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「こんなに雰囲気ある旅館、初めて来ました」
ただでさえ気分上々だというのに、さらにテンションの跳ね上がる褒め言葉を授かって浅海はやっぱりニヤけそうになる。
電車を乗り継いで三時間ほどかけて到着した山間部の温泉地。
十二月上旬、冬休み前といえども多くの客で賑わう人気観光地だった。
浅海が予約していた旅館は宿がひしめき合う温泉街のやや外れに建っていた。
こがねに色づいたイチョウ並木を進んで、流れが緩やかな渓流に架かるアーチ橋を渡り、石畳のアプローチを進んでいけば。
鳥の囀る雑木林に囲まれた二階建ての暖か味ある立派な木造建築が現れる。
山の早い日暮れに明かりが燦然と灯るレトロなお宿だった。
「晩ごはんは六時半からにしてもらったよ」
雑踏の人いきれ、喧騒から離れ、ほっと一息ついたまひるは二階客室の窓から自然豊かな風景を眺めていた。
「大浴場、どうする? これから行ってみる?」
「あ……」
ショート丈でチェック柄のダッフルコートを着込んだままのまひるは、ほんのちょっとだけ迷ってから、答えた。
「オレはいいです」
「そっか」
「浅海さん、行ってきてください、せっかくなので」
温泉旅行の醍醐味でもありそうな大浴場での入浴を断られ、浅海は嫌な顔一つせずに「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」と自然な笑みを浮かべた。
まひるは心底ほっとした。
過去に性的な悪意に遭遇して警戒心が拭い切れていない、そんな自分を何にも言わず受け入れてくれた浅海に胸がいっぱいになった。
「鍵はどうしようか」
「オレ、ここでのんびり休んでます」
「じゃあ置いていくね」
キャメル色のダウンジャケットを脱いだ浅海は早速浴衣に着替えた。
着替えている間、まひるは頑なに不自然な様子で窓の方を向いていた。
「まひる君」
短い笑い声と共に耳朶を掠めた呼号。
「こんな贅沢なご褒美、本当、ありがとう」
伏し目がちに振り返れば。
旅館定番のオーソドックスな浴衣に濃紺の羽織を引っ掛けた浅海に抱きしめられた。
息遣いの触れる耳朶をみるみる紅潮させ、まひるは、あったかい懐に向かって小声で告げた。
「ううん、オレこそ……今日の旅行のために勉強頑張ったら、期末テストの数学、今までで一番いい点数がとれました」
「数学苦手だって言ってたよね。すごいね」
「うん……」
本日初の密着にどきどきしているまひるに、浅海は、追い討ちをかける。
「まひる君、この旅館、部屋のお風呂にも源泉が引いてあって温泉が出るんだ。だから……」
夜は二人でいっしょに入ろう。
「……うん……」
コクンと頷いたまひるの頭を撫でて浅海は部屋を出て行った。
ゆったり快適な和洋室。
一人になったまひるは赤くなった顔に両手をあてがう。
……浅海さんと二人でお風呂。
……どんなお風呂なんだろ。
い草の香りが清々しい和室から移動し、これまた檜の香りに天井いっぱい満たされた、木の温もりに身も心も包み込まれそうな浴室を覗き、まひるの鼓動は問答無用に加速した。
以前、シティホテルで浅海と入浴経験はあるものの、和のしっぽり雰囲気に完全に中てられた。
「わぁ……」
次に、和室と隣り合う、襖で仕切られた板間の洋室を覗き込んでみれば。
丁寧に設えられた二台のベッドがバーーーンッ。
まひるのほっぺたは否応なしにカーーーッと熱くなった。
……こんなのこどもみたい。
……浅海さんからしたらオレなんてまだまだこどもだろうけど。
ううん、もう高校三年生だ、来年の春には大学生になる。
オトナな浅海さんとちょっとでもいいから釣り合えるようになりたい。
「ふ……ふかふか……」
そう思いながらも真っ白な羽布団やホテル枕の触り心地に興味津々、もう一度浴室を確認しにいったり、畳の上をうろうろしたりと落ち着きがない高三男子。
「まひる君、まだコート着たままなんだ? そんなに寒い?」
露天風呂を堪能して戻ってきた浅海に目を丸くされ、改めて顔面まっかっかになった青少年なのだった。
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