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Beast/謎のドライバー×謎の獣

■男は一人、車を走らせていた。 深い森の中、暗闇と静寂に包まれた道を。 そして。 目の前に急に彼は現れた。 月が赤く輝く夜だった 月が赤く輝く夜だった。 「!」 森を貫く人気のないハイウエイを飛ばしていた隹は、突如、車の前に飛び出してきたものに驚愕した。 間一髪、ブレーキを踏み込んで衝突を免れる。 そのまま即座に外へ出て道端に倒れているそれへ躊躇いもせずに近寄った。 それは狼によく似た獣だった。 これまでこの近辺で一度も目撃されたことのない、漆黒の、夜目にも美しい獣だった。 「こいつは」 隹は束の間立ち尽くし、その獣をじっと見下ろしていた。 そして彼は気がつく。 黒々とした漆黒の毛並みが臭気を伴う血に塗れていることに。 衝撃はなかった。ぶつかってはいないはずだ。 だとすると。 隹はおもむろに腰を下ろしてより間近にその獣を覗き込んだ。 赤い月の下で傷ついた獣は目を閉じている。 喉奥で力のない唸りを上げ、四肢を微かに震わせている。 アスファルトに血溜まりが広がりつつあった。 「大丈夫か」 隹は手を伸ばして血を流す手負いの獣に触れようとした。 が、不意に獣が目を開けたので虚空で手を止めた。 裂肉歯を剥きだしにして殺気の篭もる唸り声を走らせ、漆黒の獣は頭上の月を彷彿とさせる双眸で猛然と睨みつけた。 己のそばに立つ隹の背後を。 「不運だねぇ、あんた」 振り返った隹は茂みを掻き分けて道に出てこようとしている二人組を見つけた。 こんな森の中でさも高価そうなスーツを着ている。 一人は短銃、もう一人は片手の五指に鋭利なナイフをずらりと並べていた。 妖しい月明かりの中で二人の胸元に下がるクロスが不敵に輝いている。 銃口を向けられた隹は一歩後退り、近づいてくる二人と向かい合った。 「B級ホラー映画の撮影か」 「残念ながら違うな。これは現実上の出来事であんたはここを偶然通りがかったことで不運にも災いに巻き込まれた哀れなる被害者ドライバーだ」 身を起こしかけていた獣が再び地面に倒れ込んだ。 スーツ姿の二人はそれを見て笑い、隹は青水晶の双眸を眇める。 「変わった生き物だろう? 狼によく似ているが違うんだぜ。呪われた獣だ。この世に存在しちゃならない悪魔みたいなもんだよ」 「この悪魔のせいで貴様は死ぬ」 「災いを招くケダモノさ。こいつを呪って死ぬんだな」 引き鉄に指をかける僅かな音が夜の静寂に響いた、その瞬間。 隹の姿が掻き消えた。 「なッ」 目を疑った次の瞬間、凶器を携えていた二人組の手首から下が大量の鮮血を迸らせて引き千切れた。 アスファルトに短銃とナイフが乾いた音を立てて落ちる。 傷口から血肉を覗かせた利き手も、共に。 アスファルトに臥した獣を庇うようにしてもう一頭の黒き獣がいつの間にか姿を現していた。 青水晶の双眸が青い炎の如き鋭い光を放っている。 不快な血に濡れた口元がさも殺気立った息を荒々しく吐いた。 「ヴァルコラクか、貴様も……!!!!!」 それは遠い昔。 同じ血を継ぐ一族は二つに分かれた。 一つは深い森の懐に息を潜め、厳粛なる闇夜に身を委ね永い時を静かに暮らすことを望みとした。 もう一つは安寧を嫌い、沈黙を苦として、下界へ下りた。 仮身を纏い願うまま自由に生きることを望みとして。 その一族の名はヴァルコラク。 望月を喰らい、月蝕を引き起こすと言われる伝説の異形。 夜の恩恵を授かるものたち。 本来の姿を現した隹はアスファルトを蹴って跳躍した。 不意に出現した敵方に利き手を奪われて平静を失い、判断力に欠いた二人組は、迫り来る死を成す術もなく受け入れるしかなかった。 一陣の黒い風が猛然と走り去ったかのような出来事であった。 鋭い牙で喉を裂かれた二人組は大量の血を噴き散らして倒れ臥した。 彼等は古より社会の影に息づく秘密組織の信者だった。 現代において密かに魔女裁判を行い、人に非ず人に擬態するものを見つけ出し、無情な処刑を執行する組織。 頂点にダンピル(混血)の処女を座し、狂信的な幹部と信者により成り立つ血生臭い武装集団でもあった。 隹は傷ついた同胞のそばへ歩み寄った。 嗅いだことのある匂いだが、名前を思い出せない彼は、相変わらずアスファルトに倒れたまま弱々しげに震えていた。 血に濡れた漆黒の毛並みを舐めてやると心臓の鼓動が直に伝わってきた。 弱い音色だが途絶える気配はなさそうだ。 頭を屈めた隹は消毒になるようその毛並みを舐め続けた。 お前、俺を探していたんだな。 「疲れただろう」 瞬きよりも短い速度で人の姿と化した隹は傷ついた同胞を抱き上げた。 「安心して休め。もう何も恐れないでいい。俺がいるからな」 車の後部座席に寝かせると運転席に戻り、車を発進させた。 喉を裂かれた二つの死体はいつの間にか月影に呑まれて消え失せていた。 夥しい血痕すら同様に。 凶器も跡形なく。 寂然たる夜道を走り抜けていた車はやがて巡回中の森林警備隊によって停車を命じられた。 隹は懐中電灯を携えた警備員が車に近づいてくるのをサイドミラー越しに眺めていた。 「あんた、こんな時間にドライブかい」 「暇でね」 免許証の提示を求められて速やかに応じる。 証明写真を見比べた警備員は次に後部座席を見やって、眉根を寄せた。 「何だか具合が悪そうだな」 後部シートに蹲った彼は億劫そうに頭を擡げて首を左右に振った。 「奴は飲み過ぎたんだ。別に死にはしない」 警備員は運転席の隹と後部座席に蹲る彼を何度か交互に見、肩を竦めた。 「動物に注意して運転しろよ」と、発進を促され、隹は「パトロールお疲れ様」と言い残しアクセルを踏む。 「お前だったのか、式」 青年の姿で座り心地のいいシートに蹲る彼を肩越しにちらりと見、隹は数世紀振りの再会に少し笑った。 「でかくなったな、お前」 「……貴方は全然変わっていない」 赤く輝く切れ長な双眸をうっすらと開いて式は呟いた。 瞼はすぐに閉ざされて、後は苦しげな呼吸が繰り返され、やがてアンバランスな寝息へと変わっていった。 ヘッドライトを点した車は闇夜を走り抜けていく。 短い一夜はやがて終わり、永い夜の続きをゆっくりと紡いでいく。

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