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【香】第22話
対局の時は、一筋の雲すらないほどに澄んだ青空を、いつも頭に思い浮かべている。うつ伏せの体勢で宙に浮き、お日さまに背中を見せながら、広い盤面に目を凝らしているのだ。
このビジュアルイメージが変わる事がないけれど、季節によって温度だけは激しく変わる。
夏なら骨まで溶けるように暑く、冬なら血液すら凍るように寒い。
今は梅雨であるから、空気はじっとりと重く、暑くて堪らなかった。
柳小路成(やなぎこうじなる)が詰めていた息を吐いたと同時に、目の前に座る相手が重く頭を下げる。
「参りました。」
「ありがとうございました。」
途中ちょっと危ない場面もあったが、とりあえず白星を上げられた。
肩や腕が痺れて重い。対局中は気付いていなかったが、随分と緊張していたらしい。
―――疲れた。
駒の音が鳴り続く部屋から出て、階段を降りた所で友人の永岡竜馬(ながおかりょうま)の姿を見つけた。永岡も成に気付いて片手を上げる。
「柳、もういいのか?」
風邪で倒れた―――と、永岡には知らせてあった。
「元気、元気。久しぶりで疲れたけど。あ~、お腹減った。」
「じゃあ、メシ、行こう。ガッツリ食おうぜ。」
上機嫌で永岡が成の肩に腕を回す。そのまま歩き始めるので、成は押されるように踏み出した。
永岡の身長は170センチちょっとなのだが、こうして肩を組んで並べばその差は随分とあり、成はコンプレックスを刺激される。
永岡の腕を外そうとした時に、自動ドアが開いて江崎晴目(えざきはるま)が現れた。人形のような姿に、ギクリとなる。
―――同じだ。
以前は分からなかったが、江崎がオメガだと強く感じた。これが、同種に対する感覚。
そうか。
だからか。
成をオメガと確信したからこそ、江崎はこの前番の話をしてきたのだ―――と、遅れて気付く。
それから逃げるように一歩下がると、永岡の腕が無くなり肩が軽くなった。後ずさった成よりも前に出て、永岡が挨拶をする。
「江崎さん、こんにちは。」
「こんにちは、永岡くん。柳小路くん。あれ―――」
江崎が言葉を切ると、成をじっと見ながら近付いてきた。
「やっぱり。河埜くんの匂い。」
「―――っ!」
息を飲む。
「もしかして、しちゃった?」
オメガはアルファの匂いを嗅ぎ別けられるのだ。しかし、まさか里弓との事が匂いだけで分かるとも思えない。
江崎に図星をつかれつつも、成は顔をひきつらせて首を振った。
「し、てないです。」
「君は嘘が下手だね。―――そっか。じゃあ、うかうかしてられないな。」
江崎が楽しそうに笑って言う。
呆然とする成を残して、またね―――と、江崎は人形のような美しい手を振り立ち去った。
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