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【車】第36話

古山から耳打ちされ、成は授業を放り出した。 ―――どうしよう。 どこへ向かえばよいのか分からない。 とりあえず昇降口を目指して駆けている途中で、探していた草野の背中を見つけた。 「草野さん!」 成の声が廊下に響く。思わず、授業中に叫んでしまった。 草野はくるりと振り返り、息を切らせて走ってきた成を見て、驚き目を見張る。傍まで駆け寄ると、草野は少し困ったように微笑んだ。 その儚げな姿にギクリとなる。 ―――痩せた。 スカートから出た草野の足が折れそうに細い。最後に顔を合わせたのがいつだったかあやふやだが、記憶にあるより随分と痩せていた。 古山は違うと言っていたが、やはり悪い病気ではないのか。 「柳小路くん、久しぶりだね。」 「転校するって、聞いて。びっくりした。今日で最後って本当に?」 信じられない気持ちで成が問うと、草野が目を細めて頷く。 「うん、本当。ごめんね。歩きながら話していい?迎え待たせてるから。」 草野がまた昇降口の方へ向き直り、成は横に並ぶと、静かな廊下を一緒に歩き始めた。 「草野さん、入院してたんだよね?体、まだ良くない?」 「もう大丈夫よ。ちょっと怪我をしただけ。」 怪我―――という言葉をそのまま信じた訳ではなかあったが、成は何も言わずにただ頷いた。 ここまで焦って来たが、草野の聞かれたくなさそうな雰囲気に喉が塞がれる。 黙って昇降口まで来ると、草野が足を止めて成に向き直った。真正面から見つめられる。 「柳小路くんには、最後に話しておきたい事があるの。迷惑かもしれないけど、聞いてくれる?」 「うん、―――僕が聞いていいなら。」 どんな話か分からずに成が躊躇いがちに頷くと、草野が少し笑う。 あのね―――と、内緒話をするように草野が声を潜めて言う。 「私、オメガなの。」 ―――やはり、そうだったのか。 草野がオメガだと気付いたのは、さっきだ。 ずっと知らなかった。 きっと草野は成がオメガ性だと知っていたのだろう。 「私はずっと不安で自信がなくて迷ってばかりで、そんな自分が嫌いだった。こんな体に産んだ親を恨んで、受け入れてくれない世の中を恨んで、上手くいかないのを体のせいにしてた。最初から諦めて、恨む事で逃げてた。それを、柳小路くんに気付かされた。」 「え、」 草野の打ち明け話を咀嚼できない内に、自分の名前が出て来て驚き目を見張る。 「柳小路くん、ありがとう。」 次に礼を言われて、混乱が増した。問いたい事はたくさん思い浮かぶが、成が話し掛ける隙は与えられない。 「いつもね、勝手に救われてた。柳小路くんが頑張ってると思えば、私も顔を上げられた。下を向かないでいられた。まだまだ卑屈になる時もあるけど、こんな私にも将来の夢ができたの。柳小路のお蔭よ。だから、ありがとう。ずっと忘れない。元気でいてね。」 涙ぐみ晴れ晴れと笑う草野に、心が刺された気がした。まさか自分が誰かの助けになれていたとは思わなかった。 しかし、そんな風に、ありがとうと言われる事など、何もしていない。まだオメガだと知らなかったから、成は胸を張れていただけなのだ。 棋士になってね―――と、草野は踵を返し、転校して行った。

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