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グロテスクブルー-3

それは記憶の奥底に閉じ込めて鍵をかけていた思い出。 時が経つにつれて鍵は錆びつき脆くなり始め、生じた隙間から過去の回想が滲み出、ゆっくりと心を侵食していった。 仕事でどんなに多忙な時でも。 優しい恋人と共にいても。 その侵攻は容赦なかった。 だから十年以上もの年月をおいて彼が不意に目の前に現れても式は過剰な驚きや恐怖に襲われることはなかった。 恋人と食事をした帰りだった。 彼女は明日の朝が早かったので早めに別れて帰路についた。 空いたバスに揺られて最寄の停留所で下り、アパートに一番近いバーに寄って顔見知りの店主にウィスキーを頼んだ。 酒が来る前に隣に座ったのが隹だった。 「俺にも同じものを」 夜の帳に容易く溶け込んでしまえそうな黒服を纏った彼は穏やかな表情でそう言って、狭いカウンター下で長い足を組んだ。 控え目な照明を浴びて淡く光る双眸。 彼はスーツのポケットから速やかに煙草を取り出して火を点け、昔と変わらない仕草に式は我知らず見入り、置かれたグラスに手をつけるのも忘れた。 隹は隣に座る式を見て笑った。 「会いたかった、式」 部屋に行っていいか。 互いにウィスキーを一杯だけ飲んだ後に問いかけられて式は頷いた。 店を出て石畳の通りを進み、すぐ近くのアパートに入る。 エレベーターが故障中なので階段を使った。 「へぇ、片付いてるな」 ソファに案内された隹は背もたれに背中を預けて部屋を見回していた。 酒とコーヒー、どちらがいいか尋ねるとコーヒーとの答えがあり、式はケトルを火にかけた。 ブラックのコーヒーを二つ持っていくと隹は手を掲げて一つを受け取った。 指先が触れ、些細な感触が過去の愛撫を肌の上に蘇らせて、式は内心焦燥した。 決して表には出ないよう平静を装いはしたが。 前にもまして鋭くなった双眸を見つめすぎないようにした。 「今、恋人は?」 一人がけのソファに座った式は斜向かいで寛ぐ隹の問いかけに答える。 「いるよ」 「ああ、だろうな。女がお前をほっとかないだろ」 「そんなことないけれど。隹は?」 「いない。適当に寝る相手はいるが」 十代の頃と比べて抑えきれない気迫があった。 ぞんざいに仰け反っているわけでもない前屈みの姿勢でも気圧される感じがする。 逞しく精悍に成長した隹が醸し出す空気は前以上に式を惑わすかのようで。 「なぁ、式」 一呼吸おいた呼びかけに式の心臓は軋んだ。 「触ってもいいか」 伸ばされた手は空中で止まり、許しを待つ。 「お前に触れたい」 その先へ導くのをこちらに任せてただ従順な飼い犬のように彼はいつまでだって待っていられる。 式は立ち上がると彼の隣に座った。 目線は伏せたまま何も言わずに。 染み付いた煙草の匂いが一層近くなって軽い眩暈を覚える。 早まる鼓動に伴う緊張感が相手に伝わらないよう、きつく唇を噛んだ。 広げられた掌がゆっくりと片頬を覆い、肌をなぞった。 無視できない微熱に式の呼吸はもう上擦りそうになる。 戸惑いがちに、恐る恐る、覚束なく揺れる視線を隹へと向けていった。 「……隹……」 自分を真摯に見つめる双眸と視線を分かち合った瞬間、式は次の言葉を零していた。 「キスしてくれ」

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