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劇毒物系彼氏/マフィア×元殺し屋未成年
■『パパを殺さないで!!』
一つの出来事をきっかけにして殺しを放棄し、組織から逃げ、然る温泉街の大衆向け旅館に二年ばかり従事していた、どこか厭世的な翳りを持つ彼。
紅葉が鮮やかに燃え盛る頃に一人の男と出会った。
世にも不敵な眼差しを持った若雄。
『殺し屋式。そうだな?』
若いながらも魑魅魍魎蠢く裏社会に頭角を現しつつあったファミリーのボス、隹に。
「目移りするな、式、お前がこの先仕留めるのはこの心臓だけだ」
「お願いだ、頼む、命だけは……!」
恐怖に震える唇から捧げられた哀願に彼は無表情のまま答えた。
「その命が欲しくて来た」
そうして引き鉄を鈍く奏でて仕事を一つ速やかに終わらせる。
彼は式という名の殺し屋だった。
とある組織に飼い慣らされた、幼い頃より殺しの訓練を受けて過酷な日々を育った哀れな奴隷だった。
冷たい闇に切れ長な双眸も心も浸食されて凍てつきかけていた式に運命の日は訪れた。
「パパを殺さないで!!」
ターゲットを庇ったこどもを前にしていつものように引き鉄を奏でることができなかった。
その日から式は人を殺すことを放棄した。
重宝していた殺人マシーンが一瞬にしてポンコツと化し、使い物にならなくなった、秘密を知り過ぎているお抱え殺し屋を組織は当然消しにかかった。
生きなければ。
生きて罪を償おう。
式は逃げた。
組織の手の届かない地を目指して遠くへ、むごたらしい抗争も痛ましい嘆きもない平和な場所を求め、足を休めることなく、ひたすら移動を続け、そしてーーーー
「うのはら旅館へようこそいらっしゃいましたぁ!!」
湯煙漂う長閑な温泉街に行き着いた。
ずらり連なるお宿の中でも長年評判のいい大衆向け<うのはら旅館>に住み込み雑用係として雇ってもらうこととなった。
もちろん「口やかましいクレーマー客を永遠に黙らせろ」だの「目障りな商売敵のアレを消せ」だの、血生臭い命令は皆無、おつかいやお掃除やお布団の出し入れ、地味な仕事を毎日寡黙にこなしていた。
「お疲れ様、式!」
「茶、入ったぞ、ちょっと休憩しろよ」
旅館の若旦那である宇野原 や先輩スタッフの北 は過去を語りたがらないミステリアスな式を訝しがるでもなく、快く受け入れた。
一線をおきながらも式は毎日彼らに胸の内で感謝した。
言葉にはせず、ただ黙々と働き続け、一日一日を踏みしめて生きた。
あっという間に一年が過ぎ、次の一年は四季の移り変わりに気持ちを向ける余裕もでき、組織を離れて丁度二年が経過しようとしていた秋と冬の境目に。
「どこかで見た顔だ」
男はやってきた。
いつものように旅館の前を木箒で掃いていた式は背後に立った男を見る前に戦慄した。
気づかなかった。
何の気配もなしに殺傷圏内の背後にまで接近されるなんて。
いくら長閑な温泉街に腰を据えようと幼少期より身につけさせられた優れた五感は骨身にまで染みついて衰えることはなかった。
それが、いきなり、死角である背後をとられた。
動揺を隠せない式はなかなか振り返れずにその場で固まっていた。
「金と血の亡者、仇の血筋なら女子供だろうと見境ない暴君お抱えの殺し屋とよく似てるようだが」
そこまで聞かされてやり過ごすわけにもいかずに。
式は振り返った。
妖艶なまでに見事な紅葉並木を背景にして鋭く笑う男。
血糊にも似た凄惨たる色合いと不敵な眼差しの組み合わせに眩暈を覚え、立ち竦む式に、満足そうに笑みを深める。
「殺し屋式。そうだな?」
「こんな時間にどこに行くの、式?」
「お。珍しい。もしかして誰かとしっぽり密会か?」
呼び止めてきた宇野原と北に無言で首を左右に振ってみせ、式は<うのはら旅館>から別の宿へ足早に向かった。
夜も更けて人気のない、日中のざわめきが嘘のように静まり返った石畳の大通りを進み、川にかかる朱塗りの太鼓橋を渡る途中で、ふと思う。
殺してしまおうか。
式は立ち止まった。
いとも容易く取り戻しかけた殺し屋の感性を懸命に振り払い、すぐに歩みを再開させた。
駄目だ、殺すな、式。
それは裏切り行為だ。
今の俺を信用してくれている人達に、あまりにも、申し訳ない……。
川沿いにひっそり佇む趣深いお宿。
裏口から教えられていた離れへ、式は難なく到着した。
「どんな標的も仕留めることで有名な殺し屋がこんな温泉街で働いてるとは、な」
男は待っていた。
彼の名は隹。
政界や警察機関にパイプを持つ古参とは違い、人脈に欠けた新参の身でありながら、磨き抜かれた実力とカリスマ性でよからぬ事業を次から次に展開し、今日の裏社会でめきめきと頭角を現しつつある若いファミリーのボス。
青水晶の双眸が危うげな不敵な若雄だった。
「そういえば。逃げ出した家畜を暴君が血眼で追っていると聞いた」
知っているんだ、この男は、何もかも。
「俺がここにいることは誰にも口外しないでほしい」
「見返りは」
座椅子に深く腰かけて長い足を窮屈そうに組んでいる隹にすかさず問われて、壁際に立つ式は、項垂れた。
「何でも言うことを聞く……殺し以外なら」
「殺し屋から殺しを除外したら何が残る」
「殺しはもうやめた。今は誰も殺さない」
ダークスーツが嫌味なくらい似合う隹は立ち上がった。
毎日洗濯しているシャツにセーター、ジーンズを履いた、しなやかな体躯の式の真正面に不要なまでに迫った。
「じゃあ体をもらうか」
お決まり壁ドン。
「……は?」
「後はそれくらいしか残らんだろう」
極めつけ顎クイ。
「ッ……馴れ馴れしく俺に触るな」
「現役らしい目つきじゃねぇか。足洗ったなんてハッタリか」
「お前を仕留めるためなら一度限り汚してもいい」
「いいぞ。チャンスをやろう。向こうでな」
隹の視線を追ってみれば襖の向こうに敷かれた布団、式の顔は強張った。
本気なのか、コイツ。
「俺はいつだってガチだぞ、式」
胸の内を読まれて、式は、笑う青水晶を不愉快そうに睨んだ……。
翌日。
「式の様子、昨日からおかしくない?」
「おかしい。今朝のおつかいなんか、お釣りはもらい忘れるわ、道に長ネギ落としてくるわ」
「何かあったのかな……?」
心配する宇野原と北が見つめる先には上の空で道を掃く式の姿が。
『最強殺し屋の弱点、探るとしようか』
「……いつか殺してやる」
誰も殺さないと決意したはずの式は物騒な独り言をポツリと洩らした。
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