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吸血鬼に捧げるラブ・ソング/刑事×刑事
■二人の刑事が追うのは人に非ず、人に擬態し、人の血を啜る化け物。
「俺は、死ぬ覚悟はできている」
刑事の一人は我が身を犠牲にして怨敵を仕留めるつもりだった。
「……俺には、まだない」
しかし刑事の一人は言う。
「お前を見捨てる覚悟がない、式」
二人の刑事が行き着く結末は。
「明日で全てが決まる」
ハイウェイ沿いに建てられた派手な電飾の看板が目立つ二階建てのモーテル。
二階の一室で二人の刑事が向かい合い立っていた。
「そうか。長かったな」
ああ、長かった。
彼女を殺されてあいつを追うようになり、それからまたたくさんの大切な人を失い……ここまできた。
天井で回り続けるシーリングファンが鈍い音を立てていた。
車道を走り行く長距離トラックのエンジン音も夜の静寂を乱している。
「俺は。死ぬ覚悟はできている」
一人の刑事、式は片方のベッド上に並べられた警察手帳や手錠、拳銃が入ったままのガンホルダーを見下ろして断言した。
命を賭する決意がなければ倒せない相手が二人の敵であった。
人に非ず、人に擬態し、人の血を啜る化け物。
通用する武器が極限られた残酷なる強敵。
二人の家族や仲間を屠った復讐すべき悪魔。
二人の敵は美しい男の姿をした吸血鬼であった。
「獲物の首に牙を突き立てて血を吸う間、その時間こそが奴の最大の弱点だ。だからお前は、奴が俺の血に全神経を奪われている間、あれで……心臓を突くんだ」
式が視線を向けた先には大きなボストンバッグがあった。
中には、常軌を逸した奇行が度重なったため狂気に頭を蝕まれたと見做され、精神病棟に一時収容されていた神父がトネリコの木で研いでくれた大振りの杭が一本入っていた。
「今までは犠牲者を救おうとしたため攻撃に躊躇していた。だが、今回その必要はない。俺が奴の動きを止める、そして、お前はその杭で奴を刺し貫けばいい」
先程の宣言通り、式の凛とした切れ長な双眸に迷いや恐れはなかった。
これまで血を吸われた犠牲者達は全員出血死で亡くなっており、鋭い牙に捕らわれたら最期だというのは十分承知していた。
式はそこを逆手にとるつもりだった。
命が尽きる間際に全身全霊の力でもって怨敵を抱き込み、動きを止める。
そのためならば死神に誘われようと悔いはなかった。
明日に全てを賭けた式はむしろ清々しくさえある。
己の絶命する瞬間を心待ちにしているように見えなくもなかった。
「奴は絶対にあの教会へ明日現れる。永遠に生きるための契約に記された約束の日だからな。きっと、絶対に」
式の話を聞いていた隹は相棒のそんな様に戸惑いもせず、片時も視線を逸らさずにいた。
共に怨敵を追い続けてきたからこそ。
彼の思いが痛い程にわかった。
目の前で成す術もなく尊い命を奪われていく惨劇を繰り返し目撃してきた、その苦痛。
絶望。
悲しみ。
極限まで精神を犯され、何とか懸命に耐えてきた、その末の清々しさだとわかっていた。
青水晶の色を浮かべる冴え冴えとした眼で隹は式を見つめていた。
「……俺には、まだない」
式は不意に洩らされた隹の一言に口を閉ざした。
二人の間に束の間の沈黙が降り立ち、些細な騒音が雑然とした部屋の中を支配した。
「お前を見捨てる覚悟がない、式」
ベッドに腰かけた隹が抑揚のない乾いた声で呟く。
式は、それまで湛えていた清々しさをほんの少し歪ませて部屋の隅に視線を投げやった。
「心残りがある」
「……心残り?」
「ああ、そうだ」
「一体、何に」
問いかけながらも、式は、隹の抱いている心残りの正体に気づいていた。
日頃から彼はそれを行動の端々に見せていたのだ。
ふとした瞬間の目線、肩を掴んだ掌の思いがけない強さなどに、それは滲み出ていた。
無視できない熱さを伴って式の心臓を揺さぶり続けてきた。
逸らしていた視線を戻してみると隹は窓の向こうに広がる暗闇を見据えていた。
精悍な横顔に回想の波が色鮮やかに過ぎって、式は、唇を噛む。
寄せては返す潮騒の如き追憶に心を攫われて、今、この一瞬を見失いそうになった。
……そうだ、彼をこの忌まわしい戦いに引き摺り込んだのは俺だ。
仕舞いには相棒であるこの自分を見殺しにしろと頼んでいる。
死よりもつらい目に遭わせ、残された者として課せられる十字架を背負わせようとしている。
彼の心残りを果たすのは、危うい。
果たすどころか未練が増長し、互いの枷になるかもしれない。
明日、血塗られた復讐の道に終止符を打つべき一瞬に迷いが生じたら……二人とも無駄死にする恐れだってある。
だが、今の彼には俺を見捨てる覚悟がないという。
「どうしたらいい」
式は再び問いかけた。
彼の言う通りにしようと心に誓って、その横顔に答えを求めた。
隹は窓の向こうに視線を据えたまま低く呟いた。
「来てくれ」
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