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第7話

その後、太一と顔を合わせたらどうしよう、と伊月さんの店に足を運ばずにいる内に仕事が忙しくなってしまい、休日を体力の回復に当てている内にあっという間に1か月ほど経ってしまった。 伊月さんの顔は見たいし、久しぶりに職場の人以外に会いたくて迷っていると、普段あまり使わないSNSにメッセージが入った。 差出人は、俺の従兄である尚之さんだ。 ”伊月さんが心配してる” 「は?」 前後の文脈が全くない一言。 職場の休憩室で思わず声を漏らしてしまった。 「…どしたんですか」 一緒に昼を食べていた八木君が、パスタを巻いていたフォークを止めて俺を見た。 「あ、ごめんごめん。知り合いが変な連絡してきて…」 そっすか、と零して八木君は昼食を再開。 ”ちょっと意味がわかんない。どういうこと” この尚之さんというのは黒瀬尚之と言う人で、俺の従兄。年は1つしか変わらない。 普段は音楽で生計を立てているのだが、職業と同様に性格までもフリーダム。 音楽機材は手際よく使いこなす癖に、パソコンとか携帯に関して機械音痴なのでSNSの扱いも下手。 更に語彙力が低いのかメッセージの内容も主語が欠けていたりして理解に時間がかかる。 ”この前、バンドメンバーと飲みに行ったら伊月さんに会った” これは多分、伊月さんの店に飲みに行ったってことだろうな。そりゃ会うだろ、伊月さんの店なんだから。 ”お前がこねぇって心配してた。店に行け” 小学生かと突っ込みたくなるくらいの拙い文章が却って笑える。 何故か命令口調だし。顔くらい出してみたら?とかそういう気遣いはないのだろうか。 ”分かった。近い内に顔出すよ”と溜息交じりに返事をする。 この従兄とは幼い頃から兄弟の様に育ったため、俺も彼に遠慮がない。気楽な間柄で楽だし、尚之さんのことは好きだけど、所々でつい、イラっとしちゃうんだよなあ。 それにしても。 心配してるなんて聞いてしまうと、ドキドキする。 俺があの時元気なかったこと、まだ気にしてるのかなぁ。 ちょっと疲れは溜まってるし、体しんどいけど今日顔出そうかなぁ。 「茅野さん」 「ん?」 「なんか、嬉しそうっす」 顔に出てたみたいだ。   その日の店はそこそこ賑わっていたのでカウンターを避け、スツールに囲まれた丸テーブルについた。店の中には俺が良く使うカウンターと今いる丸テーブルの他にも、ソファの置かれた席などバリエーションが豊かだ。 それでも統一感があるのが不思議。オーナーのセンスかな。 すぐに俺に気が付いた宮田さんが近づいてきた。 「よ!久しぶり!」 「ご無沙汰してます」 彼とも顔見知りだけどそこまで親しくはない。苦手な人じゃないし、良くしてくれるのだが、なんとなく丁寧語が抜けなくて未だに少し堅苦しい関係だ。 「伊月さん、心配してたよ」 顔がにやついている。 「宮田さん、なんだか楽しそうですね」 「うん。楽しい。…あ!ちょっと待ってて」 なんだろうと首を傾げながらカウンターへ歩み寄る姿を目線で追うと、シェイカーを置いた伊月さんと宮田さんが話をして。伊月さんがおいで、と手招きをする。 ちょうどカウンターの隅の席が1つ空いたようだ。 周囲に目線を配りながら座ると、伊月さんが「久しぶり」と笑った。 「最近ずっと来なかったけど、元気にしてた?」 「仕事、忙しくて。あ、尚之さんから聞いた。…伊月さんが心配、してた…って」 「そうそう。3日に1度は言ってましたよね。一至君が来ないって」 「……精々週に1度だ」 揶揄る宮田さんに伊月さんが顔を顰める。 でも、週に1度だって十分多いよ、伊月さん。 「…この前あいつが来た時にね。一至君が来ないから、どうしてるって話になってさ。…そういえば…仕事繁忙期に入る時期だったね…」 空いたカウンターの席に座ると、伊月さんはカレンダーを見てそんな事を言った。俺の繁忙期まで把握しているのか、この人は。 「伊月さんて、お客さんのことなんでも知ってんだね」 「一至君の事だからね」 「な…、に言ってんの。ほんと、口が巧いんだから…」 毎度のことだと分かっているのに、俺も毎回動揺してしまう。 「俺はいつでも本気なのに」 「そういう事ばっか言ってるから、お客さんに勘違いされるんだよ」 そうだったっけ?と伊月さんは笑う。俺に言っているのとまったく同じこと言ってる訳じゃないけど、伊月さんは世辞もうまい。 物腰も柔らかいし、仕事には厳しくてもお客さんには甘いものだから、性別問わず惚れられることがあるのを俺は知っている。 お酒の席で、だけど告白されてるところだって見たことあるし。 時々その事について宮田さんに窘められていることもあるくらいだ。   太一、どうしてるだろうか。 連絡先もお互い伝えなかったので、今のところ俺と太一の接点はこの店だけだ。 気になるけれど、こちらからは突っ込みにくい。伊月さんなら太一のこと、知ってるかな。 流石に今日はこないよな。 甘めのカクテルを口にしながら携帯を弄っていると、ふと嫌悪感に襲われた。 軽い眩暈と、吐き気。 どうしたんだろう。 ここの所ずっと忙しかったし、睡眠も思うように取れていなかったせいだろうか。 久しぶりに酒を飲んだからかもしれない。 そんなにアルコールも摂取していないのに頭痛が止まらなくなり、こめかみを押さえて俯いていると。 「…大丈夫?」 心配そうな声。ハっとして顔を上げると、目の前に伊月さんの顔。 「あ、ごめん!ここんとこ寝不足だったからかな…さっきまで大丈夫だったのに急に頭痛くなって…。お水貰ってもいい?」 元々俺はそんなに飲む方ではないが、1杯目からこんな風になるなんてまずない。自分で思っていたよりも疲れがたまっていたのかもしれない。 「少し休んでくといいよ。多分、もう閉店までお客さんも増えないから」 「うん、ごめん。店閉める前には帰るから」 「遠慮しないで、ゆっくりしてって。落ち着いたらまた声掛けにくるよ」 用意された常温の水を口に入れるが、即効性があるわけではなく。暫くじっとしている内に少しずつであるが頭痛が緩み、それと同時に吐き気も収まって行った。今日は大分遅い時間に来てしまったから、早い内に帰った方がいいよな。 時計を見ると、そろそろ閉店が近い。帰らなきゃ。 スツールを降りて店内を見回すと、気が付いたら俺が最後になっていた。 「伊月さん、俺…」 「ああ、良かった。一至君、帰れそう?」 「…うん。お会計してもらっていい?」 「その前にさ、一至君、明日仕事?」 「…仕事…だけど…」 「じゃ、俺もあがるから。送ってあげるよ」 「え!いいよ!それに、まだ閉店まで時間…」 確かに間近だが、俺が腕につけた安物の時計は、まだ閉店時間より前の時間を示している。閉店後の作業だってあるだろうに。 「そこは心配しないで。俺もちょっと予定が立て込んでて早く帰るつもりだったからさ」 「でも…」 「体調、良くないんだろ」 「一至君、平気だよ。今日は俺がちゃんと片づけとくから」 宮田さんまで。 幸いというかなんというか、明日は遅番の日で明後日は定休日。ついでに伊月さんのお店も同じ日が定休日。1日頑張れがなんとなるんだけど、そう言われると心が揺らぐ。 「俺も明日1日働けば休みだしさ」 たまにはいいだろ、と伊月さんは笑った。本当にいいのかな、と思ったけれど、頭痛も吐き気もまだまだ収まりそうになくて。迷った末に好意に甘えることにした。 伊月さんの荷物を預かり、暫く席に座って待っていると宮田さんも「大丈夫?」と心配してくれた。 2人とも優しいなぁ。時々オーナーさんも顔を出すんだけど、その人もまた優しい人で。ここはスタッフで持ってる店だな、とつくづく思う。 「すみません、ご迷惑かけて」 「たまにはね。伊月さんも休ませてやらないと、あの人気が付くと根詰めてる時あるから。その代わり、俺もたまには早く帰るから大丈夫」 気遣いが上手いというのはこういうことを言うのだろう。

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