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【王】第85話
成の目の前には、母が座っている。
座卓を挟んで向かい合い、八畳の部屋に二人きりだ。
「春日さんからは、お断りのお返事を頂きました。」
母の口から出た春日結仁(かすがゆいと)の名に、腹の底からじわりと怒りが這い上がる。
―――草野さん。
制裁を―――と、頭の中でもう一人の成が拳を上げて叫んでいる。
けれど、春日へ復讐じみた事をして、彼女は喜ぶのか。彼女の為になるのか。春日を痛め付ければ、彼女は過去を忘れられるのか。
どれも違う。
自分がスッキリしたいだけ。
成の心中など知らない母は、呆れたような顔で言う。
「あんなに乗り気だったのに、どんな失礼をしたのかしら。」
「性格の不一致です。」
成が不機嫌に言うと、何故か母があっさり引いた。
「まあ、それはいいわ。里弓さんのようなアルファと番えるのだから、あなたも安心でしょう。」
母の中では、成と里弓はすっかり番う事になっているようだ。
「あの―――、マスコミに何かリークしたりは、」
「しないに決まってるでしょう。あなたと里弓さんが結婚をするのに、河埜家を貶めたりしたら、柳小路の家にまで傷がつく事になるのよ。」
「はぁ。」
よく分からない理屈に、気の抜けた声が出る。
「そんな調子で大丈夫なのかしら。里弓さんのオメガとして立派にやっていけるのか不安だわ。」
「すみません。実感があまり無くて。」
「一つだけ言っておきたいのだけど―――」
成の態度を不満に思ったらしく、母がパチンと扇子を弾く。
「将棋よ、将棋。止めないと言うならそれでもいいけれど、程ほどにしておくのよ。オメガとして、しっかり里弓さんに尽くしなさい。―――あの方のようには、決してならないように。」
「あ―――。」
あの方―――とは、成の産みの母の事だ。
目の前にいる母、茜は父の後妻になる。
詳しい事は聞かされていないから、産みの母に何があったのか知らない。ただ、成が3歳の時、父に捨てられ生きていけなくなってしまった―――らしい。
この機会に詳細を尋ねようと思ったが、成の口から言葉は出なかった。躊躇した隙に、母がゆっくりと立ち上がり窓際へ立つ。
「さぁ、河埜さんが待っていらっしゃるわ。」
「はい。―――では、失礼します。」
成は頭を下げると、庭を眺める母を残し退室した。
次に顔を合わせるのはいつだろう―――と、この関係を寂しく思う。
ぼんやりしていた為に、出た所に人が立っているのに気付くのが遅れて、危うくぶつかりそうになった。
「すいま―――」
反射的に謝罪の言葉が出るが、途中で固まった。
そこにいたのが、弟の巧(こう)だったから。
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