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第5話
太一をタクシーに乗っけて家にたどりついたところで、引きずる様に降ろしてなんとか家の前まで連れて行った。
「…おっも…」
上着のポケットに勝手に手を突っ込み鍵を開ける。部屋の灯りを探す余裕もなく、ずるずると引き摺り。リビングに太一を置いて行こうとしたのだが。
いつの間に目を覚ましていたのか、太一が不意にぎゅっと抱き着いてきた。
「…起きた?水、飲む?」
「……水…?……ここ…どこ……。一至君?」
真っ暗闇の中、声で俺だと気が付いたのか掠れた声で太一がつぶやく。
「おはよ。太一の家だよ。今着いたトコ」
「…俺…飲んでて…?…ん…一至君、送ってくれた…?」
くっついたままの太一は大きな子供みたいだ。
「うん。吐きそう?横んなる?」
「…平気…。ごめん、…俺…」
大丈夫だよ、と言いながら背中を軽く摩った。
少しだけ俺よりも背の高い太一。
動こうとする気配もないので、暫く黙って付き合っていると。
「一至君はさ」とポツリと喋り出した。
「……うん?」
「……さっきの話……」
さっき?店での会話のことだよな。失恋話思い出せてしまっただろうか。
「……一至君、……振られたこと、ある?」
「あるよ………」
それどころか、毎回フられてばっか。
葵さんに関してはフってももらえなかったけどサ。
頭に浮かぶのは、葵さんの笑った顔。連絡を待っている内にいつしか音信不通になったあの人。
過去にも失恋経験はあるけれど、思い浮かぶのは決まって葵さんだ。
「………俺さ。…どーしても、忘れられないんだ…」
切なる声が心に刺さる。
あんなに楽しそうに笑っていた太一とはまるで別人のようだ。
思わず宥めるように頭を撫でると、ぎゅう、と抱きしめる腕。
「…こういう時って…どうすればいいんだろうね…」
「……彼女のこと…凄く好きだったんだね」
「…うん。…今日一緒にいた奴らはさ、早く忘れて新しい人探せ、って…いうんだ。でも…」
かつて俺にもそんな事を言った人もいた。
「……そんな簡単に…忘れられないよ。…俺は、そうだった。長い間忘れらんなくて……辛かったよ…」
太一を慰めながら、自分の気持ちを吐露してしまう。
俺は割り切れ、忘れろ、っていう人を否定するつもりもないし、切り替えも大事なことは分かっている。
けど忘れられなくて辛いものを、無理矢理消し去ったり、感情に蓋をしてもどうにもできないことも、俺は知っている。
見ないようにすればするほど、想いは募り、歪んでいくからだ。
「一至君、優しい…」
「…俺はうまく割り切れないだけ。……太一と一緒だよ」
何度味わってもいいものじゃない。
葵さんのことはやっと振り返れるようになったけれど、寂しさから神崎さんと関係を持ってしまった俺に、割切れなんてとても言えない。
太一の気持ちと一緒ではなくても、辛さだけは分かるつもりでいた。
太一は考え込んででもいるのか、黙り込んでしまった。
放っておくわけにもいかず、真っ暗な部屋の中で俺よりも少し背の高い太一の体温を感じながら、人ってあったかいな、としみじみしていた。
ああ、伊月さんに酔っ払い対策を聞いておけば良かった。
「…一至君…」
「うん?」
危ない、俺、今ちょっと寝掛けてた。
「…一至君ってさ……なんか、甘い匂い、しない…?」
唐突な一言に眠気が吹っ飛んだ。甘い匂い、か。
「ケーキの匂いじゃない?職業柄なのか、良く匂いが移って…」
「…そうなんだ…。…なんか、ふわふわするにおいがする……」
耳元から首筋の辺りの匂いを嗅ぐ、犬のような仕草。くすぐったさに肩を竦めた。
「…くすぐったい…」
「……ん」
そのままじゃれるように首筋を食まれてびっくりした。
「……っ…太一、落ち着いたなら…」
「離れろって言うなら、ヤだ」
強い声。
少しだけ危険な予感がした。
「……ねぇ」
耳元に響く太一の声。
「……男同士ってさ、……気持ちいいの?」
「いや、俺は…。な、太一、酔ってるだろ」
「…もう、醒めてる…」
存外落ち着いた声に驚かされる。
「…男としたこと、あるんでしょ…?」
俺は口説かれたとは言ったが、したことがある、なんて一言だって言っていない。太一は勝手にそう解釈したのだろうか。
不意にシャツの中に手が入り込み、体が反射的にびくっと震える。
焦って体を押し返してみたのが、動かない。
「太一ッ、やっぱ酔ってるだろ…っ」
「…酔ってない、…」
頑なに言い張る太一は、一旦俺から距離を取り、腕を掴んで強引に壁に押し付けた。
近づく顔に咄嗟に目を瞑ると、濡れた柔らかい感触。
「……ッ」
無理矢理口を開かされ、舌をねじ込まれる。
荒っぽいけれどキスが旨い。しっかりと腕を抑えられ、口の中を舐められて擽ったさに身が竦む。
俺も酔っていたし、誰かとこんな風にキスするのなんて久しぶりで。困ったことに、体の方は物理的な刺激にしっかり反応してしまって。
熱っぽい舌は好き放題口の中を舐め周り、柔らかく唇を食む仕草。
甘ったるいその仕草に思わずきゅんとする。
体の熱が中心に集まる気配に焦り、太一の肩を掴んだが、引いてくれる気配がまったくない。そして、あろうことか、その場に押し倒された。
「…った…」
「ごめん」
ゴン、と音がしたのは俺の骨が床にぶつかったから。
「……一至君、……俺。…ほんとは知ってるんだ」
「え…」
何を?不穏な物言いに心臓がドキリと跳ねる。
「…あの店ってさ。…いろんな人、いるだろ?…一至君、男の人に口説かれてたよね」
背中から、じっとりと汗が滲む。
「……一至君って、そっちのひと?」
「いや、…俺は…。……」
今この状況を打破しなくてはいけないのに、思わぬ問に動きを止めてしまった。
「…男じゃなきゃダメってわけじゃ、ないけ……ど、…っ」
俺が答える間に、太一の手がシャツの中に更に潜り込む。直接肌に触れた手が、熱い。
そのまま太腿に降りた手に内側を摩られ、思わず体が竦む。
「…じゃ、…今日…知ってて……」
「見かけたのは、偶然だよ、ほんと。…でも、……ずっと気になってて…、…俺…」
中心をなぞる太一の手に、思わず反応してしまう。
ずっと気になってた?俺のことを?じゃ、今日声掛けたのは…?
「太一は…そっちの人じゃ…ないだろ、……」
「…俺もさっきまで、そう思ってた…」
「……酔ってるからだよ」
「違う。……彼女と勘違いしてる訳でも、ないよ。………ダメ?」
真っ暗な中でも慣れた目が、太一の寂しそうな顔を映す。
そんな縋るように言われると、なんとかしてあげたくなってしまう。
俺がこんなことしたって、太一が救われるわけじゃない、それはバカな俺だって分かってる。
こんな、勢いだけで、なんて。
断らなきゃ。
太一にダメだって言わなきゃ。
でも。
「…最後までは、勘弁してくれる…?」
「……我慢できたら」
ああ、俺ってほんとうにバカ。
太一の目線と声と、さきほどの泣いていた姿がちらついてどうしても体温を跳ねのけられなかった。
ほんとうに、ほんとうに俺は愚か者だ。
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