2 / 14
第2話
男を好きになった俺が悪いのか?違う。悪いのはきっと俺だ。付き合った相手には「もっと思った事を言え、わがままを言え」とよく言われた。俺としてはいつも相手にわがままを言っているつもりでいる。だから何故そう言われるのかよく分からなかった。
きっと俺は恋愛が上手くできないんだろう。だから相手の負担になってしまうのだ。
3回とも別れを切り出してきたのも向こう。俺はいつもフられる側だ。
こんな風に言うと恋愛経験豊富みたいだが、基本的に俺は奥手である。自分から告白なんてできない臆病者だ。
俺はもしかしたら、人から愛されないかもしれない。そんな漠然とした不安を抱きつつ、自分じゃ埋められない隙間を埋めたくて。恋愛に関してどこか諦めつつも、何かしら出会いがあれば期待するのを止められず。
ただただ、自分への自信だけを失うだけの日々の中、就職活動と言う難題がやってきた。
元々不器用なタイプの俺。就職活動はさっぱり上手く行かなくて、気ばかりが焦って空回りする日々の中。最初にアルバイトをした、あの苦々しいクリスマスの思い出を持つ店の店長が「系列店で働いてみるか」と言ってくれた。こうして調理師免許もなくていいというので滑り込んだのが今の店だ。
暫くは忙しくなるし、きっと恋愛どころじゃないだろうな、と思っていたのに、慣れない生活と、バイトの時とは全く異なる環境で精神の不安定さはピークに達し、酷く人恋しくなってしまっていた或る日。
真直ぐ家に帰る気になれず、夜でも賑わう街の中、隠れ家のようになった公園に立ち寄った。俺以外にも行き場を失った若い子とか、素性の知れない人もちらほらといて、不思議と居心地のいい空間。
けれど、真冬のその日はとても寒くて、流石にコンビニに避難しようかと悩んでいた時。
ベンチに座っていた俺の隣に、黒いスーツを着た男が座った。水商売の人だろうな、と一目でわかる外見。
男は缶コーヒーを手にしており、俺は彼がプルトップを上げる所作を何気なく眺めていた。別にその人に用があったんじゃない。ただ、あったかそうだな、と思っていただけだった。
男は俺の目線に気づいたのか、突然「どうした?」と声を掛けた。
そして、その人は俺に缶コーヒーを差し出しながら「疲れた顔してるよ」と。優しい口調で言った。一瞬は警戒した俺だったが、そのたった一言でふっと緊張が緩み。そんな俺の返事は「俺、珈琲飲めないんだ」という間の抜けた言葉だった。
そんな俺に彼は「じゃ、好きなの買いなよ」と言いながら小銭を取り出して半ば無理矢理俺の手に握らせた。それは、彼にとってはほんの気まぐれ。ただの親切心だったのだろう。
けれど。
それが救いの様に感じられて。小銭を握り締めてその場でボロボロと涙をこぼして泣き出してしまった。自分で思ってる以上に、心も体も限界だったのだ。その人は俺の肩に手を回し、泣きだす俺に静かに肩を貸してくれた。
「ごめんなさい…スーツ汚して」
「いい、大量に持ってるから。仕事着だし」
よしよし、と俺の頭を撫でながら笑ったその人は葵さん、と言った。本名ではない。くれた名刺の名前がそれだったから、これは源氏名というやつだ。ふわふわの黒髪と懐っこい笑顔の葵さんは俺が思った通り水商売の人だった。
「ちーちゃんはさ」
「…?」
「ちーちゃん」
と言って彼は俺を指さした。
「俺が飼ってた犬にそっくりなの。ちーちゃん」
びっくりした。俺の苗字は茅野、だから実際にちーちゃん、って呼ばれていたことがあったからだ。だから、俺は葵さんが勝手につけたそのあだ名をすんなり受け入れた
「今日は時間ないけど、寂しくなったら連絡しておいで」
最初は連絡してもいいものか、と迷っていたのだが、結局は寂しさからすぐに連絡をしてしまった。
たまに仕事帰りに公園によると葵さんがいる時もあり、週の内に数回は会っていたような気がする。時には朝までいたこともある。
葵さんはいつも俺の事を心配し、ちゃんとご飯食べてるのか、仕事は大丈夫か、と気に掛けてくれた。水商売の人だから長けていたのだろうけど、葵さんにすっかり気を許していた俺は、いつしか自分の事を全て話していた。葵さんは俺の性癖も意地っ張りな性格も気弱で臆病で甘えったれなところも。全て許してくれて。
その内家に行くようになって、体の関係を持つようにもなった。でも、俺達がつき合う事はなかった。葵さんは俺に「ちーちゃんは好きだけど。ちーちゃんのものにはなれない」と言ったから。理由は良くわからないけど、そういうものだと思った。
お互いのことは話す、体の関係もある。それ以上でもそれ以下でもない関係。
それでも、付き合えなくてもいいから、葵さんの傍にいたかった。
俺にとって、葵さんといる時間は心満たされる時間で、心の底からこの人が運命の人だと信じていた。
葵さんは俺を連れていろんな場所へ行った。この店は危険だとか、ここは大丈夫だとか。
時には俺の事を紹介して「俺のちーちゃん。可愛いだろ」と言う事もあった。付き合ってもいないのに。
そんな不安定で幸せな日々が続いたある時。
葵さんは唐突に姿を消した。どうしても地元に帰らなければいけなくて、いつか連絡するから、と言い残して、いなくなってしまった。連絡もつかない。
ずっとそばにいてくれると漠然と思っていた、その人がいなくなった。俺は今も葵さんの本名を知らない。そして、葵さんも俺の本名を知らない。だから、探すことも出来なくて。
今までで一番、ショックを受けた。今までいたどんな人よりも。付き合いさえしていなかった彼がいなくなった事が何よりも辛かった。それだけ彼の事を想っていたし、想ってくれていると感じていたからだ。
ぽっかり空いた穴どころか、心ごとどこかへ落としてしまった俺は自分を見失い、もう誰でもいいと自棄にもなって。声を掛けてくれる相手と、その場しのぎのような関係を持つような日々が続き。
そんな荒んだ心を救ってやれないまま、それでも葵さんの事をやっと振り返れるようになったのは20代も半ばを過ぎてから。本当に最近になってからだ。
ともだちにシェアしよう!