72 / 101
【龍】第72話
無理やりする予定ではなかった―――と、春日が言う。今回の旅行で警戒心を解いて、ゆっくり口説くつもりだった。
「これでも我慢してたのに、一人で部屋に訪ねて来たりするから、無理やりでもいいかって思うだろ。番になってしまえば、俺のモノだし。」
当然のように言うが、いったいどんな理屈だ。普通じゃない。春日はこれまでも、常習的にオメガへ薬を飲ませて、無理やりしていたのではないだろうか。
―――酷い。
こんな人を一時でも信用した自分に腹が立つ。
「あなたのモノになんか、ならない。」
「残念。しちゃうから。」
「やっ!」
チッ―――と、春日が舌打ちする。
「抵抗すんなよ。乱暴されたいのか。」
「ぐっ―――」
背中から春日に容赦なく押さえ付けられ、肺が圧迫される。頬がドアに当たり、頬骨が痛む。
―――悔しい。
まるで力で敵わない。
「成くんの匂い、イイね。」
クンクンと首筋を嗅がれ、全身に悪寒が走った。
「薄いと物足りないし、濃すぎるとキツい。濃いとさ、意識が保てないんだよ。前にすごいキツいオメガが―――。あれ、成くんと同じ中学のオメガだったか。」
春日はフェロモンに当てられているからか、話が不自然に飛んでいる。喋り方も、単語がぶつ切りだ。
逃げ出そうともがいていたが、聞き流せない言葉が耳に入り、成はピタリと動きを止めた。
「何―――、それ、誰の事ですか?」
嫌だ―――と、思った。
ある予感をして、スッと指先が冷える。
聞きたくない。
でも、知らねばならない。
抵抗を止めた成に安心したのか、春日の腕から少し力が抜け、背中からの圧迫が和らぐ。
「それ、―――女子、ですか?」
「女子。名前、何だっけな?山野か、北野か、」
「草野?」
「そうそう、草野。草野の娘だ。」
―――草野さん。
転校してしまった同級生の―――草野早百合(くさのさゆり)の痩せた体が脳裡に浮かぶ。
倒れそうな細い体で必死で立っていた。あの日の草野。
「フェロモンひどくて、あの子、最悪だった。」
春日が吐き捨てるように言い、怒りで頭が真っ赤になった。全身が煮える。
「あなたが―――。」
許さない。
許さない。
草野にあんな顔をさせたこの人を。
ともだちにシェアしよう!