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Calling/元上級生×既婚者

■愛する家族と幸せな日々を過ごしてきた。 何も不満などなかった。 不自由だと感じたことさえ。 それなのに。 『じゃあな、式』 「お前の中、熱い」 どうして貴方と再会してしまったんだろう。 「明日、水族館でイルカのショーを見に行くの、覚えてる?」 「もちろん覚えてるよ、お姫様」 見送りのためデッキテラスに出てきた我が子を抱き上げて、その柔らかな頬にキスをし、式は微笑んだ。 「今夜遅くには帰れる予定だから」 隣にいた妻にもキスをする。 「じゃあ行ってくる」 愛する家族に手を振った式は久し振りに訪れる故郷を目的地として車を発進させた。 同郷の友人から結婚式に招かれた。 海辺に建つホテルのチャペルで式は挙げられ、緑溢れる白亜の庭園で挙式後のパーティー開催、思い思いに着飾った招待客らはグラス片手に祝福と思い出話に快晴の昼下がりを費やした。 式も花婿や懐かしい面々との会話を楽しんだ。 「じゃあ、俺はそろそろ」 街外れの実家に顔を出すため、式は皆に再会を約束して別れを告げ、早めにパーティーを切り上げると一人ホテルを後にした。 石畳の閑静な街を走り抜けて郊外に出る。 麦の揺れる美しい田舎道をしばし直進すれば一つの集落が見えてくる。 最近、父親が塗り替えたという鮮やかな緑色の屋根の家が式の生家であった。 実家に寄って何十回と聞いた父の昔話を拝聴し、母の淹れてくれたジャスミンティーと手作りのマフィンを味わい、高齢ながらも頼もしい番犬とボール遊びをして愛する者達が待つ我が家へ帰るつもりだった。 片道五時間、今から戻れば日付が変わるまでには十分間に合う。 バックミラーに写る両親と番犬に微笑んで、そのまま我が家を目的地とすればよかった。 だが、ふと、懐かしい故郷で過ぎった、ある一つの記憶に誘われて。 式は我が家に通じる道とは別の方角へハンドルを切った。 その制服を見かけて式は路上に車を停めた。 かつて自分も着用していたもの。 ネイビーのネクタイ、モスグリーンのシャツに、チェックのスラックス。 余所と大して代わり映えしない格好だが、それでも感慨深い。 石畳の閑静な街に引き返した式はハンドルにうつ伏せて、楽しそうに笑い合う若々しい少年達を遠目に、そっと唇を噛んだ。 不意に切れ長な双眸が強い光を帯びた。 驚きと混乱。 かつて自分が背負い込んだ激情の欠片を含んだ光。 思わぬ彼との邂逅に式は「今」を忘れた。 彼は学内で最も派手なグループに属していた。 外見、成績、育ち、全てが平均を遥かに上回る非凡揃い。 彼は群を抜いて目立っていた。 鋭い双眸はいつだって不敵にぞんざいに煌めき、歯切れのいい筋の通った物言いは教師達を圧倒し、同年代を魅了した。 彼の両隣には容姿端麗な女友達がいつだって群がっていた。 一方、式は図書館に引き篭もるような地味な生徒だった。 本は好きだった。 広い館内の一角、古い書物に囲まれて静寂の時を過ごすのが何よりの安息に値した。 彼のことは知っていた。 派手なグループの中心にいるし、嫌でも一日に一度はキャンパスでその名を聞く、そして。 時々、彼に見られているような気がした。 自意識過剰なのかもしれない。 そんな錯覚が疎ましく一般生徒の式は敢えて彼を見ないようにしていた。 「なぁ、式、レポートできた?」 図書館の窓際で立ったまま本を読んでいた式に顔見知りの上級生が声をかけてきた。 「参考にしたいんだ。どんな内容か聞かせてほしい」 「……先生からレポート作成の際は他者との相談を禁じられてる」 「いいだろ、式」 擦り寄るように上級生が式のすぐ隣へやってきた。 「俺とお前の仲だろ」 そう言って細い顎を持ち上げ、キスをしようと……。 どんっ 式と上級生はびっくりして咄嗟に窓から離れた。 外から中を覗く者がいた。 慌てふためいてその場を去っていく上級生、式は、外に立つ彼から視線を逸らして自分も違う場所へ歩み去ろうとした。 「待て」 立て付けの悪い窓を一気に押し上げて、彼は、最もマナーの悪いやり方で図書館を訪れた。 本を抱えた式は横目で彼のマナー違反を見逃しつつも、その急な出現に当惑し、どうしようか逡巡した。 少し長めの髪をかき上げて彼は笑う。 「式、か」 「え?」 「今、やっと名前を知った」 彼はいつから外に立っていたんだろう? 不敵な上級生は壁に片手を突いて華奢な式を覗き込んできた。 「俺は隹だ」 そんなの、知ってる……この学校の人間なら誰だって知っているだろう。 「今の、恋人か?」 「……違う、そんなんじゃ」 「セックスは?」 藪から棒に突きつけられた不躾な問いかけ。 式は遠慮なく直視してくる鋭い眼を見返した。 「二度、だけ」 「ふぅん」 妬けるな。 隹はそう告げて本を胸に抱いたままの式に口づけた。 急に始まった関係だった。 初めて言葉を交わして、その日に体を重ね、それから度々セックスした。  無人の教室で、トイレで、廃校舎の片隅で。 嫌じゃなかった。 むしろ式は隹にどんどん惹かれていった。 それを決して表に出さなかった。 自意識過剰。 この行為にきっと意味などない。 単なる暇潰し、一時の性欲処理。 誰よりも秀でた彼が自分を特別視する理由がどこにある? 軽薄な女友達と同じ立場に過ぎない。 いや、それより下だろう。 隣に並んで華やかな彩りを添える付け合わせにもなれない。 急に始まった関係は彼の卒業と同時に終わりを迎えた。 「じゃあな、式」 去っていく隹の背中を式はただ見つめていた……。 「隹」 呼び止めると、彼は、緩やかな仕草で振り返った。 モッズコートに両手を突っ込んで鋭く不敵な双眸を背後に向けた。 「……式か?」

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