して歩道脇にポツンと佇んでいた。
「式」
大股になって隹が歩み寄れば、式は、恐る恐る担任と視線を交わらせた。
「隹先生……」
「お前、何やってる。顔色悪いぞ。肩もそんなに濡れてーー……」
スクールバッグを肩から提げ、下校しても帰宅せずに雨の降り頻る外にずっと立っていた式は。
たった一人で途方に暮れていた生徒は担任のコートをそっと掴んだ。
「せんせいがああなったのはおれのせいなんです」
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