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Mystery of you/神父×吸血鬼
■彼から思いを逸らすことができなかった。
神父である隹は町の人間から煙たがられている正体不明の彼のことをずっと見つめ続けてきた。
いくら拒まれようと彼に寄り添った。
「あんたに傷ついてほしくなかった」
身に覚えのない疑惑をかけられ、町の人間から私刑に処せられようとしていた彼を救うために。
隹が住む田舎町から程近い森の麓に彼は住んでいた。
誰とも干渉を持ちたがらず、裸足で町へやってくる時はコートのフードを目深に被り始終俯きがちで、町の人間と視線すら合わせようとしない。
男達は奇異なものでも見るようにその姿を眺め回し、女達は隠せない関心をちらつかせながらも距離をおき、子供達は森のお化けが来たと言って怖がっていた。
別に普通の男に見えるのに、と隹は思った。
しかし確かに男には普通でないところがあった。
「あいつ、昔と何も変わらない」
「教会であの目つきの悪い子供が捨てられてから見かけるようになったが、あの子供がほら……あんなにでかくなったのに」
「パン屋のじぃさんが言ってたぜ。皺一つ増えていないから気味が悪いって」
目つきの悪い子供と顎で指し示されて交わされた会話に隹は不愉快になるでもなく、神父服の上に羽織ったコートに片手を突っ込んで町外れに建つ教会へと戻った。
中に入ろうとはせずに教会へと続く短い階段に腰掛ける。
日曜礼拝に子供達に配るため買ったクッキーを一枚齧り、夕陽に染まった空を眺めた。
太陽が西の彼方へと呑まれかけ、宵の色が濃くなってきた頃、教会の前を通り過ぎようとする彼が視界に入ると隹は腰を上げた。
「クッキー食べるか」
彼は何の反応も見せずに近寄ってきた隹の横を鈍い足取りのまま素通りする。
隹は大股でゆっくり彼の横を追った。
草臥れたコートのポケットに包装されたクッキーを勝手に突っ込んでも彼は何も言わなかった。
深く頭を垂れてフードで顔を隠し、やはり視線を傾けようともしなかった。
「風が冷たくなってきたな。最近、よく喉が渇く。夜中に目が覚めるくらい渇く事もある。空気が乾燥しているんだろうな」
「……」
「村長の庭には冬薔薇が綺麗に咲いている。そういえばそこの一人娘がまたあんたをじっと見ていたぞ。俺しか気づいていないと思うが。この間、風がやたら強い日にやってきただろう。その時に顔が見えたんだろうな」
そう言って隹は彼の顔を隠すフードを払おうとした。
「俺に触るな」
彼は自分に触れようとした隹の手を力任せに振り払い、顔を背け、低く呟いた。
「俺に構わないでくれ」
それだけ告げて彼は森へと連なる一本道を一人去っていった。
正確に言えば隹は教会に捨てられていたわけではない。
隣村の出であった彼は流行病で家族を一度に亡くした。
両親は元々遠方から流れ着いた余所者であり、彼を引き取ろうとする者は近親者ばかり集う村には皆無であり、両親と弟の埋葬を一人で済ませた隹は家に残っていた金目のものを一つ残らずかき集めた。
食糧も詰め、ズボンのポケットに家族写真を折り曲げて突っ込むと台車を引いて生まれ育った村を夜明け前に捨てた。
十一歳の頃の事だ。
今の町に辿り着いた隹は教会へと真っ先に向かい、何でもやるから引き取ってほしいと当時の神父に交渉した。
神父はただ頷いて彼を受け入れた。
写真立てをもらったのでそれに折り目のついた写真を仕舞い、寝床のそばに置いて寝る前には「おやすみ」と声をかけた。
寡黙だった神父が亡くなり、特に教養も信仰もない自分が彼の跡を継いで適当な祈りを捧げている今でも続いている日課である。
この村を訪れたその日に隹は彼を見かけていた。
まだ薄暗い早朝の凍てついた空気に手足がかじかむ。
獣の息遣いがどこからともなくする森の中、隹は白い息を吐きながら一本道を進んでいた。
ガタのきている台車は度々石や窪みに引っ掛かる。
まだ小さな体でそれを引くのも相当難儀したが、荷物の載った台車を浮かせるのも容易ではなかった。
「……ッ」
隹は顔を顰める。
粗い木目に指先の皮膚が擦れて裂け、出血してしまった。
大した怪我ではないし掠り傷など日常茶飯事であったから気にもかけなかった。
作業を続行しようとした、その矢先の事だった。
いつの間にか色の白い青年が台車の前に立っているのに気がついた。
台車を引くのに厚着でいると思うように体が動かないので隹は薄着でいた。
青年はシャツの上にコートを羽織っていたが、しかし裸足で、この険しい山道で傷一つない滑らかな肌が妙に際立って見えた。
暗闇を引き摺る夜明け前の外気と溶け合うような青白さ。
隹の視線の先で青年の羽織るコートの裾が緩やかに翻った。
言葉もなく近寄ってきた彼は傷ついた手をとると唇に含んでその血を舐め取った。
穏やかな木漏れ日が森に差す昼下がり。
隹は彼の住処を訪れた。
強風が立て続けに吹けば吹っ飛んでしまいそうなあばら家に彼はひっそりと住んでいる。
月に数回、町へ下りてはパンやミルクを値打ちのありそうな古い品物と交換して得、後は何一つ見向きもせずに森へと続く一本道を辿って教会前を通り過ぎ、ここへと戻ってくる。
草臥れたコートを羽織った彼はやはり裸足で小屋のそばに佇んでいた。
すぐ近くでは白い小鳥達がばら撒かれたパン屑を突いては小さく囀っている。
フードは被っていなかったが長めの前髪が横顔を覆っており、表情は見えなかった。
「あんたの子供達はいつ見ても可愛いな」
近寄ってきた隹が声をかけても彼は無反応でいた。
足元の小鳥達は相変わらずパン屑を忙しげに突いている。
彼の素足に飛び乗って次のパン屑を強請る人懐っこい小鳥もいた。
隹はしゃがみ込むとポケットに入れていたクッキーを手の中で一端粉々にし、広げた。
すると人懐っこい小鳥はその掌に飛び移ってクッキーを頻りに突き始めた。
森はとても静かだった。
澄み切った風が頬の上をそっと吹き抜けていく。
様々な鳥の鳴き声が頭上高くで響き渡るがその姿は目に見えず、微かな羽ばたきと枝葉の揺れる音色が静謐な午後にそっと奏でられていく。
「俺はこの時間が好きだ」と、隹は掌にとまる小鳥に視線を向けたまま言った。
「とても心地がいい。ずっと、こんな時間が流れていけばいいと思う」
「……」
「ずっと永遠に」
もう片方の手で羽根を撫でようとしたら小鳥は飛び立った。
隹は立ち上がる。
木漏れ日に紛れて消えた羽根の行方を探してみようと目を凝らした。
「永遠など酷いだけだ」
水晶色の双眸を瞬かせて隹は背後を見やった。
彼は珍しく切れ長な眼を露にし、隹へ真っ直ぐに視線を向けていた。
「科せられた孤独に過ぎない」
「……あんたは孤独なのか?」
彼は隹の問いかけに答えずに顔を伏せ、次に背を向け、疲れ果てた声音で告げた。
「もうここへは来るな」
もう何度も突きつけられた言葉を聞き流し、隹は、小屋へと戻っていく後ろ姿を眺めていた。
自分だけを見つめた、色褪せた日の光を反射して物憂げに煌めいた双眸の美しさに中てられて、しばらく森の麓で立ち尽くしていた。
そうだな、確かに普通ではないかもしれない……。
次第に鋭い冷たさを帯びつつある風を浴びながらも体の奥に一瞬にして宿った熱は一向に衰えず、その片頬を夕陽で染め上げて、隹は思う。
あの目は甘い蜜にも等しい毒を持っている。
味を知れば心身を犯されて虜となり、破滅へと堕ちていきかねない毒を。
「……神父には酷だな」と、隹は密やかに笑ってそこを後にした。
教会へと戻る途中、一人の女と擦れ違った。
隹は足を止めて彼女の長い髪が翻るのを束の間見送った。
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