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Awake/犯罪者×警官

■黙示録じみた終末世界の片隅で 次々と襲い掛かってくる屍者(ししゃ)達。 その中には見覚えのあるかつての知り合いが混じっていたりし、引き鉄にかけた指先が硬直する時だってある。 男はそれが命取りだと笑って微塵の躊躇もなしに引き鉄を引くのだ。 「仲間なら弔ってやれよ」 世界がまだまともだった頃、数々の犯罪に手を染めて刑務所に放り込まれていた男は言う。 「一撃であの世へ送ってやれ。人間の血肉を喰らう前に」 大食の罪を負わせるな。 男の言い分を最もだと思う俺も狂いかけているに違いない。 それは突如始まった。 世界各地で次から次に死者が蘇り、凶暴な屍者と化したそれは生ける人間の血肉を求め手当たり次第に生者を襲い、腸を引き摺り出し眼球を抉り、凄惨極まりない捕食に明け暮れた。 主要各国は軍事力を結集させて屍者の排除に取り掛かった。 しかし奴等の増殖する勢いは尋常ではなかった。 作戦を立てている間に一つの都市が壊滅し、火の手は速やかに残酷に広がり、世界は絶望の闇に着実に覆い尽くされていった。 生き残った人々は寄せ集まり、明日への希望を決して捨てず、命懸けで手にした一日を懸命に生き抜いていた。 それは無数に連なる悲劇の一つに過ぎないはずだった。 何故、手を伸ばしたのだろう。 死と引き換えになる行為だとわかりきっていたはずなのに。 「式……!」 こんな荒れ果てた世界でも警官としての職務を全うしたかったのだろうか、それとも……? 激痛に眩暈を覚えながら自分の腕に噛みついた屍者もそのままに、式は、その場に崩れ落ちた。 彼に突き飛ばされた隹は驚愕の眼でその悲劇を目撃していた。 自分と入れ替わるようにして怪物に襲われた男は、夥しい屍者の襲撃を受けて看守達が一斉に逃げ出し、刑務所の房内に取り残された囚人達を唯一助け出そうとした、偶然護送に立ち寄っていた警官だった。 いつだって苛立つくらいに生真面目な式という男だった。 「クソッ」 廃工場の片隅で隹は手元に転がっていた鉄パイプを握り締めた。 式に覆いかぶさる屍者を力任せに引き剥がすなり、貪欲な口目掛けて思い切り鉄パイプを突き立て、串刺しにした。 腕の血肉をいくらか持っていかれた式は真っ青な顔で、しかしどこか安らかな表情をしてフロアに倒れていた。 息が荒い。 これまで怪物に噛みつかれた者達の末路を思い返すと変貌は間もなくだろう。 無残に開く傷口から大量の血が噴き出している。 とてもじゃないが見ていられない。 隹は手近にあった布切れで式の腕を素早く止血した。 「何、やって……る」 目をやると瞼を閉ざしていたはずの式が隹を見上げていた。 「何って止血だ」 「……意味がない……早く……」 早く俺を殺せ。 そう言われる前に隹は目の前で誰かが噛まれれば一思いに相手を殺していた。 止血など確かに無意味だった。 どうせ屍者へと変わるのだ、自我は失われて友を喰らう怪物へと否応なしに堕ちてしまうというのに。 今、式は霞む眼で止血された腕を押さえ自分を見上げている。 こんな時間など却って無慈悲なだけだ。 未練が増してしまうだけじゃないか。 人間でいられる間に早く殺してやれ。 「隹、早く……」 刑務所で正体不明の襲撃者がすぐ背後へと迫る中、必死の形相で独房の鍵を開けてくれたこいつは間違いなく聖人だ。 さっきだって俺を庇って噛まれたのだ。 こうなる事はわかりきっていたというのに。 聖人が怪物になるというのなら俺も道連れになってやろうじゃないか。 「お前になら食われても構わない」 そう言って隹は愕然とする式を肩に担いだ。 また別の鉄パイプを握り、冷気漂う工場の中を歩き始める。 「馬鹿……こんな状態で、お前……いつ俺が……」 「もう逃げるのも飽きた。いっそ自我なんか忘れて共食いに耽った方が楽だ」 「馬鹿……最低だ……」 「何とでも言え。とりあえず医務室を探して消毒しよう、綺麗な体で化け物にならせてやる」 「……馬鹿」 拳銃は弾切れで武器は鉄パイプのみ。 しかし今の式に自分を串刺しにできる程の力は当然なかった。 食われても構わない? これまで散々逃げてきたくせに、飽きた? 俺への慈悲のつもりか? 本当に馬鹿な男だ。 医務室を見つけた隹は寝台の一つに式を横たえた。 顔色は悪く息も荒いが、変貌にはまだ至っていない彼の額を一撫でしてみると物憂げな眼差しが返ってくる。 一端寝台を離れて棚を漁り、消毒液を手にすると、束の間に変貌しているかもしれないと気持ちを改めて戻ってみたが式はまだ人間の状態で痛みに苦しんでいた。 「あ!」 巻きつけていた布切れを解いて直接消毒液を振り掛ける。 式は身をしならせて悶えた。 出血は多少治まったらしく、清潔な包帯を幾重にも巻いてやる。 いつの間にか涙目になっていた彼は介抱する隹に何度も訴えた。 「こんなの意味がない……早く殺してくれ……怪物になんかなりたくない」 「式」 「俺はお前を食べたくない……嫌だ……」 逃げ遅れて噛みつかれ、血だらけとなりながらも飢えにとりつかれさ迷うしかない者達の哀れな姿を思い出し、式は泣いた。 「泣くなよ」 「お前が殺してくれないからだ」 「案外、助かるかもしれないぜ」 気休めだった。 全員が全員、噛まれた人間は屍者と変貌していた。 「……殺してくれ……」 寝台に乗り上がった隹は泣き止まない式を抱き寄せた。 傷ついた腕を案じ、その背中を子供にするように叩いてやる。 手負いの彼は隹にしがみついて次から次に涙を溢れさせた。 「救えなかった……誰も……」 「俺を救ってくれただろ」 「そのお前を……俺はきっと」 「それでいいんだ」 気がつけば眠りに落ちていた。 ふと目覚め、見下ろしてみれば式は静かな寝息を立てており、隹は鋭い双眸を訝しげに細くした。 噛まれてどれくらい経過しただろうか。 今まで噛まれた者達は三十分もしない内に変貌してそばにいる人間を手当たり次第に襲っていた。 だが、式はまだ自我を保っている。 どういう事だ? 「……」 涙の跡をなぞると式は四肢を震わせて小さく呻吟し、久し振りに訪れた深い眠りの続きへと戻っていった。 こいつは本物の聖人なのだろうか。 屍者への抗体を持つ……。 朝日が差し込む乾いた医務室に彼の寝息が密やかに奏でられていた。 終末にも似た絶望の景色が広がる世界の片隅で、そっと、確かに。

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