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堕ちる/兄×弟

■精神的外傷兄弟 彼の手首には絶えず傷跡があった。 彼の恋人となった女達は皆が涙し、哀れみ、心から彼を愛した。 しかし彼の傷は癒えるどころか増えていくばかりなのだ。 錆びかけの刃で薄い皮膚を裂いては生温い血を溢れさせ、真っ白な包帯で傷口を取り繕う。 「ソファでいいから寝かせてくれないか」 街でサイレンが行き交う深夜、式は隹の部屋を訪れた。 高価そうなスーツを整然と身に纏い、この時分、ネクタイをきっちり締めている。 黒光りする革靴が間接照明に照らされて更に鈍い光を発していた。 隹は突然の訪問に嫌な顔をするでもなく、どうしたのかと問いかける事もせず、彼を中へ招いた。 バーで引っ掛けてきた女が下着姿のままベッドルームから顔を覗かせている。 式は無反応のまま彼女の前を通り過ぎ、ソファへと腰を下ろし、隹は無言でドアを閉じた。 「ねぇ、誰? 友達?」 ベッドルームに戻ると女が問いかけてきた。 肩に彫られたタトゥーを撫でながら隹は答える。 「昔からの知り合いだ」 「彼もここへ呼んだら?」 あっけらかんとした女の申出を隹は断り、タトゥーに噛みついた。 一時間後、リビングに向かうと式はスーツ姿のままソファに身を沈めていた。 逞しい上半身を薄闇に曝した隹は彼の傍らへと屈み、乱れた前髪の生え際へと筋張った指先を滑り込ませた。 「眠れなくて」 閉ざされていた双眸がゆっくりと開かれる。 切れ長な、物憂げな翳りを宿した双眸だった。 「今日はいつにもましてサイレンがうるさいからな」 昔と同じように隹は式を愛撫した。 顔の輪郭をなぞるように、目元から耳元、後頭部へとゆっくり掌を前後させる。 されるがままの式は緩やかな仕草で仰向けとなって隹を見上げた。 隹は隙なく締められていたネクタイを緩めてワイシャツのボタンをいくつか外した。 ベルトを蔑ろにし、スラックスの前も寛げた。 「ひどく寒くて」 「じき熱くなる」 「傷口が疼いて」 「俺もそうだ」 かつて事故で両親を失った隹は時折過去の夢を見る。 トラックに追突されて湖へと落ちた車。 沈んでいく、愛する者達。 ただ伸ばす事しかできなかった短い両腕。 無数の泡沫。 冷たい夜の味を飲み込んだ隹は式に口移しで与えた。 「ん……」 式は濡れた微熱に吐息を漏らすと隹の裸の肩に手を回した。 スーツの袖口から見えた白い包帯が薄闇に際立つ。 真っ白なその下には途切れない痛みが延々と燻っている。 もっと欲しいと、式は口を開閉させて隹に擦り寄った。 隹はそんな式を抱きしめて深く長く唇を交えた。 「兄さん、もっと」 巣の中の雛は二度と戻ってこない親鳥を呼び続けた。 潰れた翼では守りきれずに雛は何度も自ら転げ落ちて傷を負ってしまった。 そうして雛は飛べなくなった。 巣の中で、潰れた翼の中で、ただ息をしている。 俺もまた飛び立てずに潰れた翼の膿んだ傷口を持て余している。 弟という名の傷を。

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