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第11話

家に帰り、ポケットに手を突っ込んでから太一の名刺の存在を思い出した。 すっかり忘れていた事実に苦笑しながら、取り出す。 皺の寄った名刺を見ると、昨日の伊月さんの顔、触れられたこと、心配していた時に言われた言葉が1つずつ浮かんでくる。 連絡、どうしようかな。 でも心配してるだろうしな。 暫く携帯の画面と名刺を交互に見ながら迷ったが、思い切ってメッセージを送ってみた。 ”連絡ありがとう。名刺もらったよ”と。 きっと返事は後になるだろうから、と携帯を伏せてうとうととしていると。 予想外にすぐに返事が来てびっくりした。 最初は”連絡をくれて嬉しい”というシンプルな一言。 元気そうなことと優しい返事にホっとした。 其の後、散々謝られ「ごめん」「気にしてないよ」の応酬。 そしてそのまま会話は続き、話している内に太一から”うちの店においでよ”と返事が来た。 店?店って、そうか、太一の仕事はアパレル系だった。 名刺には社名しかなかったけど、きっとどこかのショップにでも勤めてるんだろう。 それ以前に太一と会うことも考えたけど、誘って貰えたことは嬉かったし、誘ってくれた太一の好意を無下にしたくなかった。 ”俺、普段あんまり服買わないからファッションの事とか全然わかんないんだけど” ”大丈夫。うちの店そんな奇抜なところじゃないし、なんか見繕ってあげるよ。いつがいい?” 俺が来る前提で話が進んでいるところが太一らしいと思った。 ”次の休みに行く”そう返事をしたら、可愛い犬のスタンプが送られてきた。 似合うね、太一。 天気の良い休日。 太一の店は奇しくも先日、俺と伊月さんが食事をした場所の近くで、無意識に気分が沈んでしまった。今は切り替えておこう。 いくつかの店舗が立ち並ぶ場所の一角。 外壁が一面ガラス出来た、カジュアルでオシャレな雰囲気のここが太一の働く店のようだ。 店内に入り込む光が、天井の高い店内を明るく照らしていて、太一によく似合っている。 店の品が俺でも手が届きそうな値段、というのは事前に調査済み。 店の外から入口に向かう途中、俺に気が付いたのか、中の人が手を振っている。 黒いスーツに身を包んだその人物に思わず首を傾げた。あれ、太一か? 満面の笑みで手を振りながら駆け寄ってくる姿を見て、やっぱり太一だと確信した。 白い清潔そうなシャツに真っ黒のスーツ、淡い水色にピンク色のストライプが斜めに入ったネクタイ。まるで別人のよう。 「いらっしゃい!今日暑くなかった?」 まだ初夏のシーズンだったけど、今日は確かに日差しが強くて店内の冷房が心地よい。 「太一、仕事中スーツ着てるんだ。イメージ違うね」 「今日は営業してきたから。普段は私服で働いてるよ。ここだけの話、スーツも系列店で買わされんの!!」 太一が顔を寄せて声を潜める。そして「俺、カッコイイ?」とニコニコしながら聞いてくる。確かにスーツ姿の太一は大人っぽいし、いつもと違う。 ニコニコしながら聞いてくるとこは可愛いんだけどな。 「カッコイイよ、よく似合ってる」 素直にそう答えたのに、びっくりした顔をされた。そして照れたように目線を逸らす。自分から振ったくせに。 「一至君って、もしかして天然?」 「…言われた事ないけど?」 太一は俺の顔を見て首を捻る。天然は本当に言われた事はない。抜けてるだとか、ぼやっとしているとかは言われた事はあっても。 「なんか欲しいものある?好みも聞かずに勝手に呼んじゃったけど」 「このシーズンで使えそうなもの、とか?あんまり拘りはないし、着心地が良くて奇抜じゃないものならいいかな」 着るものに拘らないし、俺全然オシャレってわからないんだよな。 「じゃ、俺が選んであげるよ」 太一はウキウキとした様子で言った。選ぶの好きなのかな。俺から色や服の雰囲気の好みを聞き出した後、不意に服の上から俺のウエストに触れたのでびっくりした。 「…!」 「あ、ごめん。脇腹弱かった?一至君、サイズフツーだよね。いや、待てよ…Sか女性ものでも入るかも…。一至君、ちゃんと飯食ってる?」 「食べてる食べてる。服の所為だよ、細く見えるのは。脱いだらフツーだって」 と、ふっと先日の事を思い出してしまい「あれは事故」と自分に言い聞かせる。太一も気にしてない様だし、SNSでも散々謝られたし。気にしないことにしよう。 太一は「どれがいいかなー」と楽しそうに言いながら店内をうろつき始めたので、俺も適当にぶらぶらさせてもらう事にした。 店内は明るい色の木で統一されて、落ち着いた雰囲気。天井が高いので開放感があって居心地がいい。 お店の人ならともかく、知人に服を選んで貰うのって初めてで、なんだか新鮮。 太一だって店員だけどさ。 自分の買い物をするのも久しぶりだし、なんだかちょっと楽しい。 暫くこういうの忘れてたなぁ、なんてぶらぶらしていたら、太一が何着か服を腕に引っ掻けて こちらへやってきた。 「似合いそうかなーっていうの持ってきてみた。サイズはわかんないから、適当に。着てみる?」 太一が示す先には奥に並ぶ試着室。 うん、と笑顔で頷いたら太一も嬉しそうに笑った。 カーテンで仕切られた広めの試着室。服に腕を通すと新しい布の匂いがした。肌障りが良くて心地いい。けど、普段選ばない色を渡されたから似合うのか、イマイチわからない。 「どう?」 カーテンを少しだけ捲り顔を覗かせる太一に「自分じゃわからない」と答えるとカーテンが開いた。 「んー…思ってたより、薄い色のが良かったな…じゃーさ」 と、太一は土足のまま試着室に上がりこんで。持ってきた他の色について「こっちが色違いで…」と説明してくれた。一通り聞き終わったので、今着ていた服を脱ごうとしたのだが。何故か、太一が出て行かない。 シャっという音と共に太一の背後でカーテンが閉まる。俺がいるのは奥で後ろは壁。広い試着室とはいえ、2人が入ると圧迫感を感じる。 「一至君、ごめん」 俺の、何が?より。太一の腕の方が早かった。太一は背中に腕を回して、俺をぎゅっと抱きしめた。柑橘系の香水の匂いが鼻を擽る。 「…あの、…」 びっくりして、あの、から言葉が続かない。何が起きてる? 「……。この前は、…ほんとごめん」 「あの時の事はもう…」 「…一至君、怒ってない?」 「…怒ってない。俺が店に行かなかったから、心配した?」 「そりゃもう!…何度行っても一至君いないんだもん…」 「ごめんごめん。…怒ってはいないけど、どんな顔して会ったら良いかって思ってる内に繁忙期入っちゃって…」 「内心、実は顔を見るのも嫌、って思われてたらどうしようって心配してた」 太一は結構繊細なんだなあ。明るさの裏にある意外な部分に好感を覚えてふっと笑ってしまった。 「ごめん、笑ったりして。顔を見るのも嫌なんて思ったないよ」 「そうだよね。じゃなきゃ、今日来てくれたりしないよね」 俺が頷くと、ホっとしたように息を吐く太一。 「俺の事嫌いになってない?」 「なってないよ。俺、そんな器用に嘘つけるタイプじゃないし」 「…ほんとに?…」 太一の方が背が高いから目線は俺が上を向いているのに、首を傾げながら聞いてくる仕草が可愛くて。でっかい犬みたい、と思わず頭を撫でる。 「ほんとほんと」 「嘘ついてない?」 「ないない」 「じゃぁ、ヨかった?」 「……よ、…って、何言わせる気だよ」 「ははは。引っ掛からなかったか。でも、今言いかけたよね」 太一はからかうように笑って、回していた腕を緩めた。腰の辺りで留めたまま、俺の顔を見て、ふと真剣な顔をした。 「あのさ。…あそこのお店の店長さん」 「…伊月さん?」 うん。と太一が頷く。 「…実は俺、この前その伊月さんと一至君が一緒に歩いてんの見たんだ」 この前、っていうのはあの日のことだよな、当然。 場所が近いんだし、見かけててもおかしくはない、か。 伊月さんとの会話を思い出し、太一が俺を気にしてたことと、伊月さんとのやり取りとを同時に思い出して複雑な気持ちになる。 「もしかしてさ…一至君。あの人と…付き合ってたり、する?」 「………、……ない、よ」 ドキっと心臓が跳ね上がり、その言葉に予想以上に動揺した自分に驚いた。 あれ、俺、もしかして今ちょっと、傷付いてる? 「…付き合ってない」 念を押す様に言いながら、心は痛んでいた。 視線を感じて顔を上げる。 こちらを見つめる太一の目線に何かを察知した。例えばそれは、熱とか色気とか。とにかくヤバイやつだって思った。びっくりして太一にキスされるより前に、反射的に阻止するように手で防いでしまった。 拒否された、そう思ったんだろう。太一がしょげる。 「やっぱ、ヤだ?」 「嫌なんじゃなくて…びっくりしただけ、だよ」 嫌。と言えばいいのに。言えない自分のずるさ。 「…。俺の事好きになっちゃえばいいのに」 無茶な事をいう。返答に困り、うつむいた視線の先に太一のピカピカに磨かれた革靴が映った。 「ごめん。困らせたいんじゃないんだ。いや、ほんと、ちゃんと謝ろって思ってたんだけど。顔見たら甘えたくなっちゃって。待ってるから、もし気に入ったのあったら言って?遠慮しなくていいから」 柑橘の甘やかな香りを残して太一はカーテンの向こうに消えて。1人になった途端、ドっと体が熱くなり全身から汗が噴き出した。思わず口元を覆う。 びっくりして、心臓がバクバク言っている。 正直服になんか全然集中できなかった。 でも、せっかく太一が選んでくれたのだから、とその中で一番好みにあった色の服を選んだ。 外では太一が待っている、と思ったら声を掛けるだけのことなのに酷く緊張してしまい、時間を要した。 「おわ、ったよ」 「どれにした?」 開いたカーテンの向こう。明るく笑う太一にホっとする。選んだ服を手渡すと「それが一番似合うと思った」と言う。 「ほかのも見る?」 「今日はそれだけにしとく。自分で選ぶと、何買っていいかわかんないし」 「そ?じゃ、俺がいる時に来てくれたら選んであげるよ。そこら辺で待ってて」 「会計は?レジ行けばいい?」 「あ、いいのいいの。今日は俺の奢り。この前のお詫びってことでさ」 「え!いいよ!!悪いよ!」 「男のプライドに関わるってもんよ」 何が関わってるのかよくわからなかったが、奢られた方が太一のためのようだ。 「…じゃ、分かった。その代わり、今度店で会ったら、奢るから」 「それじゃ意味なくない?いーよ、話相手になってよ。俺、懲りない男だからさ?」 それがどういう意味かは分からなかったが。 その服はシーズン中に何度も着る事となり、今度から太一に選んで貰おうかと本気で考えたほどだった。

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