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「あの日はいつもより遅い電車に乗っていたんです」
痴漢対策としてラッシュ時を避けていたまひるは普段から朝早めの電車を利用していた。
「たまに、えっと……事情があって遅れることがあって」
ただ、たまに寝坊して遅れてしまうことがあり、浅海と出会ったときのように満員電車に乗ることもあった。
修了式の日も同様に、まひるは仕方なく混雑する車内に身を投じた。
そこで彼は初めて自分以外の人間が性的な悪意に遭遇する場面に出くわした。
「知らないコでした、後から後輩だってわかりましたけど」
正直、とても怖かった。
吐きそうにもなった。
一秒でも早くそこから逃げ出したかった。
「でも」
『何してるんですか、やめなさい』
そのとき、まひるは浅海の声を思い出した。
かつて幼い頃から背負ってきた苦しみを誰にも打ち明けられずに押し潰されそうになっていた自分を救い出してくれた一声を。
「怖かったけど、オレを助けてくれた浅海さんのこと、心の支えにして、言いました」
『何してるんですか。やめてください』
春めく陽気に包まれた土曜日の昼下がり。
街角にある喫茶店の二階で浅海はまひると向かい合っていた。
まひるが春休みに入ってから初めての逢瀬だった。
「浅海さんがいてくれたから、オレ、言えたんです。あのとき同じ車両に偶々乗ってたからとかじゃなくて、そもそも名前を呼ばれるまで気づかな、っ、浅海さん?」
何気なくテーブルに乗せていた片手を両手でぎゅっとされて、まひるは、びっくりした。
「まひる君、すごいね、本当にすごい」
コットンシャツに杢グレーのカーディガンを羽織ったまひるは観葉植物の陰でみるみる赤面した。
「食後のコーヒーをお持ちしました」
店員が飲み物を持ってきても浅海は離そうとせず、多感な男子高校生は途方に暮れ、そっぽを向いた。
「浅海さん、オレ、まだパンケーキ食べてる途中だから……残りのパンケーキ、食べたいです、ハイ……」
消え入りそうな声で願えばやっと解放された手。
短いひと時がやたら長く思えたまひるはアイスミルクティーを一口飲み、ナイフとフォークを白いお皿の上で非常にぎこちなく踊らせた。
スモーキーなカーキのロング丈アウターに七分シャツを合わせた浅海は、淹れ立てのホットコーヒーを啜るのも疎かに、真摯な眼差しでまひるをまじまじ見つめていた。
本当、きっと怖かったはずだ、まひる君。
でも、自分と同じ恐怖を抱いているだろう女の子を放っておけず、勇気を振り絞って声を上げた。
俺のことを心の拠り所にして。
「そんなに見られてたら食べづらいです、浅海さん……」
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