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【香】第25話
オメガですね。
そう眼鏡をかけた医者が、感情のこもらぬ声で言った。同情されたりしたらきっと腹を立てた筈だから、事務的に教えてくれて良かったとは思う。
三ヶ月分の抑制剤と避妊薬を手渡され、成と伯父はさっき病院を後にした所だ。
「成、食べて帰るか?何がいい?」
成が窓の外の流れる景色を見ていると、プリウスを運転しながら伯父が聞いてきた。それで夕食の時間だと気付くが、食欲はあまり感じない。
「あっさり系がいいな。伯父さんは?」
「そうだな。じゃあ、蕎麦にするか。うまい蕎麦を食おう。」
うまい蕎麦屋に心当たりがあるようで、伯父はすぐにウィンカーを右に出した。伯父のいつもと変わらぬ優しさに救われる。
前もって覚悟する時間は十分にあったので、酷いショックは受けなかったが、やはり気持ちは落ちていた。
成が元々アルファであったのは確かなようで、後天性のオメガになるらしい。
何故、変異したのか原因は不明。しかし、アルファに戻ることは恐らくないという話だ。
―――ならば、
オメガの自分がアルファである里弓の傍にいない方がきっと良い。
既に、間違いだって起きている。
河埜家から離れた方がいいのは分かっていても、母の元には絶対に帰る気はなく、年齢的にも経済的にも一人で生活するのには無理だ。
―――どうすればいい。
成が吐きそうになるため息を飲み込むと、伯父がチラリと視線を投げてきた。
「成。」
伯父が前方を見ながら、静かな声で成の名を呼ぶ。その穏やかな横顔に、ガチリと体が固まった。
この人に嫌われたくない。
お願いだから見捨てないで―――と、すがり付いて泣いてしまいたい。
「これから色んな事が大変になるかもしれない。学校も、苦労すると思う。」
「そう、だね。」
性差に対する理解が浸透してきたとはいえ、オメガ性の生徒を受け入れる学校はかなり少ないらしい。成が通っている中学内でも、オメガの生徒がいると耳にした事がない。転校しなければならない可能性が高いのだ。
申し訳ない。悔しい。恥ずかしい。恐い。ごめんなさい。色々な感情が吹き出すが、一番は消えてなくなりたいと強く思った。
「すぐに飲み込むのは難しいだろうし、きっと頭はパンクしそうになってると思う。」
とても顔は上げられず、うつ向いたまま伯父の声を聞いた。
「でも、大丈夫だ。心配し過ぎて追い詰められるなよ。大丈夫だから、ひとつずつ解決していこう。答えが分からなくても、焦らなくていい。成が幸せに生きられる方法を探そう。一緒に。」
胸が痛い。
投げかけられた言葉の優しさに、心が痛かった。
くしゃりと顔を歪めた成に、伯父が微笑み片手を伸ばす。そして、いつものように成の髪をぐしゃぐしゃにして撫でた。
「ゆっくりいこうな、成。」
「―――う、ん。」
頷いた拍子にポツリと涙が落ちた。手の甲に落下した涙は流れて、握りしめていたハンカチに吸い込まれていく。
伯父に借りたままだったハンカチ。去年の父の日に成が贈った物だ。
ありがとう―――という言葉は、喉が詰まって声にはならなかった。
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