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第3話 恵畑剛久

たくさんの人が一か所に詰め込まれていて、息遣いが聞こえるのに、すごく静か。 そんな中に『威風堂々』が鳴り響く。 今日、おれ――恵畑剛久は、この学校を卒業する。 待ちに待った卒業式だ。 保護者と来賓と在校生、卒業生たち、みんなが粛々と式の進行に協力する。 春からの新生活をおもんばかってか、高校生活の最後一月ほどは、自由登校期間に充てられていた。 何度かあった登校日は、顔見せと新生活のガイダンスやら卒業式の予行やらで、授業はほとんどなかった。 中学の卒業式は一貫校だったせいかそれほど大掛かりでもなくて、記憶に薄い。 小学校の時はどうだったっけ? と、考えていたら、卒業証書授与の順番が迫っていたらしい。 つんつんと、隣の奴からわき腹をつつかれる。 慌てて立ち上がって、教えられていた手順通りに、壇上に向かう。 『恵畑、剛久』 「はい」 普段は、絵具で汚れてくたびれ切った白衣をひっかけているクラス担任も、今日ばかりはきちんと礼服を着込み、しかつめらしい顔で名簿を読み上げる。 おれの名前が呼ばれたことで、小さなざわめきが走ったけど、知らんぷりで演壇の前に立ち、証書を受け取った。 (おめでとう) 手渡してくれながら口パクでそう告げるのは、兄でもある学校長。 兄ちゃん、眼の縁が赤い。 おれのことをめちゃめちゃにかわいがってくれてるこの人は、結構ダメな大人なので、きっと感動で泣きそうなのをこらえてる。 ホント、恥ずかしいな。 嬉しいけど。 祝辞が滔々と続いて、送辞があって、答辞があって、送る歌は『仰げば尊し』。 毎年のことで、ルーチンのはずなのになぜかしみじみとしてしまう。 脈絡もなくいろんなことが思い出されてくる。 多分それは、卒業生ってもんだから、なんだろうな。 去年、おれは在校生で出席してた。 半分寝てて、えらく後ろから聞こえる呼吸の音がおかしいなと思ったら、イマイリがボロボロ泣いてて面白いことになってた。 あれはイマイリにとっては黒歴史らしくて、話題に出したら大変なことになるから、知っている奴ら全員で封印してる。 けどすごいなって思った。 普段はしっかりしてて、みんなの面倒見てるイマイリが、あんなになるなんてクラスの誰も想像してなかったから。 先輩すげえって、改めて思ったんだ。 おれは今日卒業する。 おれの大事な人は、学校に残る。 学生じゃないからね。 けどなんだろう、おれは去年のイマイリみたいに、涙が出ない。 それどころか、やっと卒業だって、わくわくしてる。 いつもイマイリにいわれていた。 地雷がいっぱいのおれの、最大の地雷は、おれの大事な人。 十八も年上の、兄ちゃんの同級生の男で、しかもこの学校の英語教師だ。 どんだけってイマイリに笑われるし、兄ちゃんもそりゃあ反対したけど、けど、好き。 卒業したら、障害が減る。 おれはそれが楽しみで仕方ない。 式典の内容を全部終えて、普段ならぞろぞろと退場するところを、拍手に送られてきびきびと講堂からでる。 まぶしい春の光と、桜並木。 学校の桜はソメイヨシノじゃないから、卒業シーズンに満開になる。 「終わったな」 「卒業しちゃったねぇ」 先に退場しておれを待ってたイマイリが、笑った。 教室に戻って最後のホームルーム。 卒業おめでとうと、誰かが書いてくれた正面の黒板を背に、いい服を着てても『便所スリッパ』を履いた担任が、笑顔で最後の締めをいう。 そうか、と、急に思った。 もう卒業したんだから、大好きなあの人のことも、この担任のことも『先生』って呼ばなくても、誰も怒らないんだ。 クラスメイトと写真を撮りあって、話していたら、放送が入る。 在校生の見送りがあるってさ。 担任が、みんなと一緒にぞろぞろと向かうおれの襟首をつかんで、引き留めた。 「なに?」 「ちゃんと家に帰れよ」 「は?」 「雄一郎が何をいっても、今夜は家族で過ごしてやれ」 「はあ」 「バタが朝からマジ泣きしてて、哀れなんだよ」 眉をひそめて声も潜めて、そういう担任は、担任のカオじゃなくて、兄ちゃんの友達のカオしてた。 っていうか兄ちゃん、やっぱ泣いてたんだ…… 「はーい」って、適当に返事して手を振り、おれはみんなと一緒に歩いていく。 いい天気で、空がきれいで、暖かくて、桜が咲いてて、穏やかな卒業式だった。 見送る保護者達から、「いいお式でしたね」って声が聞こえて、去年のこと思い出した。 ホントに、今年は穏やかだ。 そう思ったのはついさっきのことだけど、人垣の向こうに校門が見えて、おれはぎょっとした。 隣にいたイマイリも、同時に気がついて足を止める。 「イマイリ」 「うっそ……」 いや、めでたいんだから、紅白なのは間違いじゃないんだろうけどもね。 一人ずつ持たなくてもいいと思うんだよね。 っていうか、待って、嬉しいけど今年はおれも渦中の人になるわけ? 「オレは腹をくくった」 すごく嬉しそうな顔で、きっらっきらの顔でイマイリが笑う。 「もう、あの人とつきあってて、平凡に分類されようと思う方が間違いだ」 「あー……やっと気がついた?」 「おう。オレはお前並みにいろいろと地雷だらけの人生歩くぞ。伝説作りまくってやる」 ええ? なんか、いろいろと誤解がある気がするし、否定したいとこがいっぱいなんだけど。 でも、まあいいか。 今日はめでたい卒業式だし。 いい天気で気分もいいし。 「イマイリ、行こう!」 「おう!」 人をかき分けて、イマイリとおれは、校門で待つ大好きな人のところへ走る。 「理!」 「先輩!」 真っ赤なバラの花束を片手に、イマイリを抱きとめるのは先輩。 さわさわとさざめいていたギャラリーから、ものすごい叫び声が上がる。 おお、いいぞ! それができるのは、若いからだよイマイリ! 羨ましいぞ! おれは駆け寄った先でおっとっとと足を止めて、大好きな人を見上げた。 「よし。卒業、おめでとう」 「ありがとう、雄一郎」 学校の中では見たことのないスーツ。 デザインがしゃれてるから、きっと今日のために兄ちゃんと一緒に買いに行ったんだって思った。 髪型もいつもよりラフな感じにしてあって、わざわざ、着替えて髪を整えて出てきてくれたんだってわかった。 差し出された白いバラの花束を受け取る。 すごい。 絵になってるよ、格好いい。 ふふふ、って花の香りを吸い込んだら、雄一郎が両手を広げてくれた。 「いいの?」 「勢いさえ加減してくれたら」 「雄一郎、大好き!」 そっと、雄一郎の腕の中に納まったら、またすごい声が上がったけど、もういいもんね。 おれ、今日卒業したし! あとは兄ちゃんが何とかしてくれる!

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