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Renegade-裏切りの-2
式はぎょっとした。
慌てて顔を上げると目の前に隹が立っていた。
「部下に殴られて余程応えたか。ここまで接近して気づかないとは」
気配をまるで察知できなかった式は懸命に動揺を抑え、眼前に立つ敵幹部を睨め上げた。
隹は相変わらず人の悪い笑みを浮かべている。
片手に簡素な食事を乗せたトレイを持っており、彼は矢庭に座り込むとそれを式の前に無造作に置いた。
「セラは外の偵察だ、ほら、食えよ」
犬にするように顎で食事を指し示す。
式は慣れた扱いに今更どうとも思わず、体力回復のため敵幹部の執拗な視線にためらうでもなくトレイに手を伸ばした。
豪快にあぐらを組んだ隹は片膝に頬杖を突いて捕虜の食事を真正面から眺めている。
「……他にすることはないのか」
「作戦は繭亡が練っている。貴様は無駄口なんぞ叩かずにとっとと食え」
式はスープに手をつけた。
湯気が立っていて相当熱そうだ。
「……っ」
案の定、口元の傷に沁みた。
式が思わずしかめっ面となると隹はすかさずせせら笑った。
「戦士のくせにみっともない。食い物の熱さにダメージを食らうとは」
「……」
「傷口に障るか、式」
不意に隹の腕が伸びた。
革手袋を嵌めた手が口元にまで届き、赤く腫れていた唇の際をなぞる。
突拍子もない接触に式は身を引いた。
背中はすぐ背後に迫っていた壁とぶつかり、少しだけ、隹の指先との間に距離ができた。
「俺に触るな」
「どうして」
「……どうして、って」
まだ食べかけの食事が載ったトレイをぞんざいに横へずらし、隹は式の方へより膝を進める。
戸惑う式は逃げ出すわけにもいかずに大胆に接近してくる男を凝視していた。
一体何なんだ……。
「……何がしたいんだ、お前」
とうとう顔のすぐ真正面まで迫ってきた隹に式は問いかける。
隹は何も言わずにただ笑い、壁に背中を寄せる式を己へと引き寄せた。
「!」
式はさすがに慌てた。
普段の扱いとは明らかに違う、正にキスしようという仕草を見せた隹から思いきり顔を逸らした。
「何がしたいんだ!」
「何って、キスだが」
切羽詰った式の問いかけに平然と答え、隹はしなやかな体を抱き込んだ。
自分より逞しく上背のある体に力をかけられると捕虜の抵抗は否応なしに殺がれる。
しかしそれでもやめるわけにはいかなかった。
「最近、俺はお前のことばかり考えている」
耳元に吹き込まれたその言葉に式はビクリと全身を震わせた。
「最初はどうやって殺してやろうか、どこから傷つけていってやろうか、とかな」
「俺だってお前を殺してやりたい」
「最近はどこが一番の性感帯か、とか」
「……」
「抱いたらどんな風に善がるのか、とか」
こいつ頭がおかしいのか。
そう思う反面、式の身の内には熱が籠もりつつあった。
顔まで紅潮してしまい、懸命に己へ言い聞かせた。
俺は違う、同じじゃない。
「俺達は敵同士だ」
「ああ、そうだな」
「それに男だ。俺もお前も」
「そうだったな。で、お前の本音は?」
ぎこちなく目線を上げると青水晶の眼が蔑みを払い落とし、いつになく真摯な眼差しでこちらを見下ろしていた。
「俺を殺したいほど求めてるんだろう?」
目を見開かせた次の瞬間には唇が唇で塞がれていた。
式は、抗うことも求めることもできず、隹の羽織るジャケットを握り締めた。
舌先に唇を抉じ開けられて濡れた微熱を注がれると苦しげに喉を鳴らし、薄目を開けて隹を見上げる。
彼の男は口づけに戸惑う式をすでに視界に写しており、口腔奥に潜めた舌をあからさまに強請っていた。
恐る恐る差し出すと遠慮なく絡みついてくる。
冴え冴えとした青水晶に自分の情けない様が反射してしまいそうで式はやはり目を閉じた。
「お前がほしい、式」
ああ、聞きたくない。
こうして現実で耳にして、心の奥底で密かに望んでいた言葉だとわかるなんて。
自分がどれだけ卑しくて浅ましいのか思い知らされる。
無様に逡巡して無言でいる式に隹は唇の片端を吊り上げた。
「苦悩顔のお前はそそる」
仲間内でも目を見張る瞬発力を誇り、華麗に敵を翻弄する実力者の赤穴 と、その部下が式の救出にやってきた。
「式、無事で何よりだ」
隹と繭亡の幹部両名が偵察に出ている間のことだった。
談笑していた見張りを速やかに打ち倒して赤穴は地下室へと踏み込んだのだ。
部下は援護のため外で待機していた。
すでに脱出の手筈は整っていた。
「行くぞ、歩けるな?」
式は頷いた。
頷く他、なかった。
こうして危険を顧みずに敵のアジトまで自分を救いにやってきた仲間を無下にできるわけがなかった。
常に体力温存を心がけていた式は俊足の赤穴に遅れをとらず、今まで拘束されてきた地下室から抜け出すのに成功した。
樹林越しに久方に目にした月は鋭い三日月。
彼の男をどこか彷彿とさせ、式は我知らず首を左右に振っていた。
「どうした、大丈夫か?」
傍らについていた赤穴に問われる。
前を行く部下も捕虜にされていた仲間を気にして度々背後に視線を向けており、式はまた頷いた。
「傷が痛むのか?」
傷など当に癒えた。
夜毎あの底冷えする地下室で密かに繰り返されていた、浅ましくも願ってやまない淫らな抱擁によって、押し開かれる痛みと刺激でもって。
あんなにも欲望に忠実になれるなんて知らなかった。
あれほどまでに求め合ったのは……。
「……止まれ」
不意に赤穴が鋭さを帯びた声で前を行く部下に命じた。
鬱蒼と生い茂る木々の狭間の何処からか身を貫くような殺気が放たれている。
見覚えのある感覚に式の肌は一瞬にして総毛立った。
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