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【馬】第52話

金の駒を持ち上げ、左にひとつ動かす。 玉の周りをガッチリと守る盤面を見下ろして、柳小路成(やなぎこうじなる)は息をついた。 なかなか固くできた―――と、思う。 「おい、柳。守る一方じゃないか。」 対局相手の永岡竜馬(ながおかりょうま)が、じりじりとしか進まない戦局に痺れを切らした様子で言う。 「柳らしくない。」 「いいんだよ。楽しくやってるんだから。」 「もっとガツガツ攻めて来いよ。おじいちゃんと、してるみたいだ。」 思わず声を立てて笑ってしまい、成は自分の口を手で塞いだ。 二人がいる場所は伯父の将棋教室で、他の者はいない。騒いでも注意される事がないとはいえ、大笑いするのは不謹慎な気がして、成は声を噛み殺して笑った。 おじいちゃんみたいな成の将棋の向かいでは、生き生きした永岡の駒たちが剣を携え構えている。一瞬でも隙を見せたら、首を取られそうだ。 「いや~、永岡くんは、相変わらず瞬発力がスゴいよね。」 「余裕か?生意気な。」 「余裕はないよ。けど、これでいい。」 「よく分からん。」 むむっと不満げに永岡が眉を寄せる。 先日、道がなくなった成に対して、永岡は今期のプロ入りが確定した。お祝いをしようという話をしたら、久しぶりに伯父の将棋教室で指したいと永岡が言い、今ここにいる。 そんな時に弱音を吐くのはどうかと思ったので、成はあまり深刻にならない言葉を選んだ。 「僕、スランプみたいなんだよね。」 「スランプ?」 「そう。だから、色々と試してみてる。永岡くんは、スランプの時、どうしてる?」 「ん~、食う?」 ぶぶっ―――と、成は遠慮なしに吹き出した。あまりに永岡らしい答えに笑いが止まらない。 「俺、ウマイもの腹一杯食ったら、復活するんだよな。だから、スランプが続かない。」 「それって、スランプになってないんじゃないの?」 「いや、数時間単位のスランプ。」 「あのね、永岡くん。参考にならないんだけど。」 笑い過ぎて涙が出てくる。 成は目元を拭いながら、それ以上、突っ込んで聞いて来ない永岡へ心の中で謝った。情の厚い永岡だから、きっと心配をさせてしまっているだろう。 ―――ごめん。もう少し待って。 オメガ性になった事を、未だに永岡へ打ち明けられていない。

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